ディック・ブルーナ 若き日に手がけた装丁の仕事
「ミッフィー」で知られるデザイナー、ディック・ブルーナが若き日に手がけた装丁作品を、444ページにまとめ上げた貴重な一冊。
▶️ "Bruna - ZWARTE BEERTJES" 「ディック・ブルーナ 装丁の仕事」
ディック・ブルーナ、という名前を聞けば、どなたでも反射的にあのウサギの「ミッフィー」(うさこちゃん)を思い出す、赤・青・緑・黄色・白色のパターンで塗られた絵本がすぐに浮かんでくるでしょう。
オランダが生んだ「世界で最も有名な絵本作家」、ディック・ブルーナ。しかし、絵本作家という呼び方は、ディック・ブルーナの生涯における仕事の全貌を語るには不十分な称号です。
ブルーナは50年かけて100冊の絵本を描きましたが、実は絵本作家としての側面は彼のデザイナー、アーティストとしての仕事の一部にしかすぎません。
彼が28歳から48歳の20年間に渡り、手掛けてきたたくさんのグラフィック・デザイン。数にして、なんと2,000もの作品があります。実はそれはすべて、オランダのA.W.ブルーナ&スーン社のペーパーバッグのために彼が描いた表紙のデザイン、装丁でした。この膨大な作業、なんと1年間に150冊というペースで作品を描き続けていた時期もあったといいます。
この2,000冊の本の装丁の仕事。これらのペーパーバッグのシリーズは「ZWARTE BEERTJES(ブラック・ベア)」と呼ばれていますが、これまで出版されたいくつかのブルーナ関連書籍でも、この時期の作品は数ページが割かれているだけだったのです。
多くが読み捨てられる文庫本ということで、現在では入手がたいへん難しく、資料が乏しいため、体系的にまとめられたことが無く、資料も存在していませんでした。
この一冊、「Bruna - ZWARTE BEERTJES」は、デザイン系企画展などのプロデュースで知られるGlyph.の柳本浩市が集めた莫大なブルーナ関連のコレクション。これを彼が一冊にまとめ上げ、はじめて本格的なブルーナの装丁の仕事が完成しました。
約1,000冊のブルーナ装丁の表紙デザイン、さらには30枚の駅貼りポスター、そして26枚の販促ノベルティーのデザイン。これまで知りたくても誰も知ることが出来なかった、若き日のブルーナのデザインの足跡。そして様々な実験。それらが、この豪華な一冊にまとめられました。
ディック・ブルーナが職業デザイナーとしての人生をスタートさせたのは、A.W.ブルーナ&スーン社、つまり彼の父が経営する出版社の仕事でした。歴史有る中堅出版社だった同社は、第二次世界大戦後、電車に載る時にポケットに携えておく、軽量で安価なペーパーバッグの探偵小説の出版で成功を得ます。
そのときに必要とされたのが、その表紙のデザイン。跡継ぎとして経営を任せたかった父の願いとは裏腹に、ディック・ブルーナはシムノンのメグレ警視シリーズなど、当時の流行小説の表紙を描くことで家業と関わることになります。
そして代わり映えしない表紙ばかりの他社のペーパーバッグとは違い、これまでの書籍デザインの概念を覆した、奇抜で考え抜かれた、優れたデザインは人々の目を引き、このシリーズは大成功を収めます。
「ミッフィー」など、ブルーナの絵本を眺めていると、どの作品もその表現や色遣いなど、そのスタイルは変わっておらず、彼は早い段階でその方向性が固まっていたようにうかがえます。
この「Bruna - ZWARTE BEERTJES」のページをめくって作品を眺めていると、その断片は現在のブルーナ的な手法を垣間見ることはできますが、いわゆるブルーナが彼の絵本で多く使用する色遣いやタッチはあまり見られません。つまりブルーナはこの時期、ありとあらゆる表現の方法をこの2,000冊もの莫大な装丁というフィールドで試していた、ということなのでしょう。
ブルーナが自身のセンスを鍛え、「ミッフィー」で独自のスタイルを確立することができた、その秘密。それがこの一冊に凝縮されています。
この本のタイトルともなっている「ZWARTE BEERTJES」、つまり「黒クマ」はこの一連のペーパーバッグのシリーズ名であり、その表紙の片隅にアイコンとして描かれていた、小さなシンボルマークでした。
しかし1956年にはこのペーパーバッグの広告として駅貼りのポスターとして大きく描かれるようになります。そしてこの赤い目の黒クマのポスターは1960年代に2つの大きな広告の賞を受賞。これによってブルーナの名前は世界的に知られるようになってゆきます。
この444ページという分厚い豪華冊子にまとめられた、1,000点を超えるディック・ブルーナの作品は、彼のデザインの実験であり、好奇心の足跡であり、成長の過程でもあります。
本書籍の装丁もたいへん美しく、オールカラーで、ブルーナの装丁作品の素晴らしさをきちんと伝えてくれます。またその制作年代などの資料性も高く、装丁デザイン、戦後の大衆小説の遍歴を知ることができる第一級の史料でもあります。
ブルーナのファンの方はもちろん、デザインが好きな方、デザインを学ぶ方にはぜひ手にしていただきたい、必見の一冊です。
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ディック・ブルーナ(Dick Bruna)
本名、ヘンドリック・マフダレヌス・ブルーナ
ディックとは「太っちょ」という意味の愛称
1927年 オランダ王国ユトレヒト市で生まれる。子供の頃から画集に触れ、油絵を描く。
1945年 第二次世界大戦が終結。高校を退学し、イギリス、フランスの出版社を研修。父の経営する出版社「A・W・ブルーナ&ズーン」社の後継者となるべく出版を学ぶ旅にでる。しかし実際はビジネスの修行そっちのけで美術館や画廊を精力的にまわる。パリではマティスなどの現代作家から多いに影響を受け、自らもスケッチを重ねる。
1947年 オランダに戻り、父にアーティストになることを承諾させ、アムステルダム国立美術がアカデミーに入学。しかし自らの求めるものとの違いから退学。
1951年 結婚を期に父の出版社の専属デザイナーとして働く。
1953年 初の絵本「de appel」出版。
同年 ブルーナ社が発行する書籍の装丁を担当。もともと神学書を出版していた老舗の小さな出版社だったブルーナ社は、ペーパーバッグの推理小説の出版で成功。
これまでの書籍の概念を覆したシンプルで斬新な装丁は人気を博し、年間100冊もの装丁をこなす。また同社のキャラクターだった熊にディックが手を加えた「ZWARTE BEERTJES」(ブラック・ベア)が読書週間用のポスターとして登場する。
1955年 ブルーナ社からペーパーバッグ「ブラック・ベア」シリーズがスタート。年間150冊の装丁を行う。同年「nijntje」というウサギを主人公にした絵本を刊行。ナインチェ・プラウス、これが後の「うさこちゃん」「ミッフィー」となる。
1971年 友人とともにメルシス社を創立。
1975年 ブルーナ社を退職。この時まで20年に渡って「ブラック・ベア」シリーズの装丁を続けた。