「いちばん見せたくない」

 ――時は少し遡る。
アンジュはその時、遊園地のステージの裏側にある出演者控室から出たところだった。自分のパフォーマンスの順番まで時間の余裕を残したうえで、ステージ衣装にバッチリ身を包んだ彼女は、すれ違う人々にさわやかに挨拶していく。
 「アンジュさん、お疲れ様です! 今日はよろしくお願いします」
 「お疲れ様。今日はよろしくね」
 「アンジュさん、どちらに?」
 「パフォーマンスの最終調整をしてくるよ。なに、すぐ戻ってくる」
 そう言ってスタッフに軽やかに手を振るアンジュ。――だったが、ステージの裏口から外に出た途端、
「……ッはぁ!」
胸に手を当てて盛大に溜息をついた。それを聞いているのは、足元に寄り添うカシューだけだ。
 「あー、緊張なんてガラじゃないんだけどな、オレ……。カシュー、オレ、大丈夫だった? ちゃんと王子に戻れてたかい?」
 ふぃ~あ
 カシューは苦笑したような顔で鳴く。たぶん、大丈夫といえば大丈夫だったのだろう。相棒から返事を聞いたアンジュは、カシューのマネをするように苦笑いを浮かべた。
 「まったく、クルールの奴にはしてやられたよ。いつの間にあんなイタズラ好きになったんだろ? イタズラはオレ達の領分だったのになぁ。また会ったら、久しぶりに何か仕掛けてやろっと」
 ふぃ……
 カシューは呆れたように目を細めた。この主人は、7年前の自分のイタズラがきっかけであんな「お返し」をされたとわかっているのだろうか。それでまた何か仕掛けようものなら、きっとオタチごっこになるばかりだ。
 カシューの心配をよそに、アンジュは「よし」と両手で頬を軽く叩く。
 「切り替え切り替え。オレは王子、もう姫じゃない。よしカシュー、最終調整だ」
 アンジュはスマートフォンを取り出した。パフォーマンスの動きを映像で確認するために起動したのだが、そこでちょうど、通知音がひとつ鳴る。
 「ん? ……ああ。カシュー、ご覧。ちょうどあのバカも何かやるみたいだ」
 彼女はカシューの目線に合わせてしゃがみ、スマートフォンの画面を見せた。通知から開いた画面の大部分はまだ真っ暗だったが、上の方に小さくテロップがついている。もちろんリーフィアに読むことはできないので、アンジュが音読する。
 「『レイメイの丘メモフェス生配信』だってさ。やっぱりアイツも来てるんだ。しかもなんだ、コイツの配信時間、オレのパフォーマンスの時間よりちょっと早いくらいじゃないか。こんな変なところで双子の被り特性、発揮しなくたっていいのにな」
 ふぃあ
 「……うん、パフォーマンスが終わったら探しに行こうな。アーモンド達に会いに行こう。いい加減、このバカとも決着つけないとね」
 カシューのトーンを落とした声に、アンジュは頷いた。スマートフォンを持っていない左手が、知らず知らずマントの裏のボールを撫でている。カメックスのココ、ブーバーンのヘーゼル、そして、モジャンボのサラダのボール。みんな、画面の向こうにいるはずのアーモンドと「バカ」を知っている。みんな、アンジュがただパフォーマンスのためだけにこの遊園地にきたわけではないことも知っている。彼女が今回、パフォーマンスの得意なシャンデラのウォルの代わりにバトルの得意なブーバーンのヘーゼルを連れているのは、「バカ」――もとい彼女の片割れと会って「話」をするためだ。
 少し過去の話をすると、アンジュが片割れの配信活動を知ったのはつい最近のことだった。趣味として通うバトルシャトーでのポケモンバトルの参考にしようと、サイトでバトル動画を見て回っていたのがきっかけだ。いわゆる「おすすめの動画」で彼と彼の相棒の顔が見えたとき、アンジュは危うくスマートフォンを取り落とすところだった。画面の向こうの彼は、最後に見た彼の顔をしていなかった。4年前、まだ自分達がポケモンリーグで大敗を経験する前のような、キラリと光る眼で画面のこちら側に話していた。ただし、その光はパソコンのディスプレイの形をしていたが。
 弟や両親が彼の動画を知っているのかはわからなかったが、ネット世界の身内のことほど下手に話すと危険なものもないから、ひとまずアンジュはひとりで彼の動画を見ていくことにした。動画の中で、彼は4年前のことなどなかったかのように笑ってバトルしていた。恐ろしいほど、子どもの頃と変わらぬ顔だった。彼はバトルに勝ってはふんぞり返ってコメントを求め、負けては荒れてコメントにムキになる。アンジュは、ずっとコイツは変わらない、と思いながら、今もずっと動画を見続けている。
 レイメイの丘からメモリアルフェスタの招待状が来たときは、片割れが来るかどうかわからなかったが、今のアンジュは配信前の画面を見て納得していた。
