灯りは光りて炎は揺らぐ
しまった、とマサギが思った時には遅かった。
ドォン!
朝の空気を震わす大音量。バサバサと街路樹から小鳥ポケモン達が一斉に飛び立つ。
今マサギ達が立っているバトルフィールドからマンションの方を見ると、いくつかの部屋の窓が開いた。窓から見える不思議そうな顔や慌てた顔、驚いた顔にマサギは九〇度の礼をする。
「十文字さん! どうしたんですかっ」
マンションのエントランスから、転がるようにイオが出てきた。掃き掃除をしていたらしく、ホウキを持ったままだ。
マサギはイオにも一礼した。
「すんません、管理人さん。ちょっと力加減を間違えました」
イオがマサギの背後に目を留める。マサギは隠すこともないと、一歩脇によけて後ろにいた二匹のポケモンを見せた。そこにいたのは二匹ともリザードンで、ただし片方は黒く、口から青い炎を吹き出している。黒い方が通常の方の片腕を、握るようにして押さえていた。
「リザードンが二匹も……?」
「うす。黒い方……メガシンカしてる方はりきちす」
「りきち君?」
イオが呼ぶと、りきちは炎の吹き出る口元をニッと持ち上げて笑った。もう片方のリザードンは、唾棄するように炎を吐き捨てる。
「こっちは『りおん』と呼んでます。俺が仕事で保護してる個体すけど、りきち達と仲良くなれるよう、仮のニックネームがついてます」
「そうなんですか。よろしくね、りおん……ちゃん?」
「うす」
リザードンーー改めりおんは、イオのやわらかな挨拶にも答えず、ついと目をそらしてしまった。マサギは二匹のボールを取り出す。
「ふたりとも疲れたろう。休憩しててくれ」
ヴァウ、と返事したのはりきちだけだったが、ひとまずボールには二匹とも戻った。マサギはイオの方を振り返る。
「りおんはガラル地方から来ました。少しずつ環境に慣れてもらうため、朝の静かな時間にこの広い場所に連れてきたんすが、暴れだしまして」
「えっ、大丈夫でしたか! ?」
「りきちが咄嗟にメガシンカして、フレアドライブを受けてくれたので。でも、バトルフィールドはちょっと焦げちゃいましたし、朝から大きな音を立ててしまいました」
すんません、と帽子を取って頭を下げるマサギ。するとイオのほっとした雰囲気が伝わってきた。
「いえ、十文字さん達が無事ならよかったです。りきち君とりおんちゃんを回復させましょうか?」
「お願いします」
姿勢を戻したマサギは、イオの後についてエントランスへ向かう。と、ふとあることを思い出して、再び口を開いた。
「そういえば、管理人さん。急ぎの用のない日はありますか」
「え? えーと、そうですね、今日なんかはまさにそんな日です」
「そうすか。じゃあ、よければレンジャーの施設に来ませんか」
その言葉に、イオが少し驚いたような、不思議そうな顔でマサギを見上げる。マサギは帽子のつばを持ち上げた。
「カタバミに、会いに行きませんか」
数時間後。マサギとイオを乗せたりきちが、ポケモンレンジャー本部に着陸した。
イオを受付で少しだけ待たせて、マサギは出勤のサインと事務連絡を済ませる。
お待たせしました、とイオのところに戻ってから、マサギはりきちをボールに入れた。
「カタバミは今、レンジャー本部のポケモン保護区にいます。こっちにどうぞ」
マサギはイオを連れて、レンジャー施設の通路を通る。途中ですれ違うレンジャーの同僚に軽く礼をすれば、同僚達は手を上げて返し、それからマサギの背後に一瞬目を留めていった。
やがて辿り着いたガラス張りの自動ドアを、レンジャーのIDカードで開ける。どうぞ、とイオを通してから、マサギも後に続いて入った。
「わあ……」
イオの感嘆したような声が聞こえた。広大なガラス製のドームの中に、縮小された森や丘、水辺がある。空中をバタフリーが漂い、足元をピチューとププリンが通過していった。
マサギはイオの先を進み、道を辿りながら話す。
「カタバミは、普段は南側の日の当たる場所にいます」
「日の当たるところ、ですか?」
「はい。……ネクロズマは、光そのものをエネルギーとして活動していることがわかりました。たぶん、その場所でエネルギーを溜めているんでしょう」
森の中の通路を進みながら、マサギは話を続ける。本来ならウルトラビーストに関する情報は機密事項だが、元々カタバミを捕まえたのはイオだ。彼女にはネクロズマのことを知る権利がある、とマサギは思っていた。
「最初にネクロズマが発見されたアローラ地方での報告では凶暴な性質だと報告を受けましたが……カタバミは充分な光を得ているのか、まだ暴れたという報告はありません」
「………」
「俺もたまに、任務の合間に会ってました。それで、最近検査が一段落したのもあり、一般人でも管理人さんになら会わせられると思いました。管理人さんがおやですし」
「そうだったんですね……」
イオが返答したところで、二人は森を抜けた。人工池の真ん中にある、砂でできた中洲に、真っ黒なポケモンが横たわっていた。
「カタバミ!」
イオが呼ぶと、カタバミはゆっくりと目を開けた。こちらを向いたその表情は、イオに気づいて少し驚いた風に見える。
マサギはボールを三つ投げた。
「りきち、りすけ、りりん」
名を呼べば現れた三匹は、それぞれ一声鳴いて返事する。マサギがイオを連れて中洲への橋を渡ると、三匹も歩いたり飛んだりしてついてきた。
かげ~
ぎゃう!
