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俺のif論

もし、昨日会社に行く前に、ペットボトルホルダーを付けて行っていたら、仕事で使うカッターナイフを、そこに入れておくことができただろう。

昨日の気温は暖かく、いつも着ているフリースを脱がざるを得なかったことと、カッターナイフをフリースのポケットに入れているので、シャツだけだと、カッターナイフの行き場がなくなってしまうのである。

それで仕方なくズボンのポケットにカッターナイフを入れて仕事をするのであるが、これが動きづらい。

ペットボトルホルダーを付けていれば、そこにカッターナイフを入れることができ、ストレスは解消されただろう。

自宅を出る前に、ペットボトルホルダーを持って行こうか、どうしようか、一瞬悩んだ末、持っていかない、という選択肢を選んだわけである。

あのとき、こうしていれば・・

これが、後悔というものだ。

1日の間、人間には必ずといっていいほど、無数の選択肢が与えられる。

何時に起きようか、傘をもっていこうか、すれ違った人にあいさつをしようか。

そして、たいていは、面倒くさくない方の選択肢を選びがちだ。

早起きが面倒くさいから、ギリギリに起きる、傘を持つのが荷物になるから、持っていかない、あいさつしてかえってこないと、傷つくし面倒くさいから、しない。

そして、後悔を呼ぶのは、たいてい面倒くさくない方を選んだ時だ。

楽な選択肢だ。

選択の段階で、楽な方を選んだつけは、後々、後悔というしっぺ返しをくらうことになる。

僕はいま、風邪をひいて寝込んでいる。昨日は会社を早退させてもらい、病院に行った。

39度で、点滴して頓服飲んで、療養中だ。

インフルではなかったが、細菌数が異常に多く、実家に帰って色々家族で遊びまわった結果、誰かのウィルスにやられたんだろう。

で、昨日の朝、小雨が降っていたので、傘をさして歩いていくべきか、自転車でさっと走って濡れていくべきか、悩んだ。

結局、傘をさして歩いていくことに決めた僕は、その日のうちに熱がみるみる上がり、早退し、とぼとぼ歩いて帰らなければならなくなった。

39度の朦朧とした意識の中で、相当しんどかった。

あのとき、自転車に乗るという選択肢を選んでいれば・・

これも、後悔だ。

いいコンディションの時は、正解の選択肢を選ぶものだが、悪いコンディションの時は、だいたい外れの選択肢を選びがちだ。

いつも、こういうプチ後悔のときに、思い出すのは、FF6のラストシーンでギャンブラーのセッツァーが言った言葉だ。

「いいか、迷ったときは、自分で決めた答えとは、逆の選択肢を選ぶんだ」

みたいな台詞だったと思う。

元になった実在の言葉があるのか分からないが、逃げ道に迷ったキャラクターに向かって、セッツァーは迷いなくこの言葉を伝えた。

そして、正解のルートを進んだ。

勝負師にしかわからない、経験に裏打ちされた、選択の極意だと思う。

人生は失敗の連続でできている。

それはいわば、選択の失敗ともいいかえれるだろう。

だが、経験することで、人は、学ぶことができる。

失敗した、同じAという選択肢を、二回とも選ばないはずだ。

次はBを選ぶだろう。

だが、人は悲しいかな、忘れていく生き物だ。

同じ失敗を、二回も三回も、何百回も、何万回も、何億回も、繰り返す。

状況によって、その選択肢を選ばざるを得ないときもある。

だが、考えてみてほしい。

決断と、行動をするのは、結局、「あなた」なのだということを。

あなた自身が後悔をしないために、選択には、十分な時間と、熟慮が必要だ。

あなたの心に従った決断が、結局は、いい結果を生むはずだ。

僕は、そう信じている。