おばあちゃん

※この記事は3年前のものです。ご注意下さい。

おばあちゃんがついこの前死んだ。

このご時世いつ死んでもおかしくはないが、それは関係ない。。
単純に老衰(正確には誤嚥性肺炎だけど、それは老衰が招いたことなので。)で、享年96歳。
端から見たら大往生だと思う。
僕は小さい頃からおばあちゃんが大好きだった。
学校から帰るとき、おばあちゃんが来て居ると思えば嬉しくて走って帰った。
何もない田舎でもおばあちゃん家があって、行くってなれば心が躍った。
とにかく優しい、そして、孫に甘い人だった。。
僕が父方の親戚に意地悪されて相続レースから蹴落とされても(お金自体はほしいとも思わなければ、貰う権利もないとすら思ってるのでそれは別に)、最後まで味方でいてくれた。。
とにかくよく食べる人だった。
僕は反面食が細い方で、もうご飯が受け付けなくても食べろ食べろと言われて鬱陶しかった。
また、気遣いが出来るが故、気遣いが過ぎてそれもまた鬱陶しくなり、さらには80代後半になって痴呆も進んだので会話もままならなくなってしまいそのせいで声を荒げたこともあった。。
おばあちゃんはその時あの頃の僕じゃないんだとショックと憤りを感じさせたと思う。

おばあちゃんの節介はとても愛情に満ちあふれてたし、正しかったのに、それを疎ましいと感じてしまっていた自分を今は殴りたい。

最後に話したのは今年の正月。
何を話したか覚えてない、いつも通りたわいもない話だったと思う。。
80を超えてもなお、ぴんぴんしてご飯も一杯食べていたおばあちゃん。。
これは100は生きるな、とタカをくくっていたけど、コロナウイルスの認知度が高まり始めていた2月頃。。

「今すぐ来てほしい」
老人ホームのスタッフがコロナで来ないでくれと言ってたのに、逆のことを言われたので母は嫌な予感がしたらしい。
僕はと言えば、また誰かと揉めたんだろう。位にしか思わなかった。
よく同室の老人とケンカしてたから。

帰ってきて母におばあちゃんのことを聞いた。
少し押し黙って、「スゴく痩せてた、、もうご飯も食べられてないらしい。。」
老人ホームのスタッフ曰く、嚙む力が弱くなっていて固形物は食べられない、流動食はあまり口にしない(母曰く、マズそうとのこと)ので痩せていったんじゃないかとのことだった。
そこから少し経って老人ホームから具合が悪くなって病院に緊急搬送されたと言われて仕事を休んで早朝からハラハラしながら病院に行った。
しばらくすると落ち着いて帰って良いと言われて、昼前に帰ったが、死の足音は近づいてきているとこの時嫌でも実感した。
ただ、それからすぐおばあちゃんの様子を母が見に行ったとき、慌ただしくベッドで動きながら母のかけ声(コロナ対策のため病室には入れず、イメージとしては刑務所の面会シーンのあれ)に反応したおばあちゃん。

母の「がんばれ~」の声に、
「がんばる~」と、可愛く反応したおばあちゃん。
それが僕ら家族が聞いたおばあちゃんの最後の声だった。。

それからコロナは悪化。そのため見舞いには行けず、病院に電話で状態を教えてもらおうと母が電話したところ、病院側から「ちょうどしようと思ってた」と言われその後の内容に驚愕した。。
「一時、心臓が止まってたんですよ」
それを聞いた僕はマンガのようにのけぞるリアクションをした。
だけどそれでもまだ見通しは甘く、死ぬ確率は迫ってきてはいるもののあんなに元気なおばあちゃんが死ぬわけない。
我慢強いし痩せても大丈夫!

