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プライスについて考えてみた

こんにちは
アストロノミヤです。

商品やサービスのお値段について
考えてみました。
モノだけでなく形のないものにも
プライスがついていて
これを決めるのって
大変だよね、と思ったからです。

プライスの裏事情


安いものには理由がある
高いものにも、理由がある
そのプライスの価値判断は
お客様に委ねられる部分も
多いと思うのですが。

果たしてそれでいいのか?
と感じたのが
大量生産を発注して
突然なんの理由も告げず
打ち切った会社の話を聞いて
胸が痛んだからです。

昭和、とくに戦後の経済のあり方と
令和のコロナ禍の経済の状態では
比べることが難しい事象です。
歴史は繰り返しますが
少しずつ進歩上昇しており
お客様のマインドも
昭和のモノが不足しているから欲しい!
という動機とは
かけ離れていると思うのです。

安い製品に飛びつくことは
悪いことでもなく
物理的な収納範囲や経済力の限界を
踏まえての行動ですから
それはそれ。

ただ安売りの裏で
苦労して材料を捻出したり
買い叩かれても要望に応え
自分のところより安く製造するところがあれば
簡単に鞍替えされてしまう
想像しただけで虚しさを感じます。

消費者は見えないところにかかるコストには
無関心です。
作り手・提供する側と
買い手・受け取る側の温度差。
どうにもモヤっとしますです。

すべてをあかるみに出して
理解し合う
というのは
無理な話ですが
せめて自分は作り手の状況を想像して
それに対するプライスを支払いたいと
思うのです。

無料でいいのか問題


モノのお値段
それに対する消費者の反応のこと
考えてみたいと思います。

モノやサービスが目に見えたり
体感としてハッキリしていることには
プライスが自分に合っているかどうか
買いたいかどうか
比較的決定しやすいと思います。

ところが
形のないモノ
所有者が誰かわからないモノ
何が目的かわからないサービス
に関しては財布の紐はカタイ。

たとえば
車中心の生活ではない地域では
あまり発生しない問題かもしれませんが
地方の車必須社会では
駐車場の有無
駐車場スペースの整備
途中の道幅や道案内など
車に関する情報がかなり大切です。

ここにお金をかけたくない
具体的に言うと
駐車場代を払いたいくない人が
一定数いらっしゃいます。

そもそも
車を短時間でも置いておくスペースに
コストは発生しています。

土地を所有して税金を払っている人
コインパーキングなら精算機やストッパーなど
機械を所有して維持費を支払っている人
カメラの設置
など見えないコストもかかっています。
無料で存在するものは
ほぼほぼ存在しない!
と私は思っています。

無料なモノや無料サービスが好きな人は
気づいていないかもしれませんが
ご自身の提供することやモノも
無料でサービスすることを求められます。

無料で提供されるものは
誰かがペイしており
誰かが管理して
労働力と労働時間を捻出しているのです。

さらに無料サービスの裏に
個人情報の獲得ということも
危機管理として考えておくことが
必要不可欠な世の中です。

経済はバランスです。
そのバランス感覚のひとつとして
損得だけではない裏側の事情も
わかっていると
気持ちよく支払いができ
請求ができるかもしれませんね。

無料サービスを使うリスク



無料ブログやSNSで
宣伝・告知することは
どう捉えたらいいか
ということを
先の記事を書きながら
ふと思いまして。

これは書いておかないと
フェアではありませんね。

無料で書くことができるブログに
自分の仕事や告知を堂々と書けるようになり
遠くのかたと繋がることができた!
という便利さには
とても感謝しています。

私の場合、ブログは
直接受講してくださる方や
お会いして名刺交換しても
私がどんな人だか何をしているか
わからないという方に向けて
書き始めたものです。

専門的な内容もほんのさわりだけで
受講してくださるかた
鑑定やコンサルを受けてくださる方に
提供する内容のほんの一部です。

ではこの無料サービスを使うことによって
逆に提供しているのは何か。
それは個人情報です。
いつどこで何をしたか
まるっとわかるツールです。
時々わけのわからないメールが届きます。
最悪の場合、アカウントの乗っ取りがあります。
そこのところのリスクを踏まえて
あえて無料サービスを使っているという
意識は持っていないとダメなんです。

さらに
ブログやSNSを毎日書いているから
販促になっている
というのはいささか弱い。
なぜならみている人が限定されているから。

人と人との繋がりや
口コミの偉大さは
昨今の直接会いづらい状況下でも
実感しています。
人って会ってみないことには
気が合うかどうか
その作品やサービスが欲しいかどうか
決めかねるところがあると
思うのです。

その入り口になるのが
無料ブログやSNSなどのサービスだと
思います。

だからこそ
リスクを考えておくこと
リテラシーを持って発信すること
これが等価交換になっているのでは
と考えています。

適正価格ってなんだ?


お値段をつけるのは
とても苦心する作業です。
材料費や作成の時間
技術を習得する費用
などなど
細かくみていくと
だいたいのお値段をつけることは可能。

ところが
安くても購入者がいなければ
それは適正価格ではありません。

ん?当たり前?

そう。この視点が欠けがちなのです。
買ってもらえるかどうか
欲しいと思ってもらえるかどうか
購買意欲をそそるかどうか。
ここがお値段の落とし所。


ガソリンのように
いつか枯渇する資源は
お値段が分かりやすいです。
一方
形のないサービスは
それを欲するひとが
価値判断することで
売買が成立します。


高いか安いか基準でお買い物するのは
お金に振り回されているだけかもしれません。

そもそもお金ってなんでしょう。
ここを把握しておくことが
これからの評価経済に
役立つ基礎知識なのかもしれません。

まとめ


昔々の中国のひとつの国に
「殷」という国があります。
当時は「商」という名前の国で
ものを交換するときに貨幣を用い
遠くの国との交易する商売をしていた
ということにちなんで
「商」の国のシステムを
「商売」と呼ぶことにしたらしい。
始まりはいつもより良くなる方へ
より手軽で便利になるように
と進化していきます。
商の国でできたお金は
今便利なものですが
副産物もたくさん産んでいるような気もします。

現在、グローバル社会が縮小しており
より身近な人からモノを買うことが
多くなってきたと思います。
顔の見える生産者さん
顔の見える作り手さん
そんな相手をより感じながらの商売で
「値切る」「値踏みをする」
ということは
なかなか世知辛い話しです。

ちょっとだけ、
作ってくれた人
育ててくれた人
知恵を絞った人
お世話してくれた人
の歴史や背景を想像してみよう
と思ったりするのです。

おしまい

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