方言

先日、中学校の同級生の結婚式で地元に帰った。
彼は大学こそ地元を離れたが、就職では戻ってきて地元で働いている。そして就職先の同期と結婚した。
式自体は何から何まで素敵で、幸せをたくさん分けてもらった。けれど、別の幸福感にも包まれていた。

なんの幸福感かわからないまま、新幹線から流れる景色を見ていた。昔のことを思い出しながら。

中学校のクラスの中には、目立つやつと目立たないやつがいた。
多くの人は目立たないやつに分類された。
自分も目立たないやつだった。
目立つやつが羨ましかった。
目立つやつは運動ができた。
目立つやつは勉強ができた。
目立つやつは顔が良かった。
目立つやつは面白かった。

自分は主人公だと思っていたけど、なにも備わってなかった。
人とは違う特殊な何かがある主人公だと思っていた。
何年か生きてみると、何かが優れている主人公ではないと分かった。
人の輪に入れて欲しいから、入れてもらえるように出来ることをした。
人に嫌われないように出来るだけ振る舞ってきた。
そんな振る舞いが自分がないように見られて、パシリややりたい放題されるナメられたやつになった。
親にいじめられてると心配かけたくなくて、何も話さなかったし、反抗的なことをしなかった。
でも、親の手を煩わせないわけではなく、時間にもルーズだし、締め切りも守れないし、ホウレンソウも怠った。
だけど、自分は主人公なのにこんなに人に譲ってる悲劇のヒロインだから仕方ないって深層心理で思ってた。

月日が経ち、地元を離れ上京した。
もっと広い世界に行けば、もっと自分を評価してくれる場所があると思っていた。
地元を離れてからは方言を喋らないようにした。
頭で標準語に変換してから話すようにしてた。
いまだにお上りさんの性で、田舎者に見られないことに喜びを感じる。日本で一番の街の住人になれた気がするから。
地方より東京がいいと思ってるし、地方をバカにするような事を言ってきた。
上京したてのころは、地元の人間と話すときも方言を使わないようにしていた。もう地元離れて変化した自分を演出したかったし、新しい世界が楽しいということを主張したかった。
地元を離れて、自分は新しいスタートをきった。
ただ、根本はなかなか変わらず、東京でも、新しいコミュニティで同じようなスタンスで生きた。
年を重ねるにつれ、根本は変わらないけど、知識や経験でうわべだけ塗り固めた。うわべは昔よりマシになったかも知れないけど、本当はあの頃とはなにも変わってなくて、ただただ悲劇のヒロインぶりたくて、また別のところに行けば何かが劇的に起こると思っていた。

あ、そっか!
なんの幸福感かやっと分かった。

答えは式で久しぶりに旧友と再開したことだった。
昔から、自分を知っている人がいかに安心するかと気がついた。
今よりうわべがヘタクソで、悲劇のヒロインが滲んでた自分の原点を知っていて、なお、自分をなんでも受け入れてくれることへ安心し原点を肯定されてるように感じて心から嬉しかったし、救われたような気がした。あれほど離れたかった場所には、自分の原点になる人や景色があって、それによって今があることを思い出した。

気がついてなかったが、塗り固めたうわべから中身に徐々に色んなことが浸透して、ここ何年かで少しずつ方言を話すようになったり、自分の意見を少しずつ話すようになった気がする。ただ、今まで言ってこなかった自分の意見を人に話したとき、自信がいつもなかったり他人を気にしてたりうまく伝えれなくて落ち込んでいた。でも、あの街が認めてくれて、作ってくれた原点が自分にとってかけがえのないもので胸を張っていいって気づけた。

劇的な変化なんてものはなくて、日々の少しずつの変化が積み重なっていくのさ。

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