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選ぶべきはやりたい仕事?できる仕事?

就職に悩んでいる私に親から送られてきたのが、あの有名な林修この記事


正直、「またなんか送ってきたよ」しかも今までの長文で説得作戦をやめて今度は「人の言葉作戦」か、なんて思っていました。

しかし読んでみると、おもしろい!

「やりたい仕事につくか、できる仕事につくかの話」なのですが、

「好き・嫌いは偶然だと思っています。人間の願望は環境や情報とか外部の要因に出会ったもの」

つまり、
自分が「やりたい」と思っていることは偶然によるところが大きい

というのです。どゆこと??と思うけど具体例がわかりやすい。

(ゲームを作りたいと"やりたいこと"を語っていた29歳の男性に、「100年前に生まれていたらその願望はなかった?」と聞くと、「なかったです」と答える。そして、「〇〇したい」という願望が生まれるのは偶然の要素がとても強いと説く。)


「いやそれはそうやけども!(笑)」

と正直笑っちゃいました。

極論すぎひん? いや、確かにやりたいって思い込みなのか?
と思考が巡ります。

そこで林修の実体験として語られているのが、
やりたい仕事をしてうまくいかなかった銀行員と投資会社。やってみて引っ張りだことなったできる仕事の予備校講師。

一流の予備校講師としての林修の事例からこれを聞くと、確かにできる仕事で求められる人材になることは一つの選択肢であり幸せな結果だと感じる。

でもなんかモヤモヤする。

記事を読み進めるとさらに、
やりたい仕事と好きな仕事選ぶ裏側にあるのは

「人がどこに快感を覚えるかはシンプルで、やりたいことをやっている時に『よしっ!』と思う人もいれば、結果を出したことで『よしっ!』と思うタイプもいる」

とある。「あ、私はこの間や!」

やりたいことは得意なことではないけど「できるから得意」になりたいことであり、その結果(周りの人からもらう言葉)に「よしっ!」と感じるタイプである。

「できること」、単に得意なことで褒められても「よしっ!」とまでは思えないから、私はかなりめんどくさいかもしれない。


そして、この記事を読んでもう一つ感じたこと、
やりたいことは二種類あるのではないか?ということです。


その二種類とは、
「好きから始まるやりたいこと」
「仕事そのものを体験してやりたいこと」です。


例に出ている、「ゲームが好きだからゲームを作りたい」は前者です。
後者は「ゲームをつくってみたらおもしろかったからゲームを作りたい」

前者の場合仕事内容と好きが似ているようで異なるうえに、林修が言うようにゲームがあるという状況下でうまれたものでしかない。

ここで重要なのは後者において、必ずしも「ゲームは作れる(できる)からやりたい」ではないということです。ゲーム作ってみたできないけど可能性が見える、できるようになりたい。

この場合、ゲームを作りたい(やりたい)という気持ちは外部の要因によるものではなく自らの実体験によるものだと考えます。

つまり、

この「実体験に基づく仕事そのものに対する向上心を持てるものであればやりたいことを仕事にしてもいいのではないか」

と感じます。「やりたい」を「できる」にしたい仕事です。微妙なニュアンスの違いかもしれません。

なんてちょっぴり調子に乗りました。


とは言っても、何が正しいかなんて全然わからない。

なによりこの記事、林修は結論を押し付けるのではなく僕はこうだったと伝えているのがいいなぁと感じ、考える良い時間をもらいました。

そして、報告ですが就活やめました。

なるようになると信じて、私らしく流れに身を任せてどこかに飛び込んで行こうと思います。








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