希望と諦観🍏
Mrs. GREEN APPLEの曲が好きです。
先日「日曜日の初耳学」にゲスト出演されていました。
番組の最後のナレーションで「生き方そのものが心に刺さるアーティスト」という言葉があり、ほんとそれ!と思いました。
期間限定ですが、アーカイブ動画を番組公式YouTubeに上げてくださっており、うれしい限りです。
心に刺さって仕方ない、この感情は「救われる」に近いと感じます。
神道や仏教が「人間ゆえの苦しみ」に救いを与えてきたこの日本で、昨今あまりそれが機能していない気がして、救いがない毎日。
番組の中で、作詞作曲を手掛けている大森さんがケセラセラについて「希望と諦観を兼ね備えている楽曲」という風に話されていました。
林先生が「諦観」について解説してくださった部分がとてもよかったのですが、ただの「あきらめ」ではなく「本質を明らかにして全てがわかるから、それを受け入れる」という、「うけいれる」という言葉になんだか、納得。
私にとってMrs. GREEN APPLEの曲を聴くことは、毎朝おばあちゃんが仏壇の前で般若心経を唱えていたそれと同じ行為なんだなぁと、あらためて思いました。
受け入れがたい現実を受け入れるための「知」が、心地よい詩とメロディーにのってスッと入ってくる感覚。
寺に集まってみんなで手を合わすその儀式も、ライブに集うそれも、私にとっては同じこと、と言ったらなんだか変かもしれませんが。
まぁ、私にとっては、ということで。駄文をお許しください…
受け入れ難い現実に心折れそうになったとしても。起こる全ては成るべくして成っていて、成るようになっていく流れの中を自分はちゃんと生きている。ミセスの曲に救われながら、そんな日々を糧にして今日も今を大切にちゃんと生きられている気がします。感謝です。
とまぁ、そんなふうにまじめくさって言葉にしてしまえばなんだか冷めてしまうのがやっぱり現実で。ミセスはやっぱりアーティストだからいいのであって。「救われてる」なんてことは、自分の心の中のつぶやき程度でいいのであって。
それでもここに書かなきゃいられなかった、そんな気分もあるってことで、どうかご容赦いただけたらと思います。
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