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富田監督も「仏」だった

 11/12:映画「典座」について、同じ曹洞宗の僧侶としてネガティブな感想を書いた。

 11/15:富田監督と直接お会いする機会に恵まれたので「曹洞宗の僧侶としては辛い映画でした」とお伝えしたら「どんな風に?」と質問されて、なんと…いろいろとお話することができた。驚。お陰で先週つぶやいた辛い気持ちがやわらいだ。以下、その理由を2つ書いておく。

 1:私はこの映画をみて、主人公のひとり全国曹洞宗青年会の山梨に実在する智賢さんってマジで薄っぺらいなぁ。曹洞宗を代表する若手僧侶がアレじゃあ曹洞宗の未来は絶望的だよなぁ。と同じ僧侶としてしんどい気持ちになったわけだが、大きな誤解をしていた。彼は空族の考える一般人からみた上っ面でしょぼい僧侶を演じているだけで、実際の彼があんなに浅はかな僧侶な訳じゃない(お会いしたことないのでわからないけど)。映画の説明文に“ドキュメンタリーとフィクションの境界を自在に飛び越えながら、禅問答のように描く。”という文言があったが、そういうことだ。まずは監督からコレを聞いてめちゃくちゃ一安心。いや、そんなこと普通わかるだろ!と思うかもしれないが、同じ僧侶として感情移入し過ぎた。面目ない。

 2:次に映画の中で、智賢さんをはじめとする頼りない僧侶たちの導き手として、高僧 青山俊董老師が登場してアレコレお話する場面について。映画の告知には“彼女のことばを通じて、映画は驚くべき境地に観客を誘うことになる”と書いてある。しかし映画を見終わった私は驚くべき境地には連れてってもらえなかった。その残念な気持ちを残念なまま持ち帰ることになり辛かった。

 ここに関しては、監督自身が彼女にインタビューした撮影当時、彼女の生のことばに実際に心が救われて、安堵して、様々な気づきがあったからこそ、映画に使ったという話を聞いた。更に映画をみたお客さんからも彼女のことばに心を打たれたという感想を沢山頂いているらしい。勉強して頭でっかちになっている僧侶の私がピンとこなかっただけで、監督や観客が彼女のことばに感動しているのなら、何の問題があるのだろうか。何も問題はないじゃないか。映画は大成功やで!という訳でここもクリア。

 大きくはこの2点について、直接監督からことばをもらいスッキリした。そのあとは、祖父が寺の住職である富田監督の仏教へのめちゃくちゃにアツい想いなど聞いた。監督は、この映画はスタートラインで、マジで続編をやりたいと思ってるそうだ。

 私の尊敬する禅僧がこんなことを言っていたが監督からも同じ意気込みを感じた。このあいだ、俺は世界中の「仏」と繋がっているからマジで幸せ的な記事を書いたが、間違いなく富田監督も「仏」だった。また1人素晴らしい「仏」に出会えて興奮してしまう一夜だったというお話。という訳で

映画「典座」あまねく人におススメです!


 ただ最後に映画をみる人に注意点をひとつ。富田監督の映画は、見る側の鑑賞能力が問われる作品だとは思う。なぜかというと、例えば富田監督作品「サウダーヂ」は、ザシネマハスラー2011で1位を獲ったんだが、宇多丸さんはその時評でこんなふうにいっている(やや雑な文字起こし)。

今時の日本映画に多いような親切な説明みたいなのもない。群像劇でいっぱい人がでてくる。カタルシスのあるパズル的な快感とか、うまい着地、それぞれのキャラクターに対するストーリー的な出口が用意されてないので、そういう語り口に慣れていない人は、肩透かしというか、アレっ?ってなる人もいると思う。(…)それで今後、どうすればいいのかという問いに対する答えは、いってみれば映画の外側にあって、現実の我々に返されるという創りだと思うんです。(サウダージ評)。

 つまり、ただボーっとみていて気持ちよくなれる映画ではないというか。自分から積極的に映画に意味や価値を見出す心意気が必要というか。こういう創り方は典座においても踏襲されていると思う。その辺を、頭に入れて見ないと宇多丸さんの言うようにアレ?っとなってしまう。ここは注意しておきたい。

 実は11/15に私は、この映画サウダーヂの上映会にいったのだが、宇多丸さんの言う通りサウダーヂは5千億点!最高だったが、上映会後のサウダーヂ漫談はその更に上をいく盛り上がりだった。そして、上映会のお陰で監督とお会いできて、お話までさせて頂き、私は典座へのモヤモヤも解消することができた。

 富田監督、相澤虎之助さん、樋口泰人さん、イワイさん、それに会を催してくれたサイトウレオさん、その他、関係者のみなさん、この度は、素敵な上映会を本当に有難うございました。お疲れ様でした。合掌

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