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稼がない投資(下書き)

将来的に自費出版して自己満足するための書き溜め。
語句、文章、てにをはの乱れ、誤字脱字はご愛嬌ということで….。

第一章 お金って何だ?

このページを開いたあなたは少なくとも投資に興味がある人物でしょう。そんなあなたに問いたい、「あなたにとってお金ってなんですか?
「いや、そんな哲学か禅問答みたいなことを知りたいんじゃないんですけど」と思った方もいるでしょう。しかしながら、納得できる投資を実践するにはこの価値観を明確にしておくことを私は勧めています。

大変申し訳ないのですが、しばらく私の自分語りにお付き合いください。
私は大学院生時代に日本学生支援機構から第一種奨学金を借入していました。第一種は無利子ですから、とりあえず上限一杯まで借入れて銀行の普通預金に置いておいたのですが、思ったよりも生活費が安く上がり当時の価値観ではそれなりにまとまった金額が通帳残高に記載されていました。その時、私は思ったのです。
何かもったいない気がする。
経済学はおろか利回りという言葉すら知らなかった当時の私にしては良い直感です。
当時は積立NISA黎明期であり、少額個人投資家を始めやすい土壌が整いつつありました。そんな流れで投資の世界に足を踏み入れた訳ですが、当初は初心者らしく毎月1000円程度の投入でヒヤヒヤし、5円10円程度の値下がりでビクビクする可愛らしい個人投資家でした。今となっては一日で5万円10万円程度値下がりするようなことがあっても昼下がりのアフタヌーンティーを楽しむ余裕すらありますが、1円たりとも損をしたくなかった私はここから一般的な投資の勉強を始めました。ドルコスト平均法、世界経済成長率、為替リスク、利回り…..本ごとにさまざまな視点で最も儲けられる手法を提案してきますよね。情報過多になったこと、それがその疑問が生まれる原因だったのかもしれません。
お、金?...これは何だ?儲け…る?投..資?何が何で何を何と何何々々…

価値観が崩壊した。

主観的にはこの日、私は一度死んだと思っています。お金という概念に疑問を抱いてからというもの目に映る全てが何か違った物に見えるようになりました。この哲学的な問いに答えを求め、餅は餅屋しかり私は経済学に助けを求めることにし、経済学の歴史を辿る旅へと出かけました。アダム・スミス著『国富論』、カール・マルクス著『資本論』、ジョン・ケインズ著『雇用・利子および貨幣の一般理論』、トマ・ピケティ著『新・資本論』どれも20%程度しか理解できませんでしたが、彼らの思想・想いを受け止めることができたのではないかと愚考しています。国富論から新・資本論に至る過程の中で理論や提言は逐次変化していきましたが、時代が違えど彼らには共通する価値観があったように私は感じたのです。
人は尊く、金に殺されるべきではない
現代でも多くの人々がそうであるように、金のために生き、生殺与奪を金に握られている人が存在している。そして、それはほとんどの場合、本人が望んでいるわけではない。このような人々をどうにかして救いたい、少なくとも金なんかに殺されるようなことを無くしたい。
あくまでも私個人の感想であることを念押ししておきますが、このような叫びにも似た想いを私は彼らの著書から感じたのです。
私はこの経緯を経た上で、「私」と「お金」この関係に答えを見出すべく今日も自問自答を続けています。

さて、自分語りが長くなりましたがいかがでしょうか?漠然としたお金という概念に対して少し解像度を上げたくなったのではないでしょうか?
では、もう一度聞かせて下さい。

あなたにとってお金って何ですか?

第二章 価値と貨幣のシーソーゲーム

第一章では社会的に漠然と受け入れられているお金という概念に対して、読者に疑問の種を植え付けることを試みました。本章ではその種への養分として、お金の一般的形態の一つである貨幣と価値との関係を先人たちの言葉を借りて再検討してみようと思います。

第一節 貨幣へと続く道

まず、貨幣の特性について現状把握していきましょう。
資本主義経済を基本とする現代において、貨幣は一般的に次の機能を有すると考えられています。
・交換性:貨幣と他の商品との取引を完了させる機能
・保存性:時間経過による当該貨幣上の量的変動を固定する機能
・価値尺度:当該貨幣以外の商品を当該貨幣を用いて定量的に示す機能
余談だが、近年では貨幣の自己増殖性を機能として捉える考え方もある。

