ごろごろ雪だるま

 ここはウィグリドの森。フィンブルタウンを南西に抜けた先に広がる、新緑と深緑の森だ。
 ミユキは腰を下ろした切り株から木々の緑を見上げて、しみじみと感嘆のため息を漏らした。
 「すげえなあ。雪が木の上さ被ってねえだ。地面にも氷が張ってねえ。ほんとに、フィンブルの外は春になっと雪が溶けるんだべなあ」
 な、タマちゃん、と切り株の根元に寝そべるタマちゃんに話を振る。タマちゃんは返事のつもりなのか、ぱう、と鳴いて寝返りを打った。
 「あ、そうだ。忘れねえうちに、もらったもんをなくさねえとこにしまっちまおう」
 ミユキは自分の背中を丸ごと覆うほど巨大なリュックを下ろし、自分の前にどっかと置く。すると、リュックの脇に結ばれた薄水色の巾着が揺れた。
 巾着が目に入ったミユキの口元に、自然と笑みが浮かぶ。
 「へへ、めんこい巾着だあ。おらにはもったいねえくれえだ」
 それは、フィンブルタウンに住む優しい知人・レフティアからもらった餞別の巾着だ。雪空のような模様は、たまに町でも見かけたことのあるビビヨンの翅の模様と同じだった。
 巾着を眺めるミユキの耳に、レフティアの別れ際の言葉がかえってくる。
 ――タマさまの懐いている様子から、あなたさまがトレーナーとしての素質を強く持っていることは一目瞭然。
 ――どうか謙遜なさらないで。あなたさまはとてもやさしくて素敵なお方。
 ――この町であなたさまが挑戦しにきてくださるのを、一人のジムトレーナーとして……心待ちにしていますね。
 「……へへ、やっぱおらにはもったいねえだ。レフテアさこそ、やさしいお人だべ」
 レフティアの言葉はあまりにも暖かすぎて、ミユキはそれが自分に向けられたものだとは思えないほど照れくさかった。今まで、どんくさいとか、トロいとか、だからトレーナーにはなれないとか、ずっとそんなことばかり言われてきたし、自分でもそれは本当だと思っている。でも、レフティアに言われた言葉は、その全部が初めて受け取るものだった。正直なところ、今でもびっくりしていて、まだ自分が言われたことを信じきれていない。
 ――でも、レフテアさが言ってくれとるんだ。レフテアさを嘘つきさするわけにいかねえ。おらががんばって、ほんとにちゃんとしたトレーナーさなればええんだ。
 ミユキは一人でうんうんうなずく。巾着を軽く引っ張って結び目の強度を確認し、簡単に取れないことを確かめた。
 「うん、せっかくだし、巾着はこのまんまにしとくべ。あとは……」
 次にダウンベストのポケットから取り出したのは、もう数時間持ち歩いているのに溶けかけの汗を一滴も流さない、不思議な氷の塊だ。この『とけないこおり』をくれたのは、フィンブルタウンのポケモンセンターでジョーイさんとして務めるシュクルリだった。
 「すげえなあ。お日さまに当ててもちっとも溶けねえし、ひゃっこいまんまだ」
 不思議な氷を頭上にかざして、木漏れ日に透かして見る。森の葉っぱの色を映して緑色になった光が、透明な氷の中できらきらとちらついた。
 ――きっとミユキくんを助けてくれます。
 シュクルリはそう言って、この氷を手渡してくれた。ミユキにはこの氷の使い道がわからない。が、こんなにすごい氷なのだから、おそらく何か不思議な力があるのかもしれないと思っている。
 「お守りみてえなもんかなあ。そんなら、巾着の中さ入れて、落とさねえようにしとくべ……」
 そう言いながら、とけないこおりを下ろした瞬間。
 つるり。
 「あっ」
 言ったそばから、氷が滑って手から零れ落ちた。そしてそのまま、
 こん、こん、ころころ……
足元の石に当たって跳ね、着地点にあった木の枝に当たって跳ね、落ちた先の坂道を滑り始める。
 「わ、わあ! 大変だあ」
 ミユキは慌ててリュックを背負った。うつらうつらしていたタマちゃんを小脇に抱え、えっほえっほと坂を下って追いかける。
 「わあ~、待ってくんろお」
 透明な氷を見失わないよう、足元を見ながら足を動かす。しかし坂は下れば下るほど急になってきて、だんだん足の動きが追いつかなくなってきた。
 「わ、わ、わあ~!」
 ぱう!?
 突然の振動でタマちゃんが起きたらしい声がした。ミユキの右足がもつれ、左足が遅れ、そしてとうとう、
 「うわあ~!」
 ぱう~!
 一人と一匹は、ころころごろごろと坂を転がり落ちていった。


