急がば回れ

今日、会社を辞めてきた。

これから全くこれまでとは違う仕事をする。

新卒で今の会社に入ってから1年と7ヶ月
今まで積み上げてきた専門的な知識やスキルは、ほとんど使い物にならなくなる。

じゃあこれまでの時間は無駄だったのかといえば、それも違う。
ただもっと上手なやり方があったというだけの話。

ずっとやりたいことと出来ることの間で板挟みになっていたし、それに抗い続けた人生だった。

理系教科が苦手なのに、物理選択をした。
手先が不器用なのに、技術者になった。

そして、その道に進む言い訳は決まってこうだった。

「自分が将来やりたいことのため」

中学生の時、技術への道を志してから
「自分にはできませんでした。」
と言うのに何だかんだ10年もかかったわけだ。
まぁモータースポーツへの道はもう少し早く諦めたのだけれど。

「何もレーシングカーを作るのだけが道じゃなくて、色んな関わり方があるんじゃない?」
なんて母親から言われたのは確か大学生の頃

これから働く転職先は、
その「色んな関わり方」の一部

結果から見れば母の言うことは正しかった。
でも、これだけの期間をかけなければ心の底から諦めることは出来なかったのだと思う。

「技術者」に憧れを抱いたのだから。
技術に狂った人間に、情熱を持った人間に憧れを抱いたのだから。

ロータリーエンジンがル・マンを征した。
ホンダがF1を征した。
ヤマハがSR400をこの世に残し続けた。

そんな、逆風に立ち向かう技術者に憧れた。

仮に歌が下手な人が歌手に憧れを抱いたとき

「自分は歌が上手じゃないから」と

音楽プロデューサーを最初から目指すほど賢い人が世の中にどれぐらい居るだろうか。
普通は歌の練習をするものだと思う。

そして、立場は違えど
「ものづくり」というものからは完全に逃げられなくなってしまった以上、

「あなたは技術の人間じゃない」

というのは大きなコンプレックスになることは分かりきっていた。

だから、これだけの期間を積まないと諦められなかったのだと思う。

文理選択をしたあのとき
塾の先生の意見に流されていれば

就職活動をしていたあのとき
学部に関係のない仕事も視野に入れていれば

もう少し違って、効率のいい人生を遅れていたと思う。
でも、これだけ遠回りしたから納得できた。

今はそう思っています。

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