トレーナーのすべきこと
「パウちゃん、『みずでっぽう』!」
「なんのなんの、タマちゃんも『みずでっぽう』だ!」
びしゅん! ばしゅん!
アミュレ・パウちゃん(タマザラシ)VSミユキ・タマちゃん(パウワウ)で始まった新人トレーナー同士のポケモンバトル。お互い初心者の少年少女が出す指示は和やかな雰囲気が続いていた。パウちゃんもタマちゃんもお互いの『みずでっぽう』を避けたり、まともに被ってびしょ濡れになったりしては『みずでっぽう』をやり返す。2匹ともみずタイプなので、『みずでっぽう』の効果はいまひとつ。双方ともに体力はちっとも減らないので、戦況は泥仕合ならぬ水仕合といったところだ。しかしミユキもアミュレもそこは初心者同士ならではのペース。進まぬ戦況にも特に疑問もいらだちもなさそうで、むしろ2人ともニコニコ楽しそうに笑っている。
「きゃー! お水飛んできた!」
「わ! 大丈夫だか?」
「えへへ、平気だよ! お返し!」
「わぷ! ……ふへへ、おらも濡れつまっただあ」
「……『バトル』というより、『水遊び』だな」
少年少女の様子を見ている審判のドティスは、戦況を以上のようにまとめた。隣ではメブキジカのアスピリンが、のんびりとあくびした。
ほぼ初めてのバトルを楽しんでいるのは結構、とはいえ。
「2人とも。ポケモン達は、使えるわざの回数に限度があるぞ」
このままではさすがに日が暮れるので、ドティスがそれとなく初心者トレーナー達に呼びかける。ミユキもアミュレも、「へえーっ」と目を丸くした。
「そうだったんかあ。知らんかったなあ」
「じゃあ、他のわざも試してみよう! えーっと……パウちゃん、『ころがる』!」
アミュレがびしっと指差して、パウワウ……もといタマザラシに指示を出す。すると、タマザラシの目がキラリと光った。
タマザラシ……もといパウワウのタマちゃんに狙いを定め、
ゴロゴロゴロゴロ!
そのほとんど完全と言ってもいい球体の身体を、一直線に転がしてきた。
「わ、わあ~!」
ぱ、ぱう……!
突然物理的に上がったバトルのスピード感に、ただでさえのんびりやのミユキは置いていかれた。どうしていいかわからないまままごまごして、
どーん!
ぱう~っ!
あっという間にタマちゃんの白い身体が、青いボール体に轢かれて吹っ飛ぶ。
「わ、タ、タマちゃん!」
どさっと重い音を立てて地面に落ちたタマちゃんに、思わず駆け寄ろうとするミユキ。その途端、
「ダメだ! バトル中にフィールドに入るな、危険だ!」
ドティスの声が飛んできて、慌てて身を引いた。
「そ、そうか……! タマちゃん、平気け?」
ぱう~……。
仕方がないので、今立っているところからタマちゃんに呼びかける。パウワウはくるくる回しかけた目を、頭を振って元の状態に戻した。ミユキが「えかったあ」と、ほっと息を吐いたのも束の間。
「まだだ、『ころがる』は連続攻撃だ。また来るぞ!」
ドティスの声が聞こえると同時に、タマザラシが軌道を変えて、こちらにUターンしてきた。これにはわざを指示したアミュレ自身も、目をキラキラさせて驚いている。
「すごーい、パウちゃん! がんばれ、いけいけ~!」
「えっ、ええ~!」
ミユキがびっくりしている間に、パウちゃんは復路を転がってくる。
どーん!
ぱうっ!
