挑戦記Vol.07:自分のアンコンシャス・バイアス
アンコンシャス・バイアスとは、
「無自覚の偏見」、「当たり前」、「こうだと思いこんでいること」
だという認識です。
うーーーむ。
これって1ヶ月にいっぺんあったり、なかったりの感覚で。
しかも言葉にしようとすると、なんだか曖昧になってしまうイメージがあって。
一番最近のものをシェアします。
昨日、OICというプログラムの「オンライン対話会」に参加していて、
そこで、
「この会は、あなたの居心地のいいように、ありたいように、居てください。ミュートにしたかったり、画面をオフにしたかったらそれでもいいし、話す気分じゃなかったら話さなくてもいい。
寝っ転がって聞いたり、話してもいいし、話したいことを話してもいい。
他の人をみて、空気を読まないやつとか、態度悪いやつ、とか思っても、それはその人がそうここに居たいんだな、ということです。」
と言われました。
ここまでは、大丈夫。
「ああ、この空間は、”その人”を大事にする空間なんだなあ。よかった。」
と、ほっと胸をなでおろすだけ。
この後に、ある人が
「初めてこのプログラムに参加した時にね、ぬいぐるみと毛布持って、寝転びながら、話している人がいて。ずっとその人のことが気になっちゃって、全然集中できなかったのね。その時に、そうシェアしたら良かったんだけど。その後、何回かして、その時のことをその人に言えたのね。
その時に、やっと「こうあるべき」みたいなものを持っていた自分を受け入れられた気がして。」
という話をシェアしてくれた。
私はそれを聞いて、びっくりして。
自分の中にも、Zoomに参加するときは、
「画面をなるべくオンにして、
話を聞いているよと頷き、相槌を打ち、
椅子に座って、ちょっと気になることが私の周りで起きていても、
気にしないようにして、目の前の画面の先に集中する」
のが当たり前になっていた、って気が付きました。
その時、どうしていたかったかと言うと、
Colorbathのツイッター投稿完了してないのが気になっていたし、
机の上ちょっと片付けたかったし、
お布団に入りながら、ぼんやりと話をききたかったなって。
「自分がありたいようにある」あれていると思っていたけれど、
意外と「こうしたほうがいい」の中にいた。
という気付きでした。
Colorbathでは、
「無自覚の偏見」「当たり前」を、「アンコンシャス・バイアス」と呼び、
それが変化したエピソードを募集しています。
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