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炎に魅入られるわたし達
「赤だけじゃないのね、炎って」
彼女の――ヒナさんのその言葉を聞いた時、わたしはどきりとした。なぜならその想いは、かつてわたしも抱いたことがあるからだ。
「こんなに沢山の色を見るまで、気づいていないことに気づかなかった!」
アザラインか誰かの炎に照らされて、ヒナさんの頬は輝いていた。その薄紅を見て、わたしの頬にも熱がうつる。
「『あの人』の見る世界を見たい。憧れてしまったの。トニさんならわかってもらえるかしら」
その言葉で確信した。だって熱さを通り越して痛いくらい、彼女の気持ちがわかるから。わたしにも見たい世界がある。通してみたいレンズを持っている人がいる。
――ああ、この子はまるで旅立ちの日のわたしだわ。
ヒナさんのテントの前でノックしようと右手の甲をテントに向けて、しかしテントにドアがないことを思い出したわたしは、しばらく迷ってから声を代用することにした。
「ヒナさん、トニです。失礼します」
バッ! 言い終わるが早いか否か、テントの入り口が勢い良く開く。テントの中からランプの光が溢れ、その白熱色を背中に受けながらヒナさんが現れた。
「こんばんは! どうぞ入って!」
声が裏返りそうになっているわたしとは対照的に、ヒナさんは先程とほとんど変わらず元気で明るい。彼女は誰かと親睦を深める交流をすることに慣れているのだろうか。その点はわたしと反対だな、と思う。わたしは同年代の女の子とは、ほぼお話せずにマイペースに絵を描いてきたから。
恐る恐るテントをくぐるわたしを見て、ヒナさんは小首を傾げた。
「トニさん、何だか緊張してる?」
「だ、大丈夫です。あまりこうした経験をしてこなかったものですから……」
唇をどうにか持ち上げながら言い訳を言うと、向かいの丸い桃色の瞳がぱちぱち瞬いて、すぐ柔らかい弧を描いた。
「じゃあ、せっかくなら楽しまなくてはね! どうぞ座って。エネココアをいれたの!」
ヒナさんの口の動きはまさしく十代の女の子らしく、弾けるように少し早い。でも、それがわたしにはかえって良かった。彼女の元気で楽しそうな雰囲気を受けると、こちらまで心が踊る。
「ありがとうございます、いただきますね」
テントのシート越しに地面に座ってマグを受け取る。立ち上る湯気をかきわけるようにして甘いココアを一口飲むと、ほうと緊張が溶けていった。
「おいしい?」
「はい、とっても」
「よかった!」
花咲くように笑うヒナさん。笑ったり、ヴィオレさんの素っ気なさに頬を膨らませたり、ヒナさんは表情豊かな女の子だ。こういうひとのこともまた、表現者と呼んでもいいのではないか、と思う。
すると、ヒナさんの視線がわたしの左側に移った。
「トニさん、それは何?」
「こちらですか。ええと……」
わたしは左肩から掛けていたトートバッグを開ける。調査隊としてのキャンプの準備用品の中に紛れ込ませた、休みの日にいつも使っているトートバッグ。中身は文房具と画材、そしてスケッチブックだ。
「わたしは口下手ですので。こちらをお見せしながらお話しした方がいいかと思いまして」
スケッチブックを取り出すと、ヒナさんが「見てもいいの?」と手を差し伸べる。わたしは「はい」と答えて冊子を手渡した。絵を誰かに見せることもめったにないから、また緊張が戻りかけている。
一方、表紙を開いたヒナさんは、
「素敵!」
たちまち笑顔で声を上げた。その輝きは、まるで突然の春風にぶわりと吹き上げられた花吹雪のようだ。
「これ、トニさんが描いたの?」
「はい」
「上手!」
「恐れ入ります……」
ヒナさんの屈託のない声の響きで、わたしの頬に熱がじわじわ上る。自分以外の人に自分の描いたものを見てもらうことは、こんなにくすぐったいことだったろうか。
すると、ヒナさんは「あ」と声を上げた。
「これ、もしかしてカキョウさん?」
言葉とともに向けられたページには、彼女の言うとおり、ダグシティジムジムリーダーが描かれている。隣にはカキョウ先生のパートナーであるエンブオーのアグニさん。そして彼らと向かい合っているのは、アローラ地方の土地神と言われるポケモン、カプ・コケコだ。
「はい。復活祭の夜の絵です」
「トニさんもあの場にいたのね! わたしもこのバトル、見ていたわ」
「まあ! そうだったんですか」
わたしは嬉しくなってしまう。わたし一人だけがギャラリーとなるにはもったいなかったあの鮮烈なバトルを、他にも見たひとがいるだなんて。しかもそのひとが、このヒナさんだなんて。
