私と化学ー学ぶことを「選ばされていた?」
「私は高校生の頃、化学が苦手で、勉強することを途中で諦めてしまった」
私にとって「化学」はそういう科目だと思っていたし、そう話してきた。
さっき、ふと思った。「本当にそうだっただろうか?」
数学は確かに本当に苦手だった。勉強するのが苦痛だった。
すべてを理解することを早々に諦めて、部分点狙いに切り替えた自覚がある。
化学はそうではなかった。得意ではなかったけれど、学ぶことが苦痛ではなかった。
高校1年生の理科で、物理と化学と生物を少しずつ学んだ。
2年生になる前に、文理と、理科社会の選択科目を選ばなくてはならなかった。
一番好きな生物は絶対にとりたかった。
次に面白いと思っていた科目は、物理だった。
でも、私のいた高校には、理系は「物理+化学」か「化学+生物」しか選べる組み合わせがなかった。
私は、物理を学ぶことをやめてしまった。
高校3年生の時、志望した大学の受験科目は「理科1科目」だった。
2学期の終わり、私は、化学を学ぶことをやめてしまった。
大人の決めた仕組みの中で、高校生の私は、いつの間にか、「要る科目」「要らない科目」という考え方をするようになっていた。
「苦手なものは選ばない」ことを、学んでしまった。
本当は、学べたんじゃないだろうか。物理も化学も生物も。
ひょっとしたら、数学だって。
わかるよろこびを、感じることができたんじゃないだろうか。
もしかすると、生物よりも。
「受験」て、やっぱり何かおかしいんじゃないだろうか。