不愉快年表

就活のために履歴書・職務経歴書を書いている。その度に嘘をつかなければならないことに大変なストレスがある。自己PRなどないし、仕事で学んだことなど一つもない。マトモに仕事ができた試しなどまずないのだから。唯一与えられた業務をきちんと全うできたと自信のある業務はレンタカーの回送ドライバーだけだがそれも給料が安すぎて先月で辞めてしまった。履歴書を書くのは自分の何もなさを再確認する行為で毎度しんどい思いをする。

あまりにもウンザリしたので企業には見せられない本当の履歴書を書くことにする。おおよそ劇的な要素のない不愉快だったことを書き連ねるだけの羅列になるだろうがエピソードには事欠かないのでそれなりの分量にはなるだろう。


・小学生低学年時代(2000〜2003)
保育園の頃からの付き合いで友達と呼べる人間が一人いた。家が近所で僕はその友達以外と遊ぶことはほとんどなかった。大抵は僕の方が友達の家に遊びに行った。友達の家は建設業をやっていて僕の家の数倍綺麗な家に住んでおり大きかった。友達は自分の部屋を持っており家族は別々に寝ていて雑魚寝で両親と兄弟揃って寝ていた僕の家とはその点も違っていた。僕は毎日のように友達の家に遊びに行って僕の持っていないゲームをしたり、鬼ごっこやかくれんぼ、川遊びなどをした。

友達には5つ離れた兄と2つ離れた姉がいて時々その兄とも遊んだりした。小学生の時は5つ歳が離れているのは相当な年の差で大人びて見えた。その兄は知らないことをたくさん知っていてカードゲームが強くて子供のころの僕には物凄くカッコよく見えた。あまり好かれなかったが僕の方は好きだった。

詳細は覚えていないがある日いつものように友達と遊んでいると友達の兄のさらに友達(Aとしよう)と僕だけで二人きりになる瞬間があった。当然僕はその5つ離れた兄の友達のことをまったく知らなかった。なぜそのようなことになったのかは分からない。なにか友達の家族だけで用事があり他人である僕とAが家に残ってその帰りを待つのをオープンな価値観の友達の家族が許したのかもしれない。

Aは年下のガキである僕をオモチャにすることを思いつき僕をまず裸にした。当然抵抗したのだが5つも年の離れた僕にはなす術がなく泣きながら全裸にされ服を奪われた。全力で抵抗したらAは僕を説得するためになぜか自分の毛の生えはじめている陰茎を見せた。そして「俺もチンコを見せたのだからお前が裸になるのは対等な取引だ」みたいなことを言って僕をオモチャにすることを正当化した。意味がわからない。僕は別に陰茎を見たいわけがなく勝手に見せてきたのはAで僕は裸になるのが心底嫌だった。けれどそのように大人の理屈で説明されると僕には何が正しいのか分からないし怖くて言うことに従うしかなくなった。そしてAは友達の姉の部屋に侵入し姉の下着を僕に着せた。僕はそのまま外を歩かされAの言いなりになった。ようやく服を返してもらい着替えて何もなかったように全部は表面上元通りにされた。友達が帰ってきて僕は起こったことを何も言わずに家に帰った。以降Aと関わることはなかった。

振り返ってみれば明らかな性的虐待である。Aがホモセクシュアルな関心からそのような行為を行ったのか単に子供をオモチャにする嗜虐心からそうしたのかは分からない。おそらく後者だろう。僕は自分の体験を大人になるまで誰にも話さなかったし一時だけの嫌な思い出として抑圧してきたが今でもそのことを覚えている通り心の傷はあったのだろう。田舎にはホモソーシャルな性的からかいが多数あり体が小さくて運動のできない僕はその標的にされることが多かったがその中でもいちばんの恐怖と理不尽さを感じた体験だった。

・小学校高学年(2004〜2006)
僕の両親は身長が低く僕もその血を引いて身長が低かった。クラスでも一番背が低く2月の早生まれで体格的にも恵まれず運動もできなかった。自分が全力でやったことが周りからすると全然頑張っているとは見做されずに怠け者扱いされて悔しさで泣いたことを覚えている。必然的に体育の授業が嫌いだった。

この頃に自転車を買ってもらった。僕の活動範囲も広がって色んなところに行くようになった。何もないような場所だから都会的なアトラクションはなかったが離れたところにいる友達の家に遊びに行くことが多くなった。大抵はやはりゲームをしたり鬼ごっこやかくれんぼなどの古典的な遊びだった。それなりに楽しかったように思う。

僕の住んでいる田舎には昔からある古い土地と新興住宅地があった。新興住宅地は大抵丘の高いところにあってスカイタウンとかニュータウンとか名付けられていた。その新興住宅地に住んでいる子どもが結構な数同じ学年にいて一大勢力としてスクールカーストの上の方に君臨していた。そのスカイタウンの子どもたちは他ではやっていない野球やバスケなど大人数でやる遊びをよくしていた。僕はそれが羨ましくて(野球やバスケに魅力があったというより多人数で遊ぶことに楽しさがあったのだろう)よくそこに遊びに行った。丘の上にあるから自転車で坂を登っていかなければならず結構大変だったが、僕以外にもそれなりに人が集まっていたように思う。内輪ノリのユーモアも発展しておりそこも他にはない魅力があった。知らない歌手や知らないお笑い芸人の話題で盛り上がっていた。要するに文化があった。

しかしながらここでは僕はやはり部外者で、しかも運動ができないから同じチームの足を引っ張る存在でしかなかったのだろう。だんだん僕は疎まれるようになり嫌味なことを言われたり馬鹿にされることが多くなった。ある日僕を囲んでそのスカイタウンの連中が全員で僕を嘲笑するというイジメのような扱いを受けた。その当時は他人を傷つけるユーモアの全盛期で僕はそういう意味で笑い者にするのに扱いやすかった。僕は深く傷つき以降その場所に行くことはなかった。他の人からすると些細なエピソードかもしれないが僕の人間不信・社交不安の原点とも言える体験である。

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