落ち零れの火

 十数年前。熱砂の国の何処かにある蜥蜴人《リザードマン》の集落で、少年達が戦士の訓練を受けていた。
 灼熱の炎天下でも機敏に動くリザードマンの家からは、国を守るための戦士が多く輩出される。この集落の少年達もまた、自分の得意な武器を見つけて戦えるようになるべく、退役した自分達の父や祖父から教えを受けているのだ。
 青空の下、滑らかな鱗を煌めかせて木剣を振る戦士の卵達。しかしその中でひとりだけ、鱗の代わりに髪を振り乱す子どもがいた。鱗のない前半身の肌は日射に焼かれて黒く、汗がびっしりついている。背丈は周りの少年らに比べて低く、尻尾も比較的細い。
 彼は上がりっぱなしの息を整える。疲れの見える顔のまま、自棄のように腕を振り上げた。
 「ヤァッ……!」
 しかし相手の子リザードマンは、剣の腹で一撃を難なく止めてしまった。そのままぐいと押し返し、体勢の崩れた少年にバシリと払いを食らわせる。
 「痛ッ!」
 「ギャハハ! 弱虫『毛虫』のアッスーナ、口が達者でも腕っぷしがこんなんじゃカッコつかねぇなあ! ほらほら、もう終わりかよ?」
 蜥蜴の顔をした相手はその目を細め、ニヤニヤ笑いながらちょいちょいと指招きする。少年――アッスーナは強かに打たれた頬を抑えて、
「ッるっさいなァ!」
腰を低めて突進した。相手の懐に上手く入り、木の切っ先を突き出す。
 が、
「おっせぇ!」
相手の一声が聞こえるや否や、柔らかい腹に重い膝蹴りが入った。アッスーナは思わず「ぐっ」と唸り、そのまま吹き飛ばされて今後こそ地に落ちる。
 「そこまで」
 地面に臥せった瞬間、ちょうど稽古終了の呼び声が聞こえた。だが、アッスーナの身はその声でびくりと固くなる。臥せったままちらりと目線だけで辺りを窺うと、果たしてそこには声の主、アッスーナの実父が彼の頭のすぐそばで立っていた。
 「アッスーナ、お前は残って引き続き訓練すること。他の者は本日これにて終了、戻ってよい」
 父はこの集落では一番の戦士だ。いつもは都市に出向いて守人の任に就いているが、たまにこうして集落に戻り、指南役を務めている。アッスーナにとって、一番嫌いな師匠だ。
 「はぁ~、終わった終わった」
 「おーい『毛虫』、お前もさっさとノルマを終わらせろよ~」
 「バカ、アイツが終わらせられるわけないだろ?」
 「それもそうか! ギャハハハハ」
 少年達は好き勝手なことを言い、ゲラゲラ笑いながら引き上げていく。広場にポツンと残されたアッスーナは、いっそ父がこのまま自分を捨て置いてくれないかと期待して倒れたままでいたが、ドスンと木剣の先を目の前に刺されたのでそうもいかないと悟った。
 ならば、と一応弱音を吐いてみる。
 「……父さん、体が痛い」
 「お前の半分は人間だ。リザードマンの体よりも弱い故に痛みも当然。だからこそ他より鍛えねばならん」
 まさに一刀両断。顔を上げなくても父の冷たい視線を感じる。とうとうアッスーナは諦めて、のろのろと痛む体を起こした。
 「素振り千回、終わるまで帰ってくるな」
 父はそう言うと、背を向けて歩きだす。アッスーナは地面に座り込んだまま、父の尾で揺れる緑色の炎をぼんやり眺めていた。
 「半分人間なのがわかってンなら、普通逆に加減するもんじゃねェの」
 小声で悪態を吐くアッスーナ。周囲も半人間の自分に対して、いつも父と同じことを言う。彼ら曰く、父の名声や半分人間であることがアッスーナの劣等感にならないよう、父なりに愛をもって敢えて厳しくしているのだそうだ。だが、アッスーナにとっては迷惑千万でしかない。いくら鍛えても向いていないものには向かない。
 アッスーナが考えるに、それでも父が息子たる自分を鍛えるのは、結局は父の面子を保つためだろう。名戦士たる男の息子が軟弱者では、きっと親が困るのだ。
 ――それなら、弱い人間となんて結婚しなけりゃよかったのに。
 母の話は滅多に耳にしない。今は亡き祖母から、幼い頃に数度聞いたきりだ。母は隊商の一員で、父とお互いの旅の途中で恋に落ちたらしい。ちょうどその時ハルリティアの祝福の季節が訪れ、二人の間に生まれた嬰児がアッスーナだった。
 しかし父は母と別れ、赤ん坊のアッスーナを引き取った。アッスーナには、父の故郷でもあるこの集落の中での記憶しかない。なぜ父が母と別れたのかも、なぜ父が弱い半人の自分を引き取ったのかも、今のアッスーナに知る術はない。
 ――なんでオイラは生まれたんだろう。
 アッスーナはゆっくりと剣の柄を握った。いつの間にか太陽は西の地平線に沈み始めていた。赤い西日を背に受けて、東の夜空を見た彼は、そのままぎゅっと目を瞑った。

 ねェ、ハルリティアさま。
 父さん達が受けたのは、本当にアンタの祝福だったの?

 オイラは祝福なんていらないからさ。
 ただ、それだけ教えてよ。

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