父親が死んだ時の話

夏、8月の終わり、父は自死を選びました。

お久しぶりです、更新が途絶えて申し訳ありません。
タイトル通りのことが起こったのでとってもメンタルが吹っ飛んで更新できませんでした。ごめんね!
年が明ける前に心の整理も兼ねて書いておかないとメンタルが死ぬなと思ったので、今回はその話をします。忘れてる(忘れたいと思った)こともあると思うので、全部はかけませんがよろしくお願いします。

※人が死ぬ描写がたくさんありますので嫌な人は読まない方が良いかと思います。

8月の終わり、父は自死を選びました。その日は朝から父の姿が見えず、母がソワソワと気にしていました。
その時から母は「お父さん死んでるかもしれない」と気にしており、私は「流石にそれはないんじゃない?」と楽観的に考えていました。
その日の夕方、作業をしていた私は兄の「死んでる!」という声が理解できませんでした、兄は父の遺体を直接目視し、大慌てで私たちに伝えたようでした。
その後あまり覚えていないのですが、警察を呼び、事件性があるかないかという話になり、遺体は警察に引き取られました。
その時は正直、父が死んだという実感がありませんでした。

ここで父の話をします、オブラートに包みますがまあ自分勝手好き勝手、嫁子供より自分の実家の家族の方が大事、気に入らないことがあったり少しでも反抗するとボコのボコにされる、という……まあどうオブラートに包んでもDV父、毒親、そんな感じです。
あんまり話せない、話したくないこともかなりされて来たので(性的な被害ではないです)大人になってからはまあ好きではない存在でした。

でも悲しいかな、私の父親ではあるんです。
そんな父が本当に死んだということを理解したのは遺体が葬儀業者に引き取られ、その顔を見た時です。
正直、自死した人の顔は、あまり綺麗ではないというか、ひどく苦しい顔をしているのではないかと思っていたんです。
綺麗だったんてますよね、思ったよりですが。
それが逆に悲しくて、せめて苦しまないで逝けたのかなぁとか思って涙が出たんですよね。不思議でした。
父は自分勝手で、ひどい人ではありました。それでも悪い思い出しかない、というわけではないんです。
これは家族関係というか、毒親の嫌なところだと思うのですが、いい思い出もある、好きなところもある。そこがまた苦しいんです。
嫌いになれたらよかったのに、とか好きになれたらよかったのに、とかそう言ったことを家族に考えます。まあ家族に対して手放しに好きと言えず、それを考えてしまう現状もどうかとおもいますが……。
父は、ほとんど誰とも会話せずに最後を迎えました。話してくれればよかったのに、とか協力し合えたところもあったのかも、とか思いますが、正直なところ自業自得……自分の蒔いた種というところもあります。(すいませんここもオブラートに包ませてください)
自業自得とはいえ、死なれてしまうと残された私たちは、何かできたんじゃないか? とか思ってしまうんですよね。と言っても話してくれなかったので、何もできなかったというか、なるべくしてなったみたいなところはあるんですが……。

そのまま母と共に父の葬儀の手続きをしました。火葬場が混んでいるらしく、「人めっちゃ死ぬんだな」と思いつつ葬儀は数日ごということになりその日は終わりました。
母はその時点で気丈に振る舞っておりました、私と同じように実感がなかったのかなと今では思います。

その日以降は忙しかったです。人が死ぬとたくさん手続きをしなければいけないので、母兄私で色々と頑張って終わらせました。覚えてないので割愛します。
葬儀当日、喪服なんて持っていないのでスーツで葬儀場に行きました。家族しかいない(断った)し急なことだから仕方ないよね! と誰にするわけでもない言い訳を脳内に並べていました。
数日経っているため逆に冷静でした、現実逃避していた可能性もあるにはあるのですが普通に父を見送るか〜という気持ちで葬儀に挑んでいました。