貨幣は経済取引を容易にするために誕生した人類の英知の結晶ともいえる存在でした。というのも、人類は当初「物々交換」でのみ経済取引を行っていたと考えられており、物々交換の取引を完了させるためには「自身が求める商品を保有する相手が取引に応じる気があること」「相手が求める商品を自身が保有しており取引に出しても問題がないこと」「自身と相手との間で差し出す商品と受け取る商品が等価であるとする合意がなされること」この3つを全て同時に満たす必要があります。これは明らかに大量のリソースを取引行為そのものに費やす必要があり、個人間で毎日のように取引を行うには無理があります。しかしながら、取引自体は非常に便利な行動であるため、どうにか取引行為に必要なリソースを最小限にしたいとご先祖様たちは考えました。そしてあるとき、貨幣取引の前身となる「物品交換」による経済取引が誕生しました。物品交換とは物々交換のように欲しい商品を直接自身の商品と交換するのではなく、一度自身の商品を不変的な商品と交換し、再度不変的な商品を欲しい商品と交換する仕組みを指します。
突然「不変的な商品」という言葉が登場し混乱させてしまいましたね。具体的に不変的な商品の例を挙げると、金(ゴールド)や銀などの貴金属が分かりやすいでしょう。例えば、今あなたはリンゴを100個保有しているとします。そして、この保有するリンゴの内75個を魚、シルク、香辛料と交換したいと思っています。しかし残念ながら、村にはリンゴを欲しい人は居ても、魚、シルク、香辛料を交換したいと思っている人がいません。このまま交換できる人が現れなければ、100個のリンゴの内75個は自分で消費しきれずに腐ってしまうでしょう。また、リンゴを欲しがっていた人も手に入れることができず誰も幸せになれません。
「そんなお困りをお持ちのあなた!その問題、金で解決しましょう!まずお手持ちのリンゴ75個をこちらの金と交換してみましょう。確かに今はお求めの商品を手に入れることはできません。ですが金はリンゴと違って腐りませんので、後日村にお求めの品が入ってきた際にこの金と交換すればリンゴを無駄にせず、かつお求めの商品を手に入れることができるのです。もちろんこちらの金をそのまま宝飾品としてお使いになるのもご自由です。いかがでしょうか?お客様?」
貨幣の機能である「交換性」「保存性」「価値尺度」これら三つを同時に満たす不変的な商品を経済取引に組み込んだ物品交換の発明は、人類の発展を大きく加速させ、経済取引を活性化させていったと考えられています。

お待たせしました、ようやく貨幣の登場です。
人類が物品交換に慣れてくるとある不満が生まれました。
「これさぁー重いんだけど」
そうなのです、不変的な商品として金、塩、布などが用いられていたのですが、大量に商品を買い込んだり高価な商品を購入する際は当然大量の金、塩、布などを持ってくる必要があります。当たり前のように大量に持ち運べばメチャクチャ重くなるのです。このような状況に直面すると人類はだいたい横着をしたがります。そんな人類の怠惰な特性から生まれ落ちたのが「貨幣」です。
「このコイン一枚で塩10㎏と交換できることにした。」
不変的な商品と貨幣を結びつけることで何の機能も有しない銅の切れ端が塩や金と同等な商品として振る舞うことを多くの人々が合意し、ここに人類の英知の結晶たる「貨幣取引」が成立しました。

ここまでで貨幣の特性と誕生までの歴史を把握してきました。
さて、この貨幣に「価値」はあるでしょうか?

第二節 価値に至った道

始めに断っておくと貨幣という概念の発明には形容しがたいほど価値があると私は考えていますが、ここではいわゆる経済学的なカテゴリーで使用される「価値」という意味合いに限定しています。価値の意味合いを経済学に限定したとしてもその意味合いは多岐に渡りますが、ここでは偉大な先人たちの考えを確認していきましょう。

経済学の父アダム・スミスは「労働こそが価値の根源であり、とりわけ食料生産業に関わる労働は最も重要である。※意訳」と『国富論』で述べています。これは詰まるところ、
「人は食べ物が無ければ死ぬ」
生物の原理原則から自然に導かれる結論です。
もし、人間一人が年間に生産可能な食料が、人間一人が1年間に消費する分しか生産できないのであれば、人類は一人残らず農業/漁業又は狩猟を生業とするでしょう。
もし、人間一人が年間に生産可能な食料が、人間10人が1年間に消費する分生産できるのであれば、残りの9人は食べ物には困らないので、食料生産以外の労働を選択できます。その労働は養蚕でも良いし、木こりでも良いし、家事でも良い。しかしながら、最終的には食料生産者から与えられる食料に見合う対価を労働によって支払えなければなりません。故に「労働こそが価値の根源」と言われ、一般に「労働価値説」と呼ばれます。

