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『おせんべいくんとぷりんちゃん』 12話

12話

おせんべいくんのお父さんは、ある日、車を運転していました。

しかし、なにかのタイミングで、ハンドルを切り損ね、石油タンクに車をぶつけてしまいました。

おせんべいくんは、その車に一緒に乗っていました。

あっ、と思った矢先、その石油タンクからは次々に石油が溢れ、周りの道路は、あっという間に石油だらけになりました。

ひしゃげたタンクの中で、なにか蠢くものを、おせんべいくんは見ました。

それはとても大きく、黒く、禍々しいもののように、感じられました。

すべての人間の、負の感情が詰まったかのような、悪意に満ちた蠢きでした。

おせんべいくんのお父さんは、こりゃあまずいな、と言って、慌ててハンドルを切り直し、急いで家に向かって車を走らせました。

まるで自分のせいではない、なるべくしてなった、仕方のないことだ、と、おせんべいくんのお父さんは、思っているようでした。

警察には言いませんでした。

罰を受けるのが怖かったのかもしれません、起こってしまったことは、時間が経てば忘れ去られる。

それを、待てばいい。

だから、責任を感じる必要はないんだ。

おせんべいくんは、まだ子供でしたが、父親の行動を見て、彼の考え方や、一種の逃げの哲学のようなものを、一瞬で理解しました。

家に帰ったおせんべいくんは、テレビをつけて、顔が真っ青になっていくのを感じました。

父親の起こしたことが原因で、町中がめちゃくちゃになっていたのです。

あのタンクの中から、得体の知れない化け物が出てきて、目や口から、炎やレーザー光線のようなものを出し、周りのものや人間を、手当たり次第に、焼き尽くしているのです。

逃げ惑う人々や、炎に包まれるビルや家々。

ばら撒かれた石油に引火し、火の勢いは、ますます大きくなっていきました。

テレビではアナウンサーが、顔をこわばらせながら実況をしています。

誰かがあのタンクを壊したから、化け物が出てきたのです、というような意味のことを、繰り返し叫んでいます。

それがおせんべいくんには、お前の父親が悪いんだ、お前の父親のせいで、家族は殺され、家も失った、友達や関係ない人も大勢死んだ。

責任を取れ。

というように聞こえました。

繰り返し繰り返し、何度も何度も、おせんべいくんは、アナウンサーの呪詛の言葉に頭を悩まされました。

それは頭の中で、無数の人間のそれに、置き換えられました。

何人もの人間が、おせんべいくんに向かって、非難を浴びせ続けました。

おせんべいくんはノイローゼのようになりながら、半ば酩酊状態で、テレビを見続けました。

大変なことをしてしまった、取り返しのつかないことをしてしまった。

くすっ

それは、お腹の底から、かすかに、聞こえました。

くっくっ、ふふっ

だんだん大きくなっていきます。

あっはっはっ、くすくす

ざまあみろ

おせんべいくんは、最初、それが自分の中から湧いて出てきたものだと気づきませんでした。

ざまあみろ

そういう感情を捉えるのに、すこし時間がかかりました。

理性と倫理観、常識といったものが、その感情の出現を、わずかに留めました。

ざまあみろ?

「ざまあみろ」?

自分の父親のせいで大勢の人が亡くなって、怒りや悲しみに震えているというのに、ざまあみろ?

誰に対して?

自分?他人?父親?

いや、違う。

この世の中全てに対して、おせんべいくんは、ざまあみろ、と思ったのです。

俺を生んだ母親、父親、そしてその2人を生んだそのまた母親、父親。

先祖。

この世界、世の中。

死んでいく人々、街、炎、得体の知れない化け物。

お前らが頑張って築き上げたものは、あっさりと、壊れていくんだ。

なんて儚く、美しく、そして、あっけなく、鮮やかなんだ。

ざまあみろ、壊してやった。

おせんべいくんは、今度ははっきりと、自分の感情を理解し、形にすることができました。

翌朝、おせんべいくんは、汗をびっしょりとかいたまま、ベッドから飛び起きました。

そこには、以前と変わらない、退屈な日常が待ち受けていました。

どこにもいけない、逃げ場の無い世界の始まりです。

続く