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学校の勉強と、社会の勉強

勉強について、考えてみたい。

学校の勉強は、テストにおける高得点をとるための、勉強だ。それを教師は教える。

歴史を教える、数学を教える、英語を教える。

出題範囲を教える。塾や予備校は、解き方や方法論について、もっと深く切り込んで教える。

カンニングは悪で、罰則を受ける。自分の力で解くことが善とされる。

ところが、社会の勉強は違う。

建前は禁止になっているが、実際はカンニングが横行する、無法地帯だ。

出世のための昇進試験は、同僚や後輩が集まり脇を固めてカンニングの嵐、試験監督に至っては、見て見ぬ振り。

会社も出世させて責任を押し付けたいから、試験の敷居を低くして、急いで受からせようと、必死だ。

いったいこの出来レースはなんなんだ。

今まで必死に勉強して、正攻法で合格してきたのはなんだったんだと、みんな思う。

そして、やる気をなくし、仕事の質も落ちていく。

組織腐敗の出来上がりだ。(もちろんちゃんとしている人もいるし、まともな会社はいくらでもある)

じゃあ、学校の、勉強ってなんなのか。社会に出て、サラリーマンになっても、何の役にも立たない。

自分から首を突っ込んで教えてもらわないと、誰も教えてくれない。

競争社会は、走るやつには追い風になるが、脱落者には目もくれない。

それなら、社会に出て役に立つことを、早いうちから教えた方がいいに決まってる。

今までの勉強は間違ってました。本当の勉強とは、こうです。

他人とはあざむくもの、出世のために、蹴落とすこと、テストは最小にコピーして、電卓の下に答えを隠しておくこと、試験監督はチェックしないから大丈夫、びくつくな。

頭がいいからって目立つな、出た釘は打たれる。ひどい目に合うぞ、能力が高いやつは、目立たないよう、こっそりひっそり、爪を隠しながら、甘い汁だけ吸っておけ、いずれチャンスがくる。

いけると思ったら、怒涛のように畳み掛けろ、手は緩めるな、一気にだしぬいて、寝首をかいていけ。

こう教えてくれた方が、ためになるに決まっている。

なのにみんな本当のことを言わずに綺麗事ばかり教えるから、おかしなことになっていく。

ゆとり世代、さとり世代と呼ばれる人が新入社員で配属になっている。

仕事に情熱や、やりがい、向上心を求めない。

そんな子たちと、上の上司、頭が硬い連中の価値観が噛み合うはずがない。

社会とは怖いもの、という先入観が先行し、上司に壁を作る。

その壁をなくすのが上司の仕事なのに、プライドが高いから、なんでできないんだ、のオンパレードで、さらに逆効果だ。

教え方、やらせ方、全部の歯車がバラバラで、人事やマネージャーはほったらかし、そんな日本企業は腐るほどある。

なのに直そうとしない、正しいと思い込んでいるからだ。

プライドが高いからだ。プライドで数値をとってきた企業ほど、プライドは弱点になり得る。

少し脱線したが、学校の勉強、社会の勉強、この2つには交わることのない、平行線が、確かに存在しているのだと思う。

社会勉強を、するなら、早い方がいい。アルバイトでもなんでもいい。学べるやつから学んだ方がいい。

あとは、好きなことを、仕事の中に、一つでいい。見つけること。

それが社会人からの、僕からのアドバイスだ。