不格好でも見逃して

 今年の春は、訪れて早々ずいぶんと気温を上げてきた。
 外に出ていたレンジャー達も、特に本日は何事もなく、平穏無事に巡回から戻ってきただけなのにだいぶ汗ばんでいる。そんなわけで、
 「……ジュウモンジ、戻りました」
 「コウ、戻りましたぁ! あーあっつ!」
レンジャー本部に入るなり、マサギとチームメンバー達は、大なり小なり暑さに疲れた表情を見せた。
 「は~暑かった! 今月に入ってから急にあったかくなったていうか、むしろ暑くなったな。マサ、お前これから上がり?」
 「うす」
 わかりやすく顔をだらけさせて暑さを訴える同僚とは対照的に、マサギの表情はいつもとさほど変わらない。多少額に汗を浮かべている程度だ。
 「お前、相変わらずこういう時はわかりにくいな~。暑くない? 平気なの?」
 「このくらいなら。俺のポケモン、全員ほのおタイプすから」
 「あ~、そっか……そりゃそうか。まあいいや、俺も上がるからロッカー行こうぜ」
 「うす」
 そう言って、二人でロッカールームに足を向けた時だった。
 「あ、ジュウモンジ~。彼女来てるよ」
 ガタン!
 背後から飛んできた呑気な声で、マサギは廊下に常設してある消火器に足をぶつけた。その隙に「え、マジで!」と、同僚の方がマサギ本人より早く振り向く。痛む膝をそのままにマサギも振り向くと、同じく退勤となったらしいオペレーターがニヤニヤ笑っていた。マサギの顔が、わずかに苦いチーゴの実を嚙み潰したような皺を眉間に寄せる。
 「……管理人さんす。マンションの、管理人さん」
 「いやでも、彼女なんでしょ?」
 「ここはレンジャーのセンターす。公私を分けてください」
 「俺はもう上がりだも~ん」
 「俺も上がり! なあなあ、イオちゃん今どこ?」
 同僚が跳ぶ勢いでオペレーターに食いつく。オペレーターは「いつもんトコだよ、ネクロズマんトコ」と肩越しに親指を向けた。
 「何でコウのが反応速えの」
 「イオちゃんにとっておきの話があんだよね! 行ってきま~す!」
 「ッ!」
 ばびゅんと廊下を駆け抜ける同僚の俊足たるや、すばやさの高いでんきタイプをパートナーにしているだけのことはある。マサギは咄嗟に言葉も出ず、無言で追いかけだした。
 「ウケる。暑いっつってたくせに、走ったらもっと暑くなるじゃん」
 じゃーね、とひらひら手を振るオペレーターは、反応なしに二人が去っても特に気にせずロッカーに向かった。