「! タマちゃん!」
あれよあれよという間にパウちゃんは帰ってきて、再びタマちゃんに体当たり。そしてそのままパウちゃんは、3回目の『ころがる』の軌道に入った。
「ええと、どうすれば……!」
「対処法を考えて指示を出すのが、トレーナーのするべきことだ。基本的にポケモンは、トレーナーの指示なしに、勝手に考えて行動することはない」
ドティスの言葉に、ミユキはさらに焦る。
「し、指示?」
「そうだ。避けるにしろ、迎え撃つにしろ、ポケモンの動きはトレーナーが決めて指示を出す。それがポケモンバトルだ。お前のポケモンは、お前が指示を出さなければ動けない」
「な、なるほど……」
考えてみれば当たり前のことだが、ミユキにとってポケモンバトルの全てが初めての体験。ドティスの言葉に、目から鱗が落ちていく。が、納得している暇はない。
「ええとええと、じゃあ、タマちゃん、避け……」
どんっ!
ぱ、ぱう……っ
ミユキが指示を出す前に、3回目の『ころがる』がタマちゃんに襲い掛かる。心なしか、先ほどよりもパウちゃんの転がる速度も、タマちゃんが吹っ飛ぶ高さも増している。ミユキは思わず眉を八の字にして、ドティスを見てしまった。
「……『ころがる』は、回数を重ねれば重ねるほど威力が上がっていくわざだ。ぼーっとしてると、どんどん速く、重くなっていくぞ」
「そ、そんなあ……!」
これにはミユキは頭を抱えてしまった。ただでさえ鈍臭い自分が、速さを増していくパウちゃんの動きを見切って、タマちゃんに回避を指示できるとは思えない。そもそもタマちゃんは連続で『ころがる』をまともに受けていて、身体にダメージが溜まってきている。無理に動くことは指示できない。
「い、いってえどうすりゃええだ……」
ミユキは全身に冷たい汗が噴き出るのを感じた。胸の辺りがぎゅうっと痛くなって、寒くもないのに喉が締まる。
この嫌な感じを、少年はよく知っている。自分が家事や仕事を失敗した時、家族からそれを咎められた時と、同じ感覚。
――何してんだ、このノロマ!
――お前はホントに鈍臭いねえ。
――いつまで経ってもとろいんだから。
――そんなんで、ポケモントレーナーなんてなれるわけないだろ。
「……やっぱり。やっぱり、おらには……トレーナーなんて……」
パウちゃんが4回目の『ころがる』の態勢に入る。ミユキが目をつむってしまった、その時だった。
ぱう!
「!」
タマちゃんの声が聞こえて、ミユキは目をパチッと開けた。見るとボロボロになったタマちゃんが、それでもひれを使って立ちあがっている。あしかポケモンの黒い瞳が、まっすぐミユキを見つめていた。
「……! タマちゃん……!」
立ちあがって、ミユキの目を見ているタマちゃん。バトルのことは何もわからないミユキだが、タマちゃんの目からは、たったひとつだけわかることがあった。
――タマちゃん、おらの指示を待っとるんだ。
おらのこと、諦めねえで、待っとるんだ!
そう感じた瞬間、ミユキの背から冷たい汗が吹き飛んだ。締まった胸がじんわりと熱くなる。
「パウちゃん! もう1回『ころがる』だよ!」
アミュレの声が飛んできた。彼女の声を聞き届けてか、パウちゃんがとんでもない速さで突っ込んでくる。
しかし、今度のミユキは惑わなかった。
――タマちゃん、ごめんな。おら、もちっと、気張ってみるだよ!
「タマちゃん! 『ずつき』だ!」
ぱうっ!
ミユキの指示を受けてすぐさま、タマちゃんは頭を突き出した。パウちゃんの突っ込む先、タマちゃんの白い頭が、短くもそこそこ固くて尖った角が、きらんと光り――
タマァ!!
ぎゃるるるる!
パウちゃんは突然軌道を逸れた。
「パウちゃん!?」
「それはまあ、そうだろうな。あんな速さであの角に突っ込んだら相当痛い」
アミュレの戸惑いに、ドティスが冷静に返す。
軌道を変えてしまったパウちゃんは、そのせいで減速してしまった。
「や、やった! パウちゃんが、ちっとだけ止まっただ」
ぱうぱう!
喜ぶミユキに呼びかけるタマちゃん。あ、そうか、とミユキはあたふた指示を出す。
「タマちゃん、今だ! 『ずつき』!」
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