「求められる」臨床検査技師教育…とは?

【第17回臨床検査学教育学会のリフレクション】

記憶が霧散する前に、最低限のアウトプットを。
今年の臨床検査学教育学会のテーマは
「臨床検査学教育・今昔物語ー求められる次世代型臨床検査学教育ー」

■基調講演
「カリキュラム改訂後、今後求められる臨床検査技師の卒前および卒後教育」(宮島喜文 日臨技会長)

■教育シンポジウム
「カリキュラム改訂後、今後求められる臨床検査技師教育および卒後教育・資格」

宮島会長のお話では、臨床検査技師をとりまく情勢は、この70年間の間に創生期~発展期~低迷期を経て、現在は再興期であると。それに伴い、臨床検査技師の研鑽も、「各個人が自身の専門性を高め、臨床検査技師集団の中で存在感を示す」時代から「医療の中での臨床検査技師の存在感を示す」そして「社会の中で存在感を示す」時代に変わるべきであるとのことだった。日臨技では「未来構想検討WG」を立ち上げ、臨床領域での専門性の拡張、新たな分野での職域開拓、研究・開発などの高度専門領域への参画等の推進について検討しているそうだ。

教育シンポジウムは、日本臨床検査同学院が実施する各種認定試験と生涯教育、国家試験成績解析に基づく教育改善、臨床検査技師養成課程に付加価値をつける胚培養教育、VUCA時代を生き抜くために個々人が身につけるべき力(「みて、わかって、きめて、うごける」OODAループ、グローバル感覚、マネジメント力、社会人基礎力、ポジティブ思考)など。人生は多様化し、人それぞれに、求められるもの、求めるものは異なる。卒後教育の目的も多様化しているとのこと。

他にも、医療者教育スキル、認知症教育、シミュレーター教育等々、教育とは「今」ではなく「未来」のためにあることをあらためて感じさせられる充実した内容だった。

個人的な思いとしては、最近よく聞く「今後求められる○○」という表現、実はあまり好きではない。
「求められる○○」に自らを寄せるのではなく、自らが「なりたい/求める○○」に向かっていく結果、求められる存在になれれ
ば良いと思うからだ。また、世の中の「大多数」に求められる必要もなく、「(少数の)誰かにとって」必要とされる存在もまた大いに価値があると思うからだ。

多くの学生たちは、これまでの人生を「誰かに求められる姿」に向かって頑張ってきたのではないだろうか。だから、在学中に「自分が求める将来の姿」を見つけて、それに向かって進めると良いなと思う。

今後の人口減少で医療職の需給バランスが変わったとしても、臨床検査技師の70%は診療業務に携わるとのこと。養成校としては、臨床検査技師としての必須能力をしっかり担保しつつ、各校の強みを生かした特色ある教育ができるといいな。それで臨床検査技師教育に多様性が生まれ、全体として専門性の拡張や職域開拓に繋がっていくと良いと思う。

臨床検査技師の将来像や教育のあり方を、臨床検査技師教育に携わる人たちだけで語ることの限界も感じつつある。
職能を高める・磨くという視点意外に、多職種や医療以外の分野とも関わりを持って、臨床検査技師の職能を相対視することを、私たち教師も、現場の実務者も学ぶ必要があるのではないだろうか。

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