ねがいごと

 「ジラーチはどんな願いでも叶えてくれる言い伝えがあるんだって! ナナちゃんにも、何か叶えてほしい願い事ってある?」
 アッ君は、にっこり笑って私に尋ねた。
 七年前の面影を残す、アッ君の笑顔。目尻を下げて八重歯をちょっと見せる笑い方は、子どもの頃から変わらないと思う。
 でも――どうしてだろう。昔と変わらない笑顔のはずなのに、アッ君が何だか苦しそうに見えるのは。大人になった分、顔つきが変わったから? 眼鏡をかけているから? 声が低くなったから?
 それとも――ジラーチという幻のポケモンに頼らなければならないほどの、大きな願い事を抱えているから……?
 「えっ……と、私は……」
 私は質問の答えを考えながら、頭のどこかでもうひとつ、別のことを考えてしまう。
 「そ、そうだなあ……。夢や目標ならいっぱいあるけど。願い事っていうと、なかなか思いつかない、かも」
 「そうなの? 例えば、どんなこと?」
 ――アッ君がジラーチにお願い事をするとあっさり言った時。素直に言うと、私はびっくりしてしまった。
 「え、ええと。メガシンカの研究で成果を出すこととか……そのために、バトルももっと上手くなりたいし、会いたいポケモンもいっぱいいて……」
 「すごい! そのために、ナナちゃんはがんばってるんだね」
 「そ、そんなことないよ! アッ君に比べたら、私なんてまだまだ……」
 「僕?」
 私はぶんぶん首を振って頷く。そう、アッ君こそ、私よりも遥か先に――七年前に、『色んな世界をその目で見てみたい』という夢のために自ら行動したんだ。お家にも帰らずに、私とろっくんとも離れて、アッ君は旅に出た。そしてこの七年で、ポケモンポリスになるという夢も、世界を見るという夢も、国際警察官という姿になることで遂に叶えた。
 「……アッ君こそ、本当にすごいよ。アッ君は出会った頃からずっとすごい人。いつも明るくて、優しくて、夢のために旅に出るほどがんばりやさんで。私、アッ君のこと、子どもの頃からずっと尊敬してるよ」
 だから、そんなアッ君が、あっさりと『自力では叶えられない』と言ったのが意外だった。大きな夢を二つも同時に叶えるほどの努力ができるアッ君でも、叶えることのできないお願い事って何だろう。ジラーチの願いを叶える能力の噂は私も聞いたことがあるけれど、そもそもジラーチは千年に一度しか目覚めないといわれる幻のポケモンだ。そんな、実在するかもわからないポケモンの力を頼らなければならないほどのお願い事って、一体……。
 「……僕のこと、そんな風に思ってくれてたんだ」
 「うん。尊敬もしてるし、でもちょっと心配もしてる。子どもの頃は絆創膏だらけだったじゃない? 今もこのコートの下、包帯だらけだったらどうしようって思っちゃう」
 「あはは、ごめんね。今はそこまで無茶してないよ!」
 アッ君は笑う。どんな時でも、私といる時のアッ君は、笑っているイメージだ。子どもの頃の泣き虫な私は、いつでも笑っているアッ君の明るさが好きだった。今ももちろん、嫌いじゃない。
 でも、大人になった今はもう、好きだけじゃいられない。あんなに一緒にいたのに、幼馴染の明るい笑顔しか知らないなんてことはできない。
 ねえ、アッ君。
あなたの笑顔に影を落とすほど、背中に負っている大きなお願い事って何?
 「……あのね、アッ君。私、もう一つ、目標があるんだった」
 「ん? なあに?」
 アッ君が小首を傾げて、私の目を真っ直ぐ覗き込んだ。吸い込まれそうな赤色にどきっとしたけど、手元の飲みものを一口飲んで、何とか落ち着く。
 「アッ君に、お礼すること」
 さあっと風が吹いて、薄い雲が太陽を覆った。私のいる日向が暗くなる。アッ君の赤色の瞳が揺れた、気がした。
 「僕に? あはは、そんなのいいよ。飲みもののことなら、気にしないで」
 アッ君はさっと瞼を閉じて目尻を下げ、笑って手を振る。見えなくなった瞳を、私はそれでも首を振って瞼越しに見つめた。
 「ううん、それだけじゃないの。覚えてる? 合宿の最後、アッ君とお別れする時に私が言ったこと。アッ君が合宿に連れて来てくれたおかげで、お友達もいっぱいできたし、私も旅に出れた。だから、あなたにまた会った時に、必ずお礼するって言ったの」
 もしかしたらアッ君は覚えていないかもしれない。もう七年も前に交わした約束だから、忘れていたって仕方ない。でも、私はずっと覚えていた。
 「あの合宿がなかったら、きっと今の私はいなかった。ずっとお家にこもりっぱなしの、世間知らずのお嬢様だったと思うの。今もまだ、知らないことやわからないことだらけだけど……少なくとも、七年前よりは、できることが増えたよ」
 七年前のアッ君が、『わたし』の未来を作るきっかけをくれた。
 だから今度は、『私』の番だ。
 「……僕は本当に何もしてないよ。ナナちゃんが自分でがんばったんだよ」
 アッ君は手袋を嵌めた手を握りこむ。そう言うと思った。本当に、優しいひとだ。たぶん遠回しにお礼なんていらないって、そう言っているんだろう。
 ――だけど、ここでこの話を終わらせてしまったら、もう二度とこの約束を果たせない気さえする。だってアッ君は国際警察官だ。今度はいつ会えるのか、そもそも会う機会があるのか、わからない。会ったところで、国際警察官の彼の助けとして私にできることなんて、きっとない。
 ……それなら。
 「じゃあ、目標じゃなくて、お願い事にする。ジラーチじゃなくて、アッ君に叶えてほしいな」
 昔から私は、アッ君にお願い事してばっかりだ。いつも『待って』と彼の足を止めてきた。いつも止まってくれる彼に、甘えてきた。でも、こんなに表立ってお願いすることはなかったかもしれない。心臓がドキドキして、弾けてしまいそうだ。
 ごめんね、アッ君。こんな言い方、ずるいよね。
 でも、私、どうしても。
 「アッ君。私、もっとアッ君といたい。昔みたいに、アッ君と歩きたい。だから、ジラーチを探すの、私にもお手伝いさせてほしいな。一緒に探す人が増えれば、きっと見つけやすくなるよ」
 せめてこの遊園地にいる間だけでも、『わたし』と『あなた』に戻りたい。
 「アッ君のお願い事、私にも叶えるお手伝い、させて」
 あなたのお願い事が、何かはわからないけれど。
 あなたの未来を作るきっかけができるのなら、私はそれをしたい。

 私の足元をしゅるりと優しく、ろくたの尻尾が包んでくれた。

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