カール・マルクスも大筋ではこの思想をベースとして、「商品の価値はその商品を生産するために費やされた社会的平均労働力量である※意訳」と『資本論』で述べています。
価値に物質的な意味を持たせる物は、多くの場合商品と呼ばれます。そのためマルクスは商品を起点として価値の定義を分析しました。そのほうがイメージしやすいですよね。
商品には使用価値と交換価値の二種類があります。使用価値とは商品を使用することによって得られる効能を示します。水は喉の渇きを潤し、麦は飢えた身体に栄養をもたらすなど….それぞれの商品固有の価値です。
交換価値とはその商品をそれ以外の商品とどのような比率で交換可能かを示します。1ガロンの葡萄酒は10ポンドの大麦と交換可能、1㎏の製鉄は1㎡のシルクと交換可能など….全ての商品に共通する価値です。
マルクスは「なぜ全ての商品に共通する価値が存在するのか?」と考え、商品固有の価値を除外していき、最後に残った全ての商品に共通する要素を「労働力」と考えました。
・交換価値は商品の交換比率を示す
・交換価値は全ての商品に共通する価値
・全ての商品に共通する要素は労働力
この3つからマルクスは以下のように考えました。
「商品の交換比率は商品に込められた労働力の比率と等しい」
1ガロンの葡萄酒は10ポンドの大麦と交換可能として、葡萄酒を1ガロン生産するのに1000時間分の労働を行ったならば、大麦を10ポンド生産するのにも1000時間分の労働が費やされたであろう…といった具合です。
交換比率は労働力比率と等しいのだから、結局のところ交換価値の根源は労働であり、アダム・スミスの思想を追随する結論となったのです。

ここまでで価値と貨幣のバックグラウンドを確認してきました。
ここからは、両者を繋げる「価格」を確認しましょう。

第三節 価格の交差点

経済学の分野で価格を語る上で、需要・供給曲線に触れないわけにはいきませんが、このページを開いているあなたに需要・供給曲線を今さら説明する必要はないでしょう。前節でも登場したアダム・スミスは需要と供給の関係によって価格が自動的に決まる市場原理を「神の見えざる手」と表現しました。価格は自由市場においては一個人の力では制御することはできず、正しく神の力のようにその値は予測不可能に上下します。

価格とは貨幣と商品の交換価値比率を当該貨幣建てで表現したものとみなすことができます。ある商品の価格が上がるということはその商品の交換価値比率が上がる、もしくは貨幣の交換価値比率が下がるということです。

しかしここで矛盾が生まれます。

商品の交換価値比率は労働力比率と等しいはずだから、商品の交換価値比率が上がったら、その商品に込められた労働力も大きくなったことになります。当然、既に完成され店頭に陳列される直前の商品に新たに労働力を込めることはできません。にもかかわらず、価格はなぜ変動するのか?
労働力も商品の一つであり、それに時給というラベルが貼りついているからです。貨幣の交換価値比率が下がれば、実質賃金維持のために時給は引き上げられ、連動して商品の価格は上がります。商品の需要が高まり価格が上がるとき、生産現場では平時と比較して過酷な労働が絶えず続くため、より多くの労働力を必要とし割増賃金や人材確保のために時給を上げることになります。既に労働力を込められ終わっている商品であっても、当該商品の社会的平均時給が反映された価格として店頭に並ぶようになるので、全ての商品の価格は自由に変動するのです。
日本人労働者は無給労働という論理の特異点を初手で放ちますが…
上記はあくまで一例ですが、労働力、商品、貨幣の三者を価格を用いて表現することで「労働価値説」と「神の見えざる手」を交らわせることができました。

価値の根源たる労働力と貨幣を価格を用いて交らわせることで、貨幣にも価値があるように人々の目に映るようになりました。
しかし、貨幣の出自に立ち返るとその紙切れや金属片に込められているのは価値(労働力)ではないことが明らかになります。

第四節 経済環状線

貨幣はそもそも人類の怠惰な特性から生まれ落ちた仕組みです。
楽をするための仕組みなのですから、一枚一枚を金細工職人が手彫りするような労働力は込められません。一方で貨幣はその生産で込められた労働力よりも高い価格で取り扱われる場合がほとんどです。
このギャップを埋める要素は貨幣の出自に隠されています。
なぜ、貨幣は多くの人々に、無根拠に価値があるという合意形成がなされたのでしょう?
そう、「信用」です。
我々人類は根拠がなくとも、そうした方が自分にとって都合が良いとき、信用するのです。友達との貸し借りもお店へのツケもクレジット決済も突き詰めれば根拠など存在せず、信用で回っています。
つまり、貨幣に込められている価値らしきものは労働力ではなく、信用力だったのです。

経済活動とは取引を行い価値の形態を変え続けることのように我々の目には映っていますが、実のところは価値(労働力)と貨幣(信用力)を交互に入れ替えるシーソーゲームこそが貨幣取引を主体とする現代経済活動の真相だったのです。

貨幣に価値はなく、信用だけがそこにある。
あなたはこの言葉をどう解釈しますか?