その願いはかなわなかった。

大女優の方がコロナで急死して、日本中に衝撃を与えた夜、独り静かに息を引き取った。。

その日、アメトーークで僕の好きなノムさん特集を心待ちにのんびりしてたところに訃報に接した。
母の電話に出る姿にすぐ病院だと分かった、そして、声がこわばっていたのでただならぬ事態だとも分かった。
僕は言われるわけでもなく寝間着から外着に着替えた。
大して聞かずに車を走らせた。。
「病院、なんて言ってたの?」
と言うと、
「もう心臓が動いてないって」
僕は努めて冷静を装ったが、車を心なしか飛ばしてしまっていた。。
病院に着くと、コロナの影響で面会禁止だったはずなのに易々と部屋に通された。
部屋に入ると、呼吸器をはめて口を開けて寝ているおばあちゃんだった。

いや、寝ているんじゃない、死んでいるんだ。
そして酷く痩せていた、聞いてはいたけどここまでとは、ショックだった。
しかし、口を開けて死んでいた。
これが動転しかけた自分を落ち着かせることが出来た。
生前、おばあちゃんはよく僕らに自慢した。

髪は(年の割には)天然で黒くて、肌つやも良いと言われると。
入れ歯も部分入れ歯しかなく、ほぼ全て自前の歯で年齢を言うととても見えないとビックリされる、と。
口を開けて死んでいたおばあちゃんの歯は裏側がもう真っ黒だった。
それだけ容姿に気を懸ける余裕など無かったのだ。
ただ、肌つやは自慢のとおりキレイだった。
それを見て母は、
「本当に死んだのかな?声かけると起きるんじゃない?」

顔も触ると温かい、なるほど、これはホントかもなと思い、僕も夜遅いのにも関わらず大きな声でおばあちゃんを呼んだ。
だけども、もうそれは叶わないことは分かっていた。
何より開いた口を見ていたら苦しそうで、生きて欲しい、と思うのはエゴなのかなと思った。
そのことが僕を冷静にした。
程なくして先生が来ていきさつを説明して下さり、葬式の会場を抑えたり、料金プランで揉めたり、葬儀屋に迎えに来て貰うまで焼香していたりで、感傷に浸る暇など無かった。
帰宅して思わず出た言葉は「疲れた」だった、偽らざる本音だが、自分のなんたる冷たい事かとも思った。

それから僕は寝た、時々起きはしたが寝れないと思うほどではなかった。
母は自分の部屋じゃなくて、リビングで寝た。自分の部屋に戻る気力も無かったんだと思う。
無理もない、自分の母親を亡くしたのだ。
だけど、母は冷静だった。
叔父に祖母の遺影に使う写真を前もって手配したり、彼女のよく気づくところはホントに感心する。

僕たち家族は父を亡くしている。
それ故に葬式の手順も分かっていた、今生の別れはまだ訪れない、だからまだ悲しむには早い。
何より大往生だったし、先述の通り苦しそうでもあった。
それが幾ばくか悲しみを薄れさせた。
通夜の日、久々に叔父と再会した。
人間的に好きなので心が和む数少ない瞬間だった。
棺に納められたおばあちゃんは肌つやがやはりよく、死人にはとても見えなかった。
父も安らかな顔をしていた。それを思い出した。
通夜の最中、お経に集中力を削られて遺影を覗くと、小さいときにおばあちゃんに可愛がってもらった絵がぐーっと脳裏に蘇って思わず涙がこぼれそうになったが、
「ここで泣くわけにはいかない!」
という自分の何かが働いて、泣くのをガマンさせた。
通夜終了後、母と妹が晩飯を買いに出かけたので久々に叔父と二人きりで色々話した。
生前、おばあちゃんはおじいちゃんの母親(僕からしたら曾祖母ちゃん)に家族会議と称されいびられ倒したのをホントによく我慢してたと聞かされた。
要は嫁姑問題だ。

その光景が怖くて小さいときに叔父はよく涙したとも。

一方おじいちゃんといえば曾祖母ちゃんは親なので、曾祖母ちゃんの味方についていたらしい。
それを聞いて、僕がおじいちゃんに対する想いは完全に消滅したのは言うまでも無い。
そして叔父も曾祖母ちゃんが死んでも泣かなかったらしい。そらそうよ。
最後の日くらい、おばあちゃんと一緒に寝たいなと思ったけど、叔父がその部屋で寝ることになっており、僕はは叔父のことも好きだったのでそれを望んだが、とても憔悴(大阪から5時間かけて車で着たので)していたので、叔父に気を遣わせないように帰ることにした。
そこから叔父と別れて僕ら家族は帰って風呂に入り程なくして寝た。何をしたとも思い出せない。次の日(葬式の日)は朝早いと聞かされてたからだと思う。

