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『おせんべいくんとぷりんちゃん』四話

四話

おせんべいくんは、幼稚園のころ、プールの時間が苦手でした。

母親が、お風呂を嫌がるおせんべいくんを、無理やりお風呂に入れようと、顔から力任せに、湯船につけさせたり、熱湯のシャワーを泣き叫ぶおせんべいくんの身体に、かけたりしていたからです。

その時の母親の顔は、悪鬼のように歪んでおり、おせんべいくんのことが、憎くて憎くて仕方ない、というような表情をしていました。

また、おせんべいくんをそうやっていじめたり、からかったり、嫌がることを無理やりしている時の母親は、どこか、楽しんでいるようでもありました。

おせんべいくんは、子供ながら、そういう母親の仕草や細かい表情を、敏感に察知していました。

なぜこの人は、僕のおかあさんなのだろう。

この人は、本当に、僕のおかあさんなのだろうか。

違うのではないか。僕は実は別の家の子で、おかあさんは、それを実の子だと勘違いしているだけなのではないか。

だから、僕にこんなに厳しく当たるのではないか。

そんないろいろなことを、おせんべいくんは考えていました。

他のともだちのおかあさんも、同じように、こどもが嫌がることを、無理やりしたり、それを楽しんだりしているのだろうか。

そういうわけで、水がすっかり苦手になってしまったおせんべいくんは、プールの時間も、顔を水につけたり、水に入ったり、みんなとふざけあって、マヨネーズ容器やペットボトルの自家製水鉄砲で、水をかけあったりするのも、あまり楽しくありませんでした。

そんなところでも、おせんべいくんは周りと違う、みんなと普通に遊べない自分に対し、劣等感や、居場所がない感じを受け続けていました。

ただぼーっと立って、水が苦手なことを、先生に言うこともできず、ちらっとでも表情に出してしまうと、なにか、周りに迷惑をかけてしまうのではないか、おかあさんのように、自分を嫌いになってしまうのではないか、そういう恐怖心にこころが支配され、ただただ、無表情に、何も考えず、何も言わず、プールの時間中、ひたすら、突っ立っていました。

先生は、そんなおせんべいくんのことを、やりにくい、めんどくさい子供だなと、思ったのでしょう。

ずっと立ったままのおせんべいくんに対し、構わず、話しかけず、他の園児たちと、遊ぶのに必死のようでした。もう少し大人になってから知るのですが、これがいわゆる、無視、というものなのだということを、おせんべいくんは、後から気づくことになるのでした。

このプールの間中、おせんべいくんは、考えていました。

僕は、棒だ。

僕は、なにも考えない、ただ、そこにあるだけの、棒なんだ。

弱々しく、風が吹けば転がり、あっけなく飛んでいく、ただの木の棒なんだ。

そう思うと情けなくて、涙が出てきそうでした。

ほんの30分間か、そこらのプールの時間でしたが、おせんべいくんにとっては、永遠とも思われる、つらく、苦しく、やり場のない無常感を、ずっと内面に抱え続けるだけの、精神の地獄のような、時間でした。

続く