第三章 増殖する信用と減衰する労働

前章で価値と貨幣の正体を解明することで、お金に対する漠然とした疑問への一定の解を得ました。(私個人がそう思ってるだけです。)
本章では資本主義的経済環境を改めて確認し、価値と貨幣の正体に肉付けを行い、これらの機能ともたらす結末を検討します。

第一節 利子との遭遇

あなたは銀行に多かれ少なかれお金を預けているかと思います。そしてそれが普通預金であれ定期預金であれ、年に一回程度利子を貰っていることでしょう。
ところで、この利子とはいったい何者なのでしょうか?

利子には貨幣に時間的な意味を持たせ、時間と貨幣を交換可能にする性質があります。
例えば、1年間定期預金に100万円を年利0.1%の利息で預け、1年後に元本と利息の合計100万円1000円を受け取る場合、これは100万円を1年間自由に使用する権利と1000円を交換したことになります。
ここで重要な点は、貨幣を時間的に所持している状態、それ自体を貨幣に交換することができるということです。
定期預金の例からも分かるとおり、元本それ自体は全く変化していません。にもかかわらず利息が発生するわけですから、これは純然たる時間が貨幣化された状態であり、これこそが利子のみが持つ唯一無二の性質です。

さて、貨幣の正体は信用でしたから、信用を元手に更なる信用を獲得したということになります。
ではこの場合、時間と信用の交換比率はどれくらいなのでしょうか?

これはその時代その国における政策金利から交換比率を求めることができます。
政策金利とはその国の中央銀行が民間銀行へその国の通貨を貸付ける際の金利を指します。
銀行は中央銀行などから借りた貨幣を他者に政策金利以上の金利で貸付け、元本と利子を回収することで利潤を獲得しています。そのため、政策金利の変動は銀行金利に大きな影響を与えます。借り手にとって金利は小さければ小さいほど良いため、より低金利な銀行を選ぶようになります。しかし、それは貸し手の銀行も理解しているため、他行よりも低い金利を提示できるように策を講じます。その策の一つに個人預金口座があります。
銀行は何も中央銀行からしか貨幣を借りることができないわけではありません。我々国民からも貨幣を借りることができます。なぜ国民から借りようとするのでしょうか?それは政策金利より低い金利で国民から貨幣を借りることができれば、その貨幣を貸す際の金利も下げることが可能となり、他行に対して優位性が生まれるからです。
しかしながら、当然他行も同じ手法を用いることができます。
貸し手にとっては金利は大きければ大きいほど良いため、より高金利な銀行を選ぶようになります。
そのため、銀行は普通預金金利/定期預金金利を他行よりも上げ、より多くの国民から貨幣を借り受けられるように競争します。
ですが、もともと国民から貨幣を借りようとする意義は政策金利より低い金利で貨幣を借り受けようとする考えからくるものですから、普通預金金利/定期預金金利は政策金利より高くなることは決してありません。
これらから、政策金利>普通預金金利/定期預金金利≧他行の普通預金金利/定期預金金利の関係が成立するため、普通預金金利/定期預金金利は政策金利の動向によって決定します。
普通預金金利/定期預金金利は元本が完全に保証されており、発生する利息は純粋に時間を交換したことになるため、時間と信用の交換比率は政策金利によってほとんど決まるのです。

第二節 ブリッジ・オブ・リスク

前節で示したように普通預金金利/定期預金金利は純粋に時間と信用を交換することができ、交換比率は政策金利によって決まります。しかし、世の中にはこの交換比率を実質的にブーストさせる方法があります。
経済学ではこのブーストを「リスク」と呼称しています。
経済学上のリスクとは「ある事象の変動性に関する不確実性」という意味です。世の中には様々な変動要因があります。為替変動、気候変動、我々自身の気持ちの浮き沈みもある意味変動要因でしょう。これらはある程度予測できたとしても100%の精度で予知することはできません。経済市場ではこの時間的な不確実性を利用して交換比率をブーストさせています。

なぜリスクを利用するとブーストできるのでしょうか?
それは経済市場に自身の資本と時間を差し出す代わりに、他者の資本と時間を手に入れられる場合があるからです。

あなたは有馬記念で単勝10.0倍の馬券を1000円分購入し、見事的中させました。1000円×10.0倍ですから払い戻しは1万円となります。競馬ではどの競走馬が勝利を収めるかは馬券購入段階では分かりません。つまりこれは経済学上のリスク見なせ、あなたはそれを利用して1000円の資本で9000円分の資本を獲得しました。
このとき、9000円分の資本は予想を外した馬券購入者が馬券購入のために支払った資本から配分されています。
これは過程を除けば1000円分の資本を市場に差し出したリスクと引き換えに他者の9000円分の資本を手に入れたということです。