ヴォウゥ
三者三様にネクロズマに声をかけて、それから三匹の火トカゲと竜は火を吹いた。ネクロズマに当たらないように、しかしネクロズマの頭の上を通るように、三本の火柱が上がる。
「十文字さん、みんなは何をしてるんでしょうか?」
「炎の光をカタバミにあげてるんす。……ネクロズマが光をエネルギーにしてると聞いた時に思いついて、カタバミに会ったらアイツらにああするよう頼んでみました」
カタバミは黒い腕をゆっくり掲げ、炎に触れるか触れないかの位置でこれまたゆっくりと振った。それから体を起こして、炎の光を追うように手を伸ばした。りきち達三匹は、カタバミの手が熱に触れないように頭を動かして炎を離す。するとカタバミがそれをまた追う。まるで三色の炎にじゃれているようだ。カタバミの表情は見えないが、少なくともヒトカゲ達は笑っている。
それを見ながら、マサギは口を開いた。
「……俺はまだ、カタバミと『友達』になれているのかわからないです。でも、たぶん、アイツらは仲良くなってきてると思います」
そのことを、マサギは良いことだと思っている。自分のパートナー達が仲良くできる相手なら、きっと自分も良い関係を築けると思うのだ。
「安心してください、管理人さん。とにかくカタバミは、ひとりではないです。……管理人さんも、カタバミと遊びますか」
マサギはイオに手を伸ばした。りきち達が明々と灯る尾を振って、二人を呼んだ。
昼休み。イオをマンションに送り帰したマサギは、本部に戻って早々、
「マサ! !」
という同僚達の大声に迎えられた。
だが、彼らの声の音量で驚くマサギではない。いつものトーンで返事する。
「何すか」
「朝の! あの子! 何!? だれ! ?」
「管理人さんす。うちのマンションの。例のネクロズマをここに預けた人す」
「管理人さん!? あの子が! ?」
「うす」
二人ほどがよってたかって問い詰めてくるのを捌いていくマサギ。何がそんなに気になるのかと、逆に不思議に思った。
「若くない!? てか女の子じゃん!」
「そうすよ」
「そうすよ……って、お前、前に『管理人さん』におにぎり作ってもらってなかった! ?」
「? はい」
「オーケストラのコンサートに一緒に行ってなかった! ?」
「よく覚えてますね」
「ホワイトデーにお返ししたよな! ?」
「バレンタインに頂いたんで」
「こないだの大晦日、一緒に年越しそば食ったって……」
「食いました」
年越しそば美味かったなと思い出したが、口には出さなかった。
質問はそれで終わりなのか、まだ何か聞こうとしているのか、同僚達はうんうん唸っている。
やがて一人が、絞り出すような声で言った。
「いや……マサさあ…………いっつも『マンションの管理人さん』としか言わないから……てっきりおばあちゃん的な人かと思ってたよ、俺……達……」
「? はあ」
「なんか……おばあちゃんと孫みたいな距離感なのかなと…………」
「違いますね。管理人さんは女の子なんで」
「女の子ってわかってんの!? じゃあその距離感なに! ?」
突然音量を上げて距離を詰めてくる同僚。何をそんなに必死そうな表情で聞いているのだろうか。
「距離感……? 変すか」
「う、う~ん! わかんないのかあ!」
「あっ、待てマサ! わかったぞ、お前妹いるよな? 妹の感覚か?」
名案を閃いたような顔の同僚に対し、マサギは微かに眉をひそめた。
「いえ、違います」
「違う!? 何が違うんだ! ?」
「説明してみろマサ!」
そう言われたマサギは、しかし言葉に詰まった。妹とイオは、自分の中で確実に違う存在だ。
妹は当然家族だから大事な存在だ。妹だけではなくて、父も母も、りきち達も家族だから大事だ。
だが、イオは家族ではないのに大事だ。マサギの中で、絶対に守りたい人なのだ。彼女を守りたくて、彼女に頼りにされたいのだ。
ーーそれは、イオがマンションの管理人だから?
マサギがポケモンレンジャーだから?
「……無理す」
自問に自答できなかったマサギは、ついにそれだけ返した。
「お前ーー」
それを見た同僚が再び口を開いた瞬間、
ポーン……ポーン…………
昼休み終了の鐘が鳴った。
「ーーお前、それ、たぶんちゃんと考えた方がいいぞ」
「うん。宿題な、マサ」
同僚達はタイムアップで諦めた、といった風に肩をすくめた。その場を離れる二人の背を、マサギはぼんやり見ていた。
「……ちゃんと、って、何だ…………?」
彼の呟きは誰に答えられることもなく、部屋の空気に溶け込んでしまった。
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