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悲しいことがあっても赤いきつねは美味しい

今日はとても悲しいことがありました。

ここからめちゃくちゃ愚痴なのと、病気や死と震災に関する内容が出てくるのでそういうのが苦手な方は読まないでくださいね。



眼科に検査に行こうと思ったんです。

というのも、昨年の夏にものもらいになったんですよ。
ものもらいは初めてではなかったので病院に行って目薬をもらえばすぐ治るなぁと思い診察を受けたところ、先生が「ん?もう一度目を見てもいいですか?」と言うんです。
そしてもう一度ライトで私の目を照らし、レンズ越しにしっかり見られたところ

神経の色がおかしい。緑内障の可能性があるので検査を受けてください。

そう言われました。

その日は日曜日で診察室は大混雑だったため平日に出直し検査を受けたところ、現時点では大丈夫なので緑内障予備軍と診断されました。
半年に一度同じ検査を受けてねと言われ、うちの病院ならどの先生のときに来てもいいし予約もいらないよと言われたので、半年経った今日行こうと思ったんです。

でも、もしかしたら目が悪くなっているかもしれないと思うと怖くなって涙が止まらなくなりました。
泣きながら眼科に行ったものの、受付の人に「今日はどうされましたか?」と聞かれた瞬間に立っていられなくなり倒れてしまいました。
落ち着くまで休ませてもらって帰って、またたくさん泣きました。

まだ目が悪くなっていると確定はしてないし、生活していて違和感があるとかもなくて、たぶん今回は大丈夫なんです。
でもこれからあと50年ぐらいは生きるじゃないですか、平均寿命まで生きられるなら。
半年に一度検査するならあと100回もこんなつらい思いをするの?そして100回も受ける前に絶対に私の視野は狭くなり、目が見えにくくなるの?と思うと恐怖でどうしようもなくなりました。

目が見えなくなって、私が辛いだけなら別にいいんですけど(よくないけど)。
夫や親族や友達、他にも周りの人に迷惑をかけるのが嫌でたまらなくて。

私は幼い頃から20歳ぐらいまでの間、ある疾患があり治療をしていました。
そんな私が5歳の頃、阪神大震災がありました。
私が住んでいた地域は震度4で、コンクリに少しヒビが入った程度だったのですがテレビを見ると本当に悲惨な状況が写っていました。
そして、避難所でおにぎりや菓子パン、炊き出しの汁物が配られていました。
当時の私は疾患のせいでそれらを食べることができませんでした。(なので私は学校給食を食べたことがなく、小中学校は毎日お弁当を持参していました)

不安になった私は母に「私は避難所のご飯、食べられないよね?どうしよう?」と聞きました。母はたしか、「食べられないから、食べられるものをちゃんと準備してるよ。家が壊れてもお母さんがそれを持って避難所に行くから大丈夫」と言ってくれたと思います。

でも普通にそんなの無理だと思いました。
震度7ならぼろい我が家はバラバラに倒壊する。そんな中から非常用防災袋なんて持ち出せないのでは?と。

そして私は自分の無力さを知りました。
母がいないと生きていけない私。
父は私の育児に関わっていなかったので父のかわりはいるけど、母のかわりはいなくて。

私が死んでも母は生きていけるけど、母が死んだら私は生きていけない。
なら私は死んだほうがいい。

5歳にしてそんなことを思ってしまいました。

ひさしぶりにそのことを思い出して辛くなってしまいました。

私は今また別の病気のため仕事をやめて療養中です。
夫に養ってもらっています。
私がいなくても夫は生きていけるけど、今の私は夫がいないと路頭に迷う…まではいかないかもしれないけど、生活保護とかになる可能性が高い。あと金銭問題以前、夫がいないと私は精神的に無理。

そんな状況で夫に負担をかけているのに、目まで悪くなったら?
今日ずっと泣いてて心配をかけてしまったし。
眼科の受付の人にも心配をかけてしまったし、待合室にいた他の患者さんたちのことも驚かせてしまって申し訳なくて。

でも、泣いててもお腹はすきました。

鼻をすすりながら食べた赤いきつねは、お出汁が優しくてあたたかくて美味しかったです。


5歳のころから引きずっている、自分はいないほうが周りの人のためになるのではないか?という問題の答えはまだ出ていませんが、もう少し悪あがきをしてみよう。

赤いきつねが、背中を押してくれた気がします。

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