ギャンブルというハイリスクな例を持ち出しましたが、ローリスクな債券でも同様に考えてみましょう。
あなたはある企業の社債を1000円分購入しました。購入した社債の条件は以下のとおりです。
・企業格付けは最高評価
・償還日は10年後
・通貨は円
・年利0.5%相当
あなたは償還日まで社債を保持し元本と利息の合計1051円を獲得しました。
このとき、得られた51円分の資本の内訳は以下のようになります。
・1000円×10年分の時間が貨幣に変換された分
・企業倒産による元本喪失リスク分
今回の条件において存在するリスクは企業倒産リスク。企業格付けで最高評価を受けている企業であるため、このリスクも非常に小さいものとなりますがゼロではありません。
企業は社債によって集めた資本を用いて事業拡大もしくは新規参入を計画/実行します。そうすればより多くの資本を得られるチャンスがあるからです。もちろんこれらの計画は成功するかもしれないし、失敗するかもしれません。失敗しかつ企業が倒産するレベルだった場合、社債は紙くずとなり元本を失うことになります。これが企業倒産リスクです。
もっともあなたがこの企業の経営者だった場合、元本はおろか負債の支払いを迫られることになるので、元本を失うのみである社債は企業経営と比較して遥かに低リスクです。

事業拡大や新規参入に成功するということは、他社の事業領域を侵食するということであり、それは他社に資本を投じている経営者、株式保有者、社債保有者の資本をあなたが手に入れたということです。
逆に事業拡大や新規参入に失敗したにもかかわらず、企業倒産には至らない程度の場合、社債は企業がもともと持っていた資本から捻出されるため、こちらも他者の資本と時間を貨幣化して得たことになります。

このようにリスクを利用することで実質的に時間と貨幣の交換比率をブーストさせることができるのです。逆に言えばノーリスクで時間と貨幣の交換比率をブーストさせることはできず、もしあなたがそのような儲け話を耳にした場合、何かしらのリスクを見落としているのです。

第三節 失われた労働

前節で企業の事業拡大、新規参入に触れましたが、そこで働く労働者にとって企業の事業拡大、新規参入はどのような効果をもたらすでしょうか。
マルクスは『資本論』の中で「資本家が剰余価値を不変資本により多く振り分けると、資本の有機的構成が高度化する。すると総資本に対する剰余価値率は低下する。」と述べこれを「利潤率の傾向的低下の法則」と呼称しています。
平たく言えば、企業はFA(ファクトリーオートメーション)やDX(デジタルトランスフォーメーション)などの設備投資やより高品質な原材料に資本を多く振り分け、相対的に労働力へ配分する資本を減らすと長期的には利益率の低下を招くという意味です。この法則は発表当時から現代に至るまで多くの反証や批判に晒されてきました。というのも、現実に資本の全てを労働力以外に振り分けたとき、利益率が必ずゼロになるようなことは起こっていないからです。「労働価値説」では労働こそが価値の根源であるとしているため、完全なる無人工場では人が直接労働力を込められず、生産品には価値が付与されないことにならなければなりません。即ち、原価=売価となり利益率はゼロにならなければいけませんが、これは実態経済と異なるため「『資本論』は前提から成り立っていない。」という立場の主張を確固たるものにしています。

しかしながら、私個人は「利潤率の傾向的低下の法則」を成立させるシナリオが頭の中にあるため、ここに成立する解釈を書き記してみる。
第二章で私はマルクスが主張する「労働価値説」を一言で表した一文として以下のように書き記しました。
「商品の価値はその商品を生産するために費やされた社会的平均労働力量である※意訳」
ここで注視すべきポイントは社会的平均労働力量です。
ある企業、ある工場単体で如何に完全無欠な無人生産体制を実現できたとしても、その他の企業、その他工場が同じ商品に人的資本を投入している限り、社会平均的には無人生産においても人的資本が投入されていると見なされ、その投入量に応じた価値が生産物に付与されるため、利益を生み出すことができます。しかしながら、その後時間が経過してその他企業、その他工場も徐々に機械化/無人化を実現するようになってくるとどうでしょうか?
機械化/無人化により社会的平均労働力量は減少していくため、最初に完全無欠な無人生産体制を実現したある企業、ある工場に付与される価値も減少していきます。十分な時間と十分な設備投資が与えられ、ある商品を市場に提供する企業、工場全てが完全無欠な無人生産体制を実現したとき、社会的平均労働力量はゼロとなり、利益率もゼロとなるのです。
現代の資本主義経済においては十分な時間と十分な設備投資が与えられた市場は未だ存在しないため、事象の極限である社会的平均労働力量がゼロとなった商品を我々は観測できていません。そのため、実態経済とは異なる主張として受け取られているのです。
一方で、機械化が進んでいる業界が、機械化が進んでいない業界よりも業界として利益率が低い/賃金が不当に低い例は多く見受けられます。コンサル業界や学術研究業界は人的資本への資本配分が高いですが、業界平均利益率は全業界平均利益率より高いです。反対に農業は世界的には機械化が進んでいますが、日本では労働力の投入による生産体制が一般的です。全世界で見た農業商品に込められる社会的平均労働力量は日本国内に限定したそれと比較して遥かに小さく、日本国内の利益率は散々たるものです。将来的には国内においても食料自給率と利益率の改善目的とした企業などによる積極的な農業の機械化が進むとされていますが、その先に待っているのは現代よりも苛烈な価格競争と薄利多売なビジネスモデルとなることでしょう。

