交流企画で小説を書く理由・1

自己顕示欲に承認欲求? 難しい漢字を並べたくなるのは文字書きの性、企画歴5年が難しく考えてみます。


はじめましての方ははじめまして。
ご存知の方はこんにちは。
お前の文章なんぞ読みたくねえ! という方はさようなら。
好きな食べ物はシーフードグラタン、世界観は滅んだ世界、シチュエーションは拘束、キャラ要素は女装男子、眠り熊と申します。

皆さん、交流企画ってご存知でしょうか。ざっくりいうと、主催が提示する世界観の中でキャラクターを作って、他の方が作るキャラクターを借りながら行う創作のことです。
眠り熊はかれこれ5年ほど、この交流企画で小説を書いたり、主催となって様々な世界観を提示したりしています。

しかし今日、ふと疑問に思ったのです。

そういえば自分は、どうして交流企画で小説を書いているんだろう?

きっとこれは「交流企画で小説を書く理由」に留まらず、あらゆる趣味において言える疑問でしょう。そしてその答えは大概「人生を豊かにする」とか、「楽しいから」とか、壁に貼られたまま誰からも忘れられたポスターの標語みたいなものになるでしょう。実際、大多数のケースに当てはまる真理ですから然もありなん。

でも今回は難しく考えることがテーマです。シンプルイズワースト。そしてこの交流企画、楽しいのは間違いないのですが、同時に世にも奇妙な物語ならぬ、世にも奇妙なトラブル談話の宝庫でもあります。

曰く、自分のキャラクターの書き方が明らかにおかしい。
曰く、自分のキャラクターにしてほしくないことをされた。

この辺りは対処法が明白な分まだマシな方で(解決が簡単だとは言っていない)、キャラクターの扱いの差に対する不満大爆発、SNSやメッセージといった小説の外で行われる打ち合わせで学級会勃発、主催の運営方法が問題になって大炎上などなど。ここは紛争地帯でしょうか。いいえ、交流企画です。

要するに人が作ったキャラクターを借りてあれこれするのが交流企画で、書き手というのは自分の創作物になんらかの思い入れがあることが多いです(容赦無く駒として動かす『劇作家タイプ』の人もいるけど、そこは割愛)。相手に自分の大事な財布持たせて買い物してもらっているようなものと考えれば、対人トラブルが増えるのは自明の理でしょう。5年も交流企画をやっていると、そういったトラブルには相応数遭遇します。

なら、わざわざ「交流企画で」小説を書く理由ってなんだろう。

昨今、小説を公開する場所は山ほどあります。わざわざ交流企画という機会を選ばずとも、小説はいくらだって書けます。むしろ交流企画の場合、主催が提示した世界観やルールに準ずる必要があるため、自由に小説を書くという意味ではマイナスでしょう。

それなら、どうして、わざわざ、「交流企画で」、小説を書くのか?

次回はその疑問の答えを探るべく、「交流企画で小説を書くメリット」を考えます。



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