ヒナさんは、鉛筆だけで描かれたモノクロのスケッチを見て瞬きをする。
「この絵は完成させないの?」
「こちらはラフスケッチでして。その……これとは別に、キャンバスに色を乗せているんです。上手く色が再現できなくて、まだ完成していないんですが……」
しまった。わたしの些末な悩みごとを話すつもりではないのだ。わたしは慌てて言葉を切り替える。
「そのバトル、とても素敵でしたよね」
「ええ! わたし、あの時とってもゾクゾクしちゃった」
「わかります! 雷と炎がぶつかり合う衝撃、すごかった。急いで描いたのだもの」
ふふ、とヒナさんが微笑んだ。わたしが何だろうと思って首を傾けると、「『です』『ます』が取れてる」と言ってくふくふ笑う。わたしの頬がかっと熱くなった。
「あっ、失礼しました……」
「いいのよ。それだけ夢中になれるバトルだったってことよね」
「はい……。でも、ヒナさんも見ていてくれてよかったです。あの時のお話を誰かとできるのがすごく嬉しい」
ヒナさんはにこにこしながら、マグに新しいココアを注いだ。
「トニさんは最初からあの場にいたの? わたしは途中から見ていたわ」
「いえ、わたしもカキョウ先生もプライベートでしたので、あのバトルを見たのは偶然です。キーロ……わたしのブビィがバトルに気づいて。わたしも途中から見ていました」
わたしは、はたと思い出してトートバッグからフィッシュアンドチップスの袋を取り出した。お話するのに夢中になって、おみやげを渡すのをすっかり忘れてしまっている。「お茶うけです」といって開けると、ヒナさんは「ありがとう!」とさっそく手を伸ばしてくれた。
わたしはヒナさんの手元から、自分の手元のマグの中身に目を移す。ココアは少し波立っていた。
――ヒナさんになら、ちょっとだけ、わたしのことを話してもいいかしら。
わたしはもう一度、ヒナさんの方を見た。
「……ヒナさん。わたし、ヒナさんの気持ちがわかります」
「わたしの気持ち?」
チップスを飲み下してから聞き返すヒナさん。わたしはこくんと首を縦に振った。
「ええ。わたしにも、いるんです。その人の目を通して世界を見てみたい――そんな人が」
この言葉が、わたし達が出会ってすぐに交わした会話の続きだと、ヒナさんにはわかったらしい。彼女は悪戯っぽく笑った。
「それってもしかして、カキョウさん?」
「わかってしまいますか」
「だって、カキョウ『先生』って呼んでるんだもの」
「ふふ……そうですよね。普通、ジムトレーナーであってもジムリーダーをそのように呼ぶことはないでしょう」
わたしもつられて笑いながら、ココアを飲んで話を続ける。
「わたし、イッシュ地方のヒウンシティの生まれなんです。そこでもアーティストがジムリーダーをしていて、わたしはいろんな作品を見ながら育ちました。……でも、それでも気づいていなかったんです。世の中に、赤色じゃない炎があることに」
ヒナさんはマグを掌で包みながら、ぱちぱち瞬きして聞いてくれていた。わたしはできるだけ短く話が済むように、頭の中を大忙しで整理する。
「初めてそれに気づいたのは、アザライン――わたしのエンブオーに出会った時でした。意外な色に感動して、それがきっかけで世界の色を見てみたいと思って旅に出たんです。……そしてたどり着いたのが、ダグシティだった」
整理整頓中のわたしの脳裏に、かつての記憶がよみがえる。わたしがまだただのポケモントレーナーだった頃、カキョウ先生とバトルした時のこと。
あの時のバトルも、こちらを溶かし、焼き尽くしそうなくらい激烈だったのを覚えている。
「もはやショックと呼ぶレベルでした、カキョウ先生とのバトルは。あまりに衝撃的で、つい、彼の芸術(バトル)に取りつかれてしまったのです。旅をやめて、ジムトレーナーとして彼をサポートし続けることを選ぶほどに」
わたしはマグを握り直した。中身は少し冷えてしまっているけれど、テントの中も、わたしの胸の内もこんなに温かいから問題ない。
「ヒナさん、わたしはとっても嬉しい。わたしのかわいいアザライン達を見て、あなたが旅立ちの日のわたしと同じことを思ってくれたことが。きっとあなたなら、カキョウ先生とのバトルも、大いに楽しんでくださるでしょう。――ぜひ、挑戦しに来てくださいね。わたし達のジムリーダーに」
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