以上が「労働価値説」と「利潤率の傾向的低下の法則」が成り立つシナリオです。これらの理論を基に企業の事業拡大、新規参入が労働者に与える影響を考えましょう。「利潤率の傾向的低下の法則」に従う場合、企業は労働力に配分する資本比率を減らします。これは以下の2つパターンで実現することができます。
・相対的に労働者を減らす
・絶対的に賃金を減らす
前者は商品に込められる労働力を、後者は労働力の対価を減らすことで実現します。現代おいて前者は善とされ、後者は悪とされているため、一部のブラック企業を除いて露骨に後者の手段を選び事業拡大、新規参入を計画することはありません。また、ある企業の事業拡大、新規参入は他社の事業領域を侵食するわけですから、企業の事業拡大、新規参入が進むほど必要とされる労働力は業界全体として減少していくでしょう。
価格は需要と供給の関係で決定するため、労働需要が減少した業界は結果的に労働価格も低下し、既に失われつつある低賃金かつ僅かな働き口を求めて労働者が争うようになるのです。

第四節 信用戦争

本章の第一節から第三節までで利子とリスクによる信用の増殖と「利潤率の傾向的低下の法則」による労働の減少を確認しました。
さて、これらの特性を活用している現代資本主義経済はどのような未来を歩むのでしょうか?
マルクスは『資本論』の中で「資本蓄積の発展に伴って、生産は次第に集積し、自由競争は独占へと転化する。」と述べています。
即ち、信用を十分に増殖させたある企業が更なる信用の増殖を図り、事業拡大、新規参入を繰り返し成功させていくと他社は事業を奪われ破産し、いずれ市場は1社が独占することになるのです。多くの企業は自社がその1社となるために、より多くの信用を獲得しようと血で血を洗う信用戦争を昼夜問わず行っています。その手段として最も用いられている生産の自動化は経済市場から労働力を排除する結果となり、労働力の「価値」は貨幣の「信用」に駆逐されていきます。仮に全ての産業が完全無欠な無人生産体制を確立したとき、労働力が持つ「全ての商品に共通する価値」は貨幣に奪われ、名実ともに「価値の根源は貨幣」となり、人間は貨幣繁殖のキャリアとしてしか存在を許されなくなるでしょう。

あぁ、貴様も余を裏切るか、「信用」していたのに。

第四章 現代錬金術概論

第三章までで確認した資本主義経済の仕組みから、労働力はいずれ信用力に価値の定義そのものすら奪われることが明らかとなりました。我々労働者が所有する唯一の商品である労働力は時間共に価値を奪われていくのだとするならば、価値の定義に成り代わる信用力を獲得せねばなりません。このような道を辿ることの是非については他の書籍に譲り、とにもかくにもそういうルールのゲームとして我々は如何にして労働力以外から信用力を獲得するかを考えなければならないのです。
そんな訳で本章では現代の一般的な信用力獲得手法である「信用力を用いた信用力の獲得」、現代錬金術を確認しましょう。

第一節 株式

株式とは企業に出資した証として企業が発行する証書です。株式保有者には主に三つの権利があります。
・出資した企業の経営指図を行う権利(議決権)
・出資した企業の利益を受け取る権利(利益配当請求権)
・出資した企業が倒産したとき、残存資産を受け取る権利(残余財産分配請求権)
また、これらとは別に株式そのものを売買することもでき、需要と供給の関係から株式の価格(株価)の変動による売買差益を獲得することもできます。
信用力の獲得を目的とした場合、関係するのは利益配当請求権(配当金)によるインカムゲインと売買差益によるキャピタルゲインの二つです。

