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そらの記憶

●2021年10月6日
愛猫のそらが死んでから今日で5日経つ。

日中は平気なのに寝る前になると、生きていたそらと死にゆくそら、死んだそらの映像が脳内で行ったり来たりする。

お別れはちゃんとしたはずなのに、かなしい気持ちが胸の奥にあるので、こうやって思うままに書き留めていこうと思う。

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●2020年7月1日20時 発覚した日

お母さんから、『そらのお腹が腫れている。乳腺腫瘍かもしれない。精密検査をすることになった』と連絡が来た。

とっさに「猫 乳腺腫瘍」と検索をする。どの記事でも9割悪性だと書いてある。乳腺腫瘍の猫のブログで救いのある情報を探す。どの記事も最新はその猫の最期について書かれていた。

悪性だと3年生きることはほとんどないらしい。事実を受け止めきれない。

●2020年7月
悪性かどうかを調べるために手術をして乳腺の片側を全摘出。この時点で悪性であることはほぼわかりきっていた。
元々小柄なそら。30センチ近くお腹を切った。

切り取った乳腺を検査した。悪性だった。余命が8ヶ月という書面を受け取る。ということは2021年3月にはそらはいなくなるのか?急にどん底に落とされた気持ちになった。

そらは私が高校2年生のときに親が拾ってきた猫。出会った日のことは今も鮮明に思い出せる。手のひらに乗るくらいの大きさで、警戒心もなくただ小さく丸まっていたそら。私にべったりで、布団にも入ってくる。
もともと先に飼っていたクウが親猫代わりに世話をしていた。

2007年ごろ。きた日のそら

●2020年11月
片側乳腺を摘出してから4ヶ月経った頃、そらの足に湿疹が出始める。おそらく転移だろうとのことで2回目の手術を行った。

2回目の手術は本当に辛そうだった。鳴き続けていたのか声は枯れていた。大きな声を上げながらよたよた歩き、お母さんの元にすり寄っている。

2回目の手術。がんばったね。

それでもそらは元気になった。1回目のときも2週間程度で走り回るくらいの強さがあった。お腹は皮膚をとっているので、猫特有のふわふわなお肉は無くなっている。それが少し寂しかった。

高いところにも上るし、クウとじゃれあったりもしていた。
いつのまにか余命宣告されていた3月がすぎていた。

●2021年5月
片側の乳腺も腫れて摘出することになった。3回目の手術だった。お母さんと、手術はこれで最後にしよう。と決めた。

病院が大っ嫌いなそら。昔は健康診断だけで口から泡を吹いてしまったことがある。きっと病院に行くだけでそらにとってはストレスだろう。3回もがんばったんだからあとはゆっくり過ごしていこうと考えていた。

この時でがんを宣告されてから10ヶ月経っていた。やっぱりそらは長生きするのでは?そらの苦しみは理解してるはずなのにまるでなかったように良い方に考えてしまう。

でも全然そんなことなかった。がんが外側に露出してしまうのでそらの足はずっと血が滲む状態だった。

●2021年8月
肺に転移の兆候が見られた。肺に転移すると呼吸がしにくくなり辛いと聞いたことがあった。一番なって欲しくない状況になってしまった。

それでもコロナで会えない日々が続く。会えない間にもそらのがんは広がっていっている。

●2021年9月
少しずつ食べなくなり、見てもわかるくらい痩せていっていた。もしかしたらもう長くないかもしれない。食欲がない時は病院に行き、肺に溜まった水を抜いてもらっていた。病院に行くのは申し訳ない思いがあるが、水を抜くと食欲が元どおりになってご飯をばくばくと食べてくれる。これは治療ではない、生きるために必要な処置であると私でもわかった。

肺の水を抜いても一週間も経たないうちにまた溜まってしまう。その度そらは食欲を失ってしまう。

ドレーンというものがあるらしく医者に提案された。胸の液体を抜くことのできる細い管を背中に通すものらしい。母に相談されたが、今もものすごく頑張っているそらにここまでのことをさせるのはやめよう。と断った。私は今もこの処置をしなかったことに後悔はない。

●9月30日
そらがお風呂場に行く。死ぬ前の兆候にお風呂場に行くというものがあるのを知っていたのでもしかしたら…と思った。母はそらがいつもと違う行動をとることに対して非常に怯えていた。

●10月1日
この日は台風がきていた。15時ごろ母から『何も食べなくなって、呼吸がおかしくなっている』と連絡がきた。『目も見えてなさそう』と。

とっさに母に電話をかける。『呼吸がしにくくなって一瞬パニックになり暴れていた。でも今は酸素ハウスに入れて落ち着いている。台風も来ているので来なくて大丈夫そう。』

そらは今日逝ってしまう。直感でそう思った。

電車で1時間半、18時半ごろ実家に着いた。そらは2週間前に会った時からまた痩せていた。酸素ハウスに入れると呼吸が落ち着く。

お母さんの足音やお母さんがお皿を洗う音の方に身体を向けるそら。バランスを崩しそうになりながらもお母さんの存在を感じ取っていた。

21時15分ごろ、そらがお漏らししているからとお母さんがお尻を拭こうとする。
それと同じくらいのタイミングでそらの呼吸が荒くなった。

もう最期かもしれないと思った私は、お母さんが酸素ハウスにそらを入れようとするのを止めた。
母と一緒にそらの名前を読んだり身体を撫でたりする。

1分後そらの呼吸が止まった。両足がビクビクと痙攣している。
胸に手を当てるとまだ心臓は動いている。
今までの感謝や、そらがいてくれたおかげでどれだけ幸せだったかをたくさん伝えた。

そこから、そらの心臓はゆっくりになっていき、最期、駆け抜けるように早く鼓動を打って、そのまま小さくなって止まってしまった。

身体は温かいのに、呼吸も心臓も止まったことが信じられなかった。

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そらが死んでから2年半以上経ちました。
このnoteはそらが死んでから5日後に書き溜めていたものです。
そらは、世界一かわいい家族でした。闘病中も、そうじゃないときも。

病気を抱えながら生きてくれたそら。そらの病気の治療は決断の繰り返しでした。私たちの選択が今もどこかで同じ病気を抱えた猫を持つ人のヒントになるといいなと思います。

決断することは勇気がいることだし、どの治療を選んでも後悔は残ります。それでも最愛の家族のことを考えて決めた治療法は間違いじゃないと思うんです。

#乳腺腫瘍 #猫闘病

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