 ――なるほどな。こういう建前ならお前も来れるね、ノヴァ。
 「待ってろよ。今度はオレが追いかけてやる。もうこんな面倒なことやめようぜ、ノア」
 呟いたアンジュのスマートフォンを握る手に、ほんの少し、力が加わった。
 するとふいに、カシューの耳がぴくんと動く。
 「どうした、カシュー?」
 カシューが耳をそばだてて、数歩先を歩き出した。アンジュが立ちあがって後を追う。
 リーフィアの足はだんだんと速くなる。森を吹き抜ける風のように走るカシューは、とうとう「関係者以外立ち入り禁止」の柵を超えて遊園地の表通りに出てしまった。やっとのことで追いついたアンジュの目には、カシューの隣にもう1匹、ブラッキーが映った。
 「ん? その子は友達? カシュー」
 アンジュの呼びかけに、ぎくりと背後で誰かが足を止めた。その気配に、アンジュは後ろを振り返った。

 そして、至る現在。
 「ねぇ、アン姉。アン姉とアン姉のポケモンは、幸せ?」
 背後の誰かの正体――弟のジュノのその問いに、アンジュはきょとんと眼をしばたいた。
 「どうしたんだい、ジュノ。出会い頭に難しいことを聞くんだね」
 正直な感想を伝えても、ジュノの曖昧な微笑みは動かない。なんだか見ていて、寂しくなるような顔だった。
 ――この子、こんな顔する子だったかな。いや、7年もあれば変わるか。
 線が細い印象は10歳の頃と同じだ。昔からジュノはどちらかというと母親似だった。だが、高くなった背丈と低くなった声が、彼の成長を伝えてくる。そんな大きくなった弟から7年前には聞いたこともないような質問が来て、アンジュは首を傾げてしまった。
 だが、まあ、すぐに答えられる質問を、他の疑問で返したところで仕方ない。
 「幸せだよ、ジュノ。そこそこ幸せさ、オレはね」
 アンジュは笑って言い切った。掌をカシューに向けると、彼はすぐにあごを乗せる。
 好き勝手にあごをすり寄せるカシューを見ながら、アンジュはことばを続けた。
 「でも、ポケモン達のことはポケモン達に聞かないとわからないかな。オレ達は一心同体だが、別の生きものでもあるからね。……聞かれてるぞ、カシュー。お前、今幸せ?」
 ふぃーあ
 カシューはすぐに返事した。アンジュがカシューの顔ごと手をジュノの方に向けると、リーフィアはするりとアンジュの手を抜けてジュノに寄り添う。彼の足元をくるりと一周して、最後に彼のブラッキー、イチゴにすり寄った。
 「――だってさ。ま、たぶんオレと同じなんじゃないか。知らんけど」
 「……アン姉、そーゆートコ変わんないね」
 「おいおい、どういう意味だい」
 ぐしゃぐしゃと弟の髪をかき混ぜるように撫でるアンジュ。ジュノは拒むでもなく、ただきゅっと目を閉じてそれを受け入れた。
 長くなった前髪の下で、ジュノの唇が開く。
 「そうだ、ノア兄は? 一緒じゃないなんてめずらしーね」
 「え? ああ、あー……」
 アンジュはジュノの頭から手を離してあごに当てた。どう話したものか、思案する自分の眉間に皺が寄るのがわかる。
 「ノアは……来てるよ。どこかにいる、どこにいるかはわからないけど」
 「どーゆーこと?」
 アンジュは少し言葉を選ぶのに迷った、が早々に止めた。弟に心配はかけたくないが、嘘をついたりごまかしたりするのはもっと忍びない。とっとと伝えた方がかえってよいだろう。
 「実はここ数年、絶賛ケンカ中なんだ。顔もずっと合わせちゃいない」
 「えっ……ノア兄とアン姉が?」
 ジュノは目を丸くした。兄姉のケンカ自体はジュノにとっても珍しくないはずだが、さすがにいつでも2人1組だった双子が数年単位で顔を合わせていないことには驚いたらしい。アンジュは気恥ずかしくなって頬を掻いた。
 「いやー、大人げないだろ? オレ達も一心同体だが、別の生きものだからね。方向性の違いって言うのかな……オレは離れてそれぞれ好きにやった方が自分達のためだと思ったんだが、アイツにとってはそうじゃなかったらしい」
 話しながら、アンジュはイリーゼに――もとい、クルールに言われたことを思い出した。
 『ずっと一緒だった片割れがぽっかり空いちゃったら、最初はなにで埋めたらいいかわからないと思うんだ』
 『寂しくて、どこにも行けない感覚……クルールはノアくんの気持ち、よくわかると思う』
 ――でも、どこにも行けなかったノアは、今はこの遊園地のどこかにいる。
 「ジュノ、今のノアを見てみるかい? オレもあと少ししたらステージに上がらないといけないんだけど、まあ、あとちょっとくらいならいいだろう」