 野生ポケモン達の保護エリアの南で、イオはネクロズマのカタバミと座って話をしていた。すっかり保護エリアの他のポケモン達も彼女に慣れたようで、ピチューやマリル、バタフリーなどがふたりの周りで思い思いに過ごしている。イオのパートナーであるナエトルのシオンは、夕日に甲羅を向けて、今日最後の日光浴をのんびりと堪能していた。
 「イオちゃん!」
 マサギが追いつく頃には、とっくに同僚の方が先にイオの前にあぐらをかき始めていた。
 「あっ、お疲れ様です! お邪魔してます」
 「久しぶり~! バレンタインの時はありがとね~、みんなでいただきました!」
 元気よくお礼を述べる同僚。『バレンタイン』の言葉で、マサギの足がわずかにもつれる。
 対してイオは、「食べていただけてよかったです」とコロコロ笑った。彼女の笑顔は変わらず可憐だが、今ばかりはそちらに気を取られている場合ではない。
 「……コウ。管理人さんに、何の話があるんすか」
 同僚のすぐ後ろで片膝をついて言う。心なしか、自分でも意外なほど『管理人さん』の部分がゆっくり出てきた。同僚はマサギを無視して、イオに調子よく笑う。
 「あんね、イオちゃん! バレンタインめちゃくちゃ嬉しかったんだけど、来年から俺達にはなくていいよ!」
 「えっ……ご、ご迷惑でしたか?」
 イオが驚いたように目を丸くする。だが、同僚は明るい調子のまま首を振った。
 「んにゃ、ぜ~んぜん迷惑じゃなかったぜ? でもマサがね、ガチ凹みした」
 「え?」
 「! コ」
 ようやく彼がイオに何を暴露するかわかったマサギが慌てて肩を掴みかけ、しかし伸ばした手の先にバタフリーが止まってしまった。ちょうどよく伸びてきた止まり木扱いとして認められてしまったらしい。マサギもまた保護エリアのポケモンにとっては慣れた存在で、わらわらと小さなポケモン達が膝の上に上ってくる。ベルトに留めているボールが開いて、りきち達も勝手に加わりだした。
 マサギがポケモンに翻弄されている間に、立て板に水のごとく、同僚の唇がバレンタインでの顛末を話す。
 「いや、イオちゃん、マサの分も含めて俺達全員にお菓子作ってくれたでしょ? でもそれでマサ、もしかして自分が告白したのをなかったことにされて、今まで通りレンジャーとその住居の管理人さんって関係としてみんなとまとめられたんじゃないかって勘違いしてさ~! 大変だったんだよ、ただでさえいつも無口無表情のマサが、その日ずーっと何にもしゃべんなかったんだから」
 「……わ、わあ、そんなことが……」
 イオの困惑した声音を聞いた瞬間、マサギは勢い良く顔を下に向けた。とてもではないが彼女に顔向けできない。そして同僚を止められるほど、マサギの口は達者ではない。
 「俺達、あんなマサ見たの初めてだったわ~。ああいう時だけは、マサって超わかりやすくなるんだもんな。楽しかったけど、まあ、同僚が落ち込んでるのを面白がるのもそんないいことじゃないしね。コイツ、表情には全然出ないし不器用だし口下手だけど、けっこう感情豊かだからさ。イオちゃんもあんまイジワルしちゃダメだよ」
 同僚はそこまで言うと、「さて」と立ち上がった。
 「とっておきを話せてよかった~! じゃあ俺帰るわ。あ、イオちゃん、レンジャー達からのホワイトデーを用意してあるから帰りに受付に声掛けてね。マサの分だけはマサから直接受け取って~」
 「え! あ、あのっ」
 イオの上ずった声もあえて聞き流し、「バイバ~イ」と逃げていく同僚。後にはポケモン達と、イオ、そして顔の上げられないマサギが残った。
 「……。」
 「……。」
 ポケモン達が遊んだり、寝床に帰ったりする中で、人間二人の間にのみ沈黙が流れる。
 ガラスの向こうの空がだんだんと薄闇に染まりだした頃、先に「マサギさん」と声を掛けたのはイオだった。
 「……はい」
 「あの……迷惑でしたか? 皆さんの分のバレンタイン……」
 「! いえ」
 少し萎れたようなイオの声で、マサギは弾かれたように顔を上げた。ポケモン達はやっとマサギから離れていたので、きくようになった体の自由を使ってイオの前に片膝をつく。
 「そんなことはないす。……すいません、俺のせいで気を遣わせて」
 「いいえ、そんな」
 「いや、俺が悪いす。俺が……その……勘違いしたせいで」
 先ほどまでまったく見られなかったイオの顔を、今度はしっかり前から見つめる。翠の瞳が揺れているように見えて、胸がゆるりと締め付けられた。
 「……コウは、ああ言いましたが……来年も、管理人さん……イオさんの好きなようにしてもらって大丈夫す。ちゃんとあの日、最後にいただきましたし」
 「マサギさん……」
 マサギは手を伸ばして、イオの額に掛かる前髪を払う。何とか言葉を探しながら、たどたどしく続けた。
 「……すいません、大人げなくて。頭では、ちゃんとわかってたはずなんすけど……何て言うか、気持ちが……全然、追い付かなくて」
 イオのことになると、自分でも戸惑うくらい心が乱れる。まるで、心だけイオと同年代の少年時代に戻ってしまうようで、いつも冷静になってから恥ずかしくなるのが最近のマサギだ。
 「……もう、大丈夫す。バレンタイン、ありがとうございました」
 掌でイオの片頬を包むように撫でる。桜の花びらのようにつやつやと滑るなめらかな肌が、ほんのりと色づいた。
 「……それなら、よかったです」
 イオが顔をほころばせる。花の咲いたようなその笑顔を見て、マサギもふと唇が緩くなるのが自分で分かった。
 「帰りましょう、イオさん。渡したいものがあります」
 「はい。シオン、帰ろう。カタバミ、またね」
 えう!
 イオの言葉に、日光浴をとっくに終わらせたシオンが返答する。カタバミも薄闇に溶けるように身体を横たえ、ゆったりと瞳を閉じた。周りに小さなポケモンが集まり、カタバミに寄り添って丸くなる。マサギもりきち達を呼ぶと、三匹は素直にボールに戻っていった。
 イオが先に歩き出す。マサギはすぐに追いついて隣に立ち、
 「イオさん」
 「はい?」
振り向いた彼女の耳に、唇を寄せた。
 ここはまだレンジャーの空間だが、大目に見てほしい。もう、退勤時間は過ぎている。
 「俺の特別も、あなただけです」

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