私個人の印象として株式はバランスの取れた商品であると考えています。
というのも、株式は最終的には売却する商品ですが、債権と比較するとリスクが大きいため、株価変動で損をする場合があります。そのため、損切りを選択しない場合は長期間株式をホールドし続けなければならないケースがあり、いつ株価が回復するのか分からないため、資産運用計画に綻びを生じさせます。一方で、ホールドし続けている間は年二回ほど配当金を得られ、その金額は債権より遥かに多い場合がほとんどです。これらの性質から、株価が高騰した場合はキャピタルゲイン、株価が暴落した場合はインカムゲインで収益を確保することができるのです。
出資する企業そのものが健全で倒産リスクが小さい銘柄限定にはなりますが、企業が倒産しない限りはどっちに転んでも収益を確保できるため、債権よりリスクが大きい性質を利用したブーストを効かせつつ安定した収益基盤を確保できるのです。
なお、風が吹けば倒産するような企業に出資する場合、長期的なインカムゲインで収益を確保する作戦は心が保てません。QoLのためにも健全な企業を選びましょう。本当はそういう企業に出資することこそが投資なのでしょうが…。

第二節 債権

債権とはある特定の対象に、ある特定の行為、給付を請求することができる権利です。こと資産運用の領域では債券、ある特定の企業に、給付を請求することができる権利です。債券保有者には株式保有者と異なり、議決権が無く経営指図ができません。一方、債券は償還日まで保有すれば元本と利子が得られるため、株式と異なり元本割れリスクがありません。(為替リスク、倒産リスクを除いた場合)
債券の利回りは普通預金金利/定期預金金利と同じく、おおよそその国の政策金利で決まるため、より高い利回りを追求したい場合は発行母体の格付けや償還日までの期間を調整しましょう。
その他にも劣後債やゼロクーポン債などリスクをカスタムすることで利回りをUPさせることができるので、少なくとも保有期間で倒産することはないであろうと判断したならば、リスクを上乗せするのもありだと考えます。

第三節 コモディティ

コモディティとは直訳で商品を指します。特に金融市場においては、金や石油など物質的な商品を指す場合が多いです。
コモディティの特徴は、利益を獲得する方法が主にキャピタルゲインであることです。
株式などと比較すると、シンプルに需要と供給の関係で価格が変動するため、昔から先物取引の代表格であり、多くの商品はこの金融取引によって消費者市場価格が決定します。
一方、コモディティにはインカムゲイン要素がほとんどありません。
株式や債券と異なり、所有している状態そのもので利益は発生しないので、インカムゲインを獲得するためには所有しているコモディティを更に貸し出すなどもう一工夫する必要があります。

第一項 貴金属
貴金属(主に金)は貨幣誕生以前、それ自体がお金として振る舞っていた過去があり、現代では装飾品以外に半導体部品などで新たな活用方法が見出され、盤石な信用力を確保している商品と言えるでしょう。
他のコモディティと比較したとき、貴金属は運搬コストや管理コストが圧倒的に低いため、現物を所持してポジションを取り続けることが可能です。
そのため、特に金融危機などでお金としては新参者な貨幣の信用が低下すると、お金として大御所な貴金属に投資家は鞍替えします。21世紀においても、投資家は金で安心を得たいようです。
なお、インゴットを買う場合、500g未満の購入には「バーチャージ」という手数料、そして消費税10%が必要であるため、富裕層でもない私はそれほど購入したくはありません。

第二項 エネルギー資源
石油や天然ガスなどのエネルギー資源は19世紀後半から急速に需要と供給共に増大し、人類文明を大きく発展させました。現代でこそ脱炭素を神輿に担ぎ上げ意図的な需要低下を画策していますが、エネルギー資源で発展してきた現代、そう簡単に脱却できるはずもなく。また、OPECによる供給量調整により、価格調整されます。新油田の発見、新しいバイオ燃料の開発、景気動向などポジションを取っているとニュースへの感度が高くなる効能がありますが、現物受渡しを選択する場合、プラントを所有する必要があるため、電子上の取引のみで完結しない場合のリスクを考えましょう。

第三項 穀物
麦や大豆、トウモロコシなどの穀物も先物取引の代表格です。人類文明の発展には機械を動かすエネルギー資源だけでなく、人間を維持、繁栄させていく食料が欠かせません。穀物取引は特に季節性、気候変動性が強く、種蒔き時期に付与リスクが最大となり、収穫時期にリスクが最小となります。なぜなら、天候災害で予想よりも収穫量が減少したり、突然の豊作に見舞われることで供給量が変動し価格が決まるため、供給量が決まる収穫時期から最も遠い種蒔き時期がリスク最大となるからです。
現物受渡しを選択する場合、穀物はエネルギー資源のようにプラントを所持する必要はありませんが、相応の土地が必要であることや傷んで品質が劣化することに注意を割かなければなりません。
こちらも電子上の取引のみで完結しない場合のリスクを考えましょう。