 アンジュはそう言ってスマートフォンを取り出した。首を傾げるジュノの隣に立って、動画サイトを開く。
 「ノア兄、今何してんの?」
 「ポケチューバー。オレがアイツの動画見てることはナイショだぜ……ああ、ほら、映った」
 アンジュが話している間に、暗かった画面には青年がひとり映った。肩にイーブイを乗せて、こちらに向かって笑っている。
 『ハロー視聴者エブリワン! ノヴァ君だぜ!』
 「……! ノア兄……も、変わっちゃったね」
 ジュノの呟きにアンジュは「だろ」と返す。ノヴァはそのまま話し続けた。
 『今日はレイメイの丘のメモリアルフェスタに来てるぜ! 遊園地レポしてやっからよっく見とけよ~! 珍しいポケモンもいるらしいから見逃すんじゃねーぞ!』
 「……めずらしー……ポケモン」
 ジュノの声のトーンが下がって、アンジュはついと彼を見た。弟は、先ほど自分に幸せかと聞いてきたときの、あの微かに歪んだ目元をしていた。
 「ジュノ? おい、ジュノ」
 アンジュが呼ぶと、ジュノは弾かれたように顔を上げて視線を合わせた。が、すぐにその目を伏せる。アンジュは今度こそ違和感に向き合うことにした。
 「ジュノ、どうしたんだ。なんだか変だぞ、お前」
 「そ、んなことないよ」
 「嘘つけ、姉ちゃんに何か隠してるだろ。お前、昔っから隠しごとなんてできなかったじゃないか。オレとノアのイタズラ、すぐバラしてたし」
 「………。」
 アンジュに責めたつもりはなかったが、ジュノは口を噤んでしまった。画面のノヴァに視線を逃がしつつ、わずかに唇をかんでいる。
 「ジュノ。怒らないから言ってごらん。お前、何でそんなにしんどそうなんだ。どうしてオレに幸せかなんて聞いたんだ」
 「……っ」
 ジュノが大きく肩で息を吸った、その時だった。
 『アーモンド!? 何してんだよ』
 スマートフォンから大音量が聞こえて、ジュノもアンジュも肩が跳ね上がる。画面を覗くと、激しく揺れて何が映っているかもわからない。流れるコメントが状況を伝えてくる。
 え?
 アモ君!?
 どこ行くの~
 アモ君どっか行っちゃった
 突然の鬼ごっこ
 ノヴァ必死じゃん
 「え? アーモンド?」
 アンジュは眉を顰めた。何が起こったかはすぐにわかった。ノヴァの連れていたイーブイ、アーモンドが突然ノヴァから離れてしまったのだ。どうやらアーモンドが自分の意思で駆け出したらしい。揺れる画面から音声は聞こえない。ノヴァがマイクを切ったようだ。
 ジュノも困惑したように画面を見ている。
 「アン姉、アーモンド、どーしたんだろ」
 「わからない……もしかしたら、カシューみたいに誰か昔の仲間に気づいたのかもしれない。でも……」
 言っているうちに、画面が暗転してしまった。カメラまで切ったのだろうか。そうだろうな、とアンジュは思った。アーモンドはノヴァの動画のマスコット的存在で、彼がいないままノヴァが配信を続けるとは考えづらい。――それに。
 「ノアは……ああ見えて、アーモンドに頼りっきりなんだ。アーモンドもそれをわかってて、ずっとアイツのそばにいてくれてる。今、あの子が離れてしまったら、アイツは……」
 アンジュはちらりとスマートフォンの時計を確認した。正直に言って、パフォーマンスまでの時間はもう余裕があるとは言い難い。ここでジュノと一旦別れて戻らなければ、ステージに迷惑を掛けることになるかもしれない。
 ――でも。今を逃すと、きっと大変なことになる。
 双子のカンが、そう言っている。
 ふぃ! ふぃあ!
 足元の声に視線を下げれば、カシューが頷いた。どうやら、相棒も同じ気持ちのようだ。
 アンジュはひとつ頷き返して、覚悟を決めた。
 「ジュノ、おいで。一緒にノアとアーモンドを探そう」
 「え? でも、アン姉はこれから何かするんじゃないの」
 驚くジュノに、アンジュは苦笑してみせる。
 「大丈夫、何とか全部やってみせるさ。あのバカをキレさせたまま放っておくと危険なんだ。何するかわからん、さすがに身内として放っておけない。アーモンドも心配だしね」
 ふぃー!
 カシューも力強く頷く。
 アンジュは、ジュノの頭にポンと手を置いた。
 「……悪いな、ジュノ。たぶんお前には兄ちゃんと姉ちゃんの恥ずかしいところを見せちゃうと思う。でも、きっとお前がいてくれれば、アイツも機嫌直すよ」
 「そーかな……」
 「そうだよ」
 惑うジュノに、アンジュは笑んだ。ああ、今あんまりかっこよくない笑顔だろうなと、自分で思った。
 「オレ達の兄ちゃんはさびしがりやなんだ。会ってやってくれ、ジュノ」

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