ところでみなさん、葬儀に参加費した人が必ずやることってありますよね?
そう、ご焼香です。
係の人に促され、ご昇降をしたのですが……。
ご焼香ってあの、切り刻んだ線香(調べたら抹香だった)みたいなのを3回くらいつまんで、炭みたいなのが入った箱(焼香台っていうらしい)を入れるじゃないですか。
あれのちょうど良い入れる量が分からず、はちゃめちゃな量つまんでぶち込んじゃったんですよね。
台が二つあり、そのうちの一つを私が、もう一つを兄と母が順番に使ったのですが、私の焼香台の煙がまぁ消えない。兄と母の使った焼香台の煙が消えても、いい香りのする煙がしばらく燃えています。なんで?
挙げ句の果てにわたしの使った焼香台の周りだけ、ここで暴れたんか? ってくらい抹香がポロポロ落ちていました。わたしが何をしたっていうんだ?
そうこうしているうちに時間が来て、父は火葬されて行きました。それを見送りました。その際、何個かある火葬場の全てが埋まっており、そのうちのほとんどに遺影が置いてあったことに気がつきました。
父は晩年、写真を撮っておらず、ろくに遺影も用意していませんでした。そこまで手が回ってなかったと言ったらそうなのですが、それはそれで物悲しく、申し訳なさも少しだけ感じました。
火葬が終わるまで待機している間、明確に覚えているのは疲れとやっと終わるという気持ちでした。いやまだ色々とやることはあるのですが、一区切りついた、という気持ちがありました。
火葬後、骨になった父を見て、私は結構しっかりと骨が残っているなと思っていました。私が幼い頃からタバコをバカスカ御構い無しに吸っており、不健康であることは確かだったので何故か少し安心しました。
しかして、骨になった父を見て、隣にいた母は立っていることができずにくらりと崩れ落ちそうになりました。
母は骨になった父を見て、ようやく崩れ落ちるほどの衝撃が来たのだとその時私は思いました。
葬儀場の職員の方の好意により、母を椅子に座らせ、そのまま父が骨壷に収められるのを見ました。
葬儀を一度経験したことのある方ならわかると思うのですが、骨壷に骨を収める時、職員の方が骨の部位(こういう表現で合ってるのかは分からない)を説明してくれるんですよね。
それを見ている時に私は「そういや親の骨って見る機会がないからちゃんと見ておくか……」とぼんやりと思いながら説明を受けてました。人生で2回しか見ることができないので……。
そのまま、葬儀が終わり、骨壷となった父を連れて帰るために兄の運転する車に乗りました。
兄は「俺は泣けなかったから冷たい人間だ」と言っていましたが、そんなこと言ったら私なんて「親の骨って見たことないから見とくか……」と思っていたので、冷たい人間ってことになるんですよね。別にいいんですが……。
葬儀でなけないからって冷たい人間というわけではないと思います。

そのまま、父を連れて帰り、色々と生活を整えて今、普通に生きている形になります。
いまだに若干落ち込みますし、父が死んだ直後は元気になれずに文字とかあんまり書けなかったのですが、今は若干元気を取り戻して書けるようになりました。よかった〜〜!!

父のことは思い出したら書けることは書こうと思います。
嫌いだけど嫌いではないので。

これからも元気に生きて行けたらいいなと思ってます! 色々書きたいなぁ〜!

PS.喪中なのであけおめ言えません、ごめんね!










父が死んでちょうど1ヶ月経った頃、夢を見た。

父が家の、死んだ場所におり、母と兄と私がそれに気づいて近寄り、順番にをしていた。

最初は兄で、兄は「これをこうするとエネルギーになるからガソリンになる」とか言いながらスコップに石炭を等間隔に四つ並べており、なんの話をしているんだ……? と私はぼんやりとそれを見ていた。

次の母は最初は怒ったように無言で、何も言わなかった。でもしばらくすると口を開いて「あっちでもちゃんと食べてる? 仕事は?」と聞いており、私は「死後の世界でも生活ってもんがあるんだな……」とぼんやりと思っていた。

最後は私の番になり、私は何を言おうか悩んで、悩んで、気がついたら泣いて怒っていた。
「なんで死んだの!」とか「死ぬことなかったじゃん!」とか、そんなことを言いながら本当に怒って、怒って泣いて。
泣きながら、目を覚まして、また泣いた。

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