第四節 為替

金融取引における為替とは通貨とそれ以外の通貨との交換を指します。
通貨には通貨ごとに込められる信用力に変動があり、円の信用力が何かしらの原因で落ちると相対的にドルの信用力が上がったことになり、円安ドル高になります。もしあなたが円の信用力が落ちる前に円をドルに交換しており、円の信用力が落ちた後でドルを円に交換したら、円をドルに交換する前より多くの円を所持することができるので、数字の上ではその差分だけ儲けたことになり、これが為替取引による儲け方の基本です。しかしながら、その段階では円の信用力は落ちたままですから所持している信用力は変化していません。この後に円の信用力が相対的に上がって始めて信用力が増え儲けたことになるのです。
また、為替取引には上記のキャピタルゲインの要素だけでなく、インカムゲインの要素もあります。
政策金利の低い国の通貨を売って政策金利が高い国の通貨を購入した場合、金利差が発生します。もしこの金利差が正であるとき我々はこの金利を受け取ることができます。これをスワップポイントと言います。
そのため、高金利通貨として有名な南アフリカのランドやオーストラリアの豪ドルに円を交換しておき、スワップポイントを稼ぐといった作戦もあります。ただし、一般に高金利通貨は信用力が低いために高金利に設定されているので、ちょっとした出来事で相場が大きく変動し、元本割れすることも多々あります。もし元本割れから抜け出したあとに売り抜けるような長期的なポジションを取ってスワップポイントを稼ごうと考えているなら、ポジションを取った外貨建ての債券を為替取引で得た外貨で購入しておいた方がよいでしょう。第二節で記述したように債券も政策金利で利回りがおおよそ決まりますが、様々なリスクをトッピングすることができるので、どうせ長期所持をしておくのであれば債券にしてしまった方が利回りが良くなります。
最後に為替変動は実のところ市場の雰囲気で決まるなどと言われており、往々にして経済指標などを用いた分析通りにならないことが良くあります。
間違ってもそんな奇想天外な魔物にレバレッジをかけて大勝負するのは止めましょう。イクイノックスの単勝を買っておいた方がよっぽど根拠もあるし儲かりますよ?

第五節 仮想通貨

近年存在感を増してきた仮想通貨とは発行母体が国家以外の通貨であり、日本においては以下のように定義されています。
・不特定の者に対して、代金の支払い等に使用でき、かつ、法定通貨と相互に交換できる
・電子的に記録され、移転できる
・法定通貨または法定通貨建ての資産(プリペイドカード等)ではない
金融取引に限った話であれば、ブロックチェーン技術が云々かんぬんと小賢しい言葉を並べ立てる必要はなく、国家という後ろ盾無くして電子上にのみ仮想的に存在する通貨と捉えてしまってよいでしょう。
法定通貨は国家が発行母体ということで信用力を担保していますが、仮想通貨はそのような発行母体を持たないため、法定通貨より信用力が低く価格変動が激しい商品です。
とは言いながらも、仮想通貨が一定の信用力を保持しているのは法定通貨よりも便利だからです。
多くの人々にはあまり馴染みがありませんが、法定通貨の海外送金は時間と手数料がかなりかかり為替交換もしなければならないため、低コスト短時間で送金が完結する仮想通貨は金融取引において非常に便利です。ただし、あくまで法定通貨の海外送金と比較して安く速いというだけで、クレジット決済やWeb銀行振り込みなどの馴染みある取引決済よりは高く遅いです。

仮想通貨の定義にもあるように、仮想通貨と法定通貨は相互に交換可能です。金融取引上は仮想通貨もそれ以外の通貨との交換は為替と見なせます。ただし、仮想通貨には国家という発行母体がないために、政策金利という概念がなく、法定通貨同士の為替では存在するスワップポイントがありません。その代わり、仮想通貨取引所ごと独自にステーキング/レンディングという定期預金のような仕組みを設けていたりします。
ステーキング/レンディングは取引所独自の施策なので、金利は自由に決められ時折キャンペーンなどで高金利に設定されますが、為替リスクに見合う金利であるかどうかを確認しなければなりません。
もし高金利法定通貨建ての債券利回りより高いのであれば検討の余地がありますが、それより低い金利であればキャピタルゲイン狙いでもない限り外貨債券の方がリスク要因を為替リスク以外にも分散できるので安定したリターンが得られるでしょう。

第五章 桃栗三年柿八年 枇杷は早くて十三年

鋭意妄想中



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