 「あいててて……」
 ようやく自分の体が止まったので、ミユキはゆっくり起き上がった。膨れたリュックが背中でゼニガメの甲羅のように下敷きになっているので、起き上がるのも一苦労だ。ようようやっと座り込むと、足元でタマちゃんが目を回している。
 「あんれまあ、タマちゃん、ごめんなあ。ケガはねえけ?」
 ぱう~……
 タマちゃんのひれに手を差し込んで持ち上げるミユキ。お腹を見て、ひっくり返して背中を見て、顔と尾びれもしっかり見た。幸いどこもケガしていないようだ。
 「えかったあ! 毛皮が守ってくれたんだなあ。あいて」
 ほっと息をついたのも束の間、ずきんと右足が痛んだ。ミユキ本人が足をくじいたらしい。
 ぱう……?
 眉尻を下げるタマちゃんを見て、ミユキは彼女を下ろすとにっこり笑った。
 「大丈夫だ、タマちゃん。こんくれえ慣れてるだ。そげなことより、氷を探さねえと」
 ミユキはタマちゃんの頭をふんわり撫でてから立ち上がる。右足に体重がかかると痛いので、ひょっこりひょっこり、左足を頼りにして歩くことにした。
 「う~ん、困ったなあ。せっかくシュクルリさがくれたのに……やっぱりおら、トロいべなあ」
 自分でもわかって情けなくなるくらい、眉毛がハの字に下がるのがわかる。転ぶのも、ものをなくすのもしょっちゅうやっていたことで、そのたびに落ち込むミユキだったが、今回はことさらこたえるものがあった。いつもならその場で叱る家族がいるのに、今はだれにも叱られないから、よけいに悲しい気持ちが湧いてくる。
 ――だども、探さねえと。しっかりしたトレーナーにならねえとなんだから……。
 ミユキが首をぶんぶん振って、気持ちを切り替える、その時だった。
 「ねえ、だれかいる?」
 茂みの向こうから、何かの声……いや、人間の声がする。女の子の声だ。
 ミユキはびっくりしてから、自分の他にも人がいることに胸を撫でおろした。だが何と返事をしたらわからず、
 「こ、こんにちはあ……?」
とりあえずの挨拶をしながら、茂みに近づく。
 背の高い草木をかきわけると、ちょうど正面で深い青色の髪をした女の子と、その後ろの白い髪の人物と目が合った。少女の足元には青い球体のポケモンがころころしていて、白髪の人物の頭上では黄色い一つ目の鳥ポケモンがふわふわと浮いている。どちらも見たことのないポケモンで、ミユキは「ふわあ」と素っ頓狂な驚きの声を漏らした。
 「大丈夫? なんだかすっごい大きな音が聞こえたけど」
 目の前の少女が、大きな瞳をぱちぱち瞬かせて言う。尋ねられたミユキは、慌てて返答を考えた。
 「え、えっと、大丈夫だ。ちっと転んだだけだべ」
 えへへ、とごまかし笑いをするのは、トロさゆえの失敗が多いミユキの癖だ。
 「お、おら、フィンブルタウンのミユキだ。こっちはタマザラシのタマちゃん。ええと、あの、おら、大事な氷を落としちまって。見かけませんでしたか」
 ぱう……。
 『パウワウ』のタマちゃんが、半目になって一声鳴いた。

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