葬式当日、快晴。
おばあちゃんは自分は晴れ女とよく自慢してたが、ホントに快晴だった。
また、母曰く、花の好きな人だったらしいので、花の季節に逝けたのも良かったのではないかと思う、とも。
たわいもない話をしてると、葬儀屋に段取りを説明されて、僕は数少ない男なので棺を持つ係になったのでその説明を受けていた。
程なくして坊さんが来たので葬儀会場に移動。
葬式が始まり、焼香の時に語りかけられる最後の機会なので、うんと心に話りかけた。
内容は感謝と謝罪。
次々と式目が消化されて、いよいよ残すは最後の棺に花を入れるだけ。
俺は泣かない、泣いてはいけない!
心の中で呪文のように反芻してたはずなのに、花でおばあちゃんの顔の周りが埋め尽くされるのを見るともう我慢できなかった。

おばあちゃん。
おばあちゃん…。。
おばあちゃん…!
おばあちゃん…!!

嗚咽まじりに涙が流れてくる。
これでもう、最期なのだと。
これが本当の今生の別れなのだと。
程なくして火葬場に葬儀屋の案内の元着き、荼毘に付される間に昼食を摂り、少しのんびりしてるところに分骨だったので本当に小さくなったおばあちゃんが骨だけで帰ってきた。
僕はおじいちゃんを79歳で亡くした。
そのためおばあちゃんが80を過ぎた頃、覚悟はしてたはずだった。
それなのに、元気に暮らす姿見て覚悟は薄れるどころか甘えに甘えてしまった。。
今年の正月会ったとき、まさかこんな早く別れが訪れると思わなかった。
亡くしてからああしとけばよかった、こうしとけばよかったと思いに駆られると色んなところで言われてるけど、その思いを今、僕は味わっている。
ただ、よく言うそこから死の事実が受け入れられ薄れていく…ということはもうないというか、今回でより身近に感じた。
次は親の番なのだ、もう母親しかいないが彼女がいなくなると考えたら背筋が凍る。
そして、改めていつどうなるか分からない事を心から学んだ。
僕がもしかしたら先に逝くこともあるかもしれない。
だからこそ悔いの無い毎日を生きたい。
今回、コロナウイルスが猛威を振るい、外出の自粛を国から言われてもなお不要不急の外出をする人にしがない男だけど、心から言わせて貰いたい。

人はいつ死ぬか分からない、だけど、潜在的に若い人ほど当たり前に明日がやってくると思ってる。
僕は、今回のことでそうじゃないと強く学んだ。
また、自分は大丈夫でも、誰かが自分のせいでそういう辛い目、もっと言えば死なせてしまうかもしれない。
そんなことあってはならない。

本当に控えてほしい。
もしそれで、誰かが本当に死んだらそれこそ家族もセットで苦しむ。
そしてもう一つ。
僕はネガティブでよくふざけて(いや、半ば本気で)辛いだの、苦しいだの絶望的なワードを口にするが、絶望できるのも元気なのだということ。

かと言って、凹んで頑張れない状況を甘いとか言う気はない、むしろ、元気のあるうちに逃げれたら逃げた方が良いとすら思う。
所謂戦略的撤退はとても大切だと思う。

そして最後に。
冒頭のタイトルで僕は「大好きな」おばあちゃんとつけようと思った。
でも僕が今、それを言う資格はないんじゃないかと今まで書いたとおりに言えば思った。

でも。
それでも。

本当に最後に言わせてほしい。
今まで誰よりも可愛がってくれてありがとう、
何があっても僕の味方でいてくれてありがとう。
それ以上に辛く当たってごめんね。
色んな事、いっぱい我慢させてごめんね。

独りで逝かせてごめんね。

本当にごめんね。

足が悪くて歩けない、手もろくに握れなかったおばあちゃん。
もう苦しまなくて良いからね。。

今まで本当にありがとう。

大好きなおばあちゃんへ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?