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【しろまる先輩は距離感がおかしい。】8話「四つ葉マークの優越感」

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◆   ◆   ◆

 雪音ゆきねとあすかは熱海からの帰路について相談をした結果、深谷まで1本で行ける普通列車に2人で乗り、横浜市民のあすかが途中下車する流れとなった。

 行きは3時間の道のりが退屈で仕方なかったが、同行者あすかがいるなら多少は気が紛れるだろう。

「おまたせ」

 帰宅手段が決まるなり「ちょっとまってて」と言い残して姿を消していたあすかが、10分ほどで戻ってきた。お土産でも買っていたのだろうか。

「もう電車来ちゃいますよ」

「だいじょうぶ、だいじょぶ」

 あすかはやけに余裕そうだ。

 ホームに上がると、お馴染みの緑とオレンジ色のラインが入った車両がちょうど入線してきた。長い編成が、列車を待つ乗客たちに風を浴びせながら減速する。

「あ」と、何かに気づいた雪音が声をあげた。

 眼前に、編成中2両だけ繋がれているダブルデッカーの「グリーン車」が停まったのだ。慌てて移動を促す雪音に対し、あすかは尚も余裕の表情で返す。

「いやいや、

 川井さん。

 乗るんだよ、

 グリーンに」

「え、でもグリーンこれって別にお金払わないと乗れないんじゃ……」

 たじろぐ雪音をよそに、あすかがポケットから何かを取り出す。

「きょう1日付き合ってくれたお礼に、わたしからのプレゼント」

 そういって手渡されたのは切符だった。券面には「普通列車用 グリーン券」との記載があり、雪音の分はしっかり深谷まで購入されている。先程あすかが行方をくらましたのは、どうやらグリーン券これのためだったようだ。

「えっ……いいんですか」

「そんなに高いものじゃないから、大丈夫だよ。ちなみに、ホームそこの機械で電子マネーに情報を読ませることもできる」

「へぇー、今まで「乗っちゃいけない車両」とばかり思っていましたけど、意外と便利なモノなんですね」

 礼を言いながら深谷までのグリーン券を受け取り、雪音はいざ初体験の普通グリーン車の中へと乗り込んだ。

 2階建ての普通グリーン車には、

①眺めが良い定番の2階席

②スピード感のあるスリリングな車窓が楽しめる穴場の1階席

③荷物が多い時に重宝する平屋席

という3種類の座席があるが、雪音が初体験ということもあり今回は2階席を選択した。

「あ、海です」

 出発後しばらくして、窓側に座っていた雪音が言った。

 熱海から小田原おだわら間の東海道線では、車窓から相模湾を見ることができる。すでに日が落ちた水面は濃紺色だったが、海無し県民のテンションを上げるには十分な燃料だった。

 その様子を見て、あすかが首を傾げる。

「あれ?行きも見えなかった?」

「あー、来る時は普通のイスに座ってましたし、ほぼ携帯スマホ見てました……」

 雪音は往路で費やした3時間を思い返した。ここで言う普通のイスとは、ロングシートのことである。より多くの乗客を運ぶことに特化した通勤電車に普及しているロングシートは、窓に背を向ける形で設置されており、あまり景色が楽しめないのだ。

「川井さん、それはもったいないよ。目的地だけじゃなくて、移動中も楽しんでこそのお出かけだよ。ほら、グリーン車なら、車窓もばっちり」

「一理ありますね……」

 確かに、進行方向に向かって垂直にシートが設置されているグリーン車は、さながら特急列車のような乗り心地で、車窓も見やすい。これなら首都圏の退屈な移動も少しは楽しめるかもしれない。

「グリーン車は気に入った?」

「……はい。自分で勝手に乗っちゃいけない車両だと思って避けてましたけど、案外いいですね、グリーン車これ。今度いい事があった日とか、仕事で疲れた時とかに使ってみようと思います」

 その言葉を聞き、グリーン車の布教活動に成功したことを確信したあすかは、したり顔で恒例の解説モードに突入する。

「それにさ、普通列車のグリーンってさ、優越ゆうえつ感がすごくない?」

「優越感……ですか?」

 突如出現した謎の価値観への同意を求める質問に、雪音はつい質問で返してしまう。待ってました、とばかりにあすかが解説を続ける。

「そう。優越感。———新幹線とか特急は、自由席、指定席とかの差はあれど、すべての車両においてみんなが着席してるわけじゃん?」

「そうですね」

「でも普通列車の場合、グリーン以外の車両はロングシートだったりラッシュ時は満員だったりするんだよ?同じ屋根の下で移動してるのにこれだけ待遇の差があるのは、最高の愉悦だよ。一度この快楽を知っちゃったら、もう普通の車両には戻れないよ」

「は、はぁ……」

「フン……!」(語り終えてご満悦なしろまる)

 あすかの展開する持論は筋こそ通っているものの、旅行経験が乏しい雪音はどうしても曖昧な反応になってしまう。

「……なんてゆうか、しろまる先輩って、面白い人ですよね」

「それって褒めてる?」

「褒めてますよ。しろまる先輩は、自分だったら絶対考えもしないような角度で物事を見ていて、いつも気づきを与えてくれます。先輩は今まで私が出会ってきた人にはいなかった全く新しいタイプの存在です」

「……やっぱりちょっとバカにしてない?」

「してないですって(汗)」

 ぷくーと頬を膨らませたあすかに小突かれた。

 タタン、タタン、と心地よいジョイント音を響かせながら列車は進む。2階席からの高い視点は新鮮で、雪音は初めての普通グリーン車の旅を満喫した。優越感については理解しきれない部分もあったが、快適性に関しては全面同意だ。長距通勤の身として、今後の利用に繋がるかもしれない有益な体験だったと言えよう。

◆   ◆   ◆

「じゃ、ここで」

 熱海を出発して1時間20分。列車が横浜に差し掛かり、あすかが下車支度を始めた。彼女は横浜市内の実家から都内の職場へ通っているそうで、通勤時間は約1時間とのことだ。実家暮らしという面では、雪音に通づるところがある。

「あ」

 下車間際になって、何かを思い出したあすかが言う。

「寝過ごさないようにね」

「わかってますよ!」

 ニヤリと笑ってから、あすかは降りて行った。

 彼女にはまだまだ謎な部分が多いが、今回の熱海旅行で多少の冗談を言い合える程度まで心の距離が縮まったことに、雪音の頬が綻んだ。

(つづく)

【8話 四葉マークの優越感】
いつもの電車が超快適空間に変身する
普通列車グリーンはいいぞ(布教)!

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2024/9/20更新よてい

#しろまる先輩は距離感がおかしい

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