「たとえ僕に明日はなくとも」石川正一


それはなんだろう
「たとえ短い命でも/生きる意味があるとすれば/それはなんだろう/働け ぬ体で/一生を過ごす人生にも/生きる価値があるとすれば/それはなんだろう」。石川正一君14歳のときの詩だ。東京生まれの正一君は歩きはじめが少し遅く,ころびやすかった。幼稚園のころ,東大病院で「筋ジストロフィー」と宣言された。足からやせおとろえ,やがて全身の筋肉が萎縮(いしゅく)して身動きできなくなる病気だ。原因不明で,いまのところ根本的治療法はない。
歩行不能になったのは10歳の夏だった。「がんばらなくちゃ」と激励されても,「でも,がんばるって,どうしたらいいの」と力なく問い返す。一時のがれ やごまかしはきかない。ある日,思いつめたような表情でたずねる正一君に父は 正直に答えた。「治療法はなし,20歳までの命」と。
「やっぱりそうか。あんがい短いんだね。そうすると明日から,どう生きるか が問題だね」。その時の詩が「それはなんだろう」だ。弟の教科書を借りて猛勉 強を開始した。車いすで共同募金にも加わった。ノートに詩や感想を記し,書け なくなると母に書きとってもらった。
ノートが一冊の本にまとめられた。出版社のつけた題は「もしもぼくに明日が あったら」だったが,正一君は「たとえぼくに明日はなくとも」に変えた。明日 はなくとも,今日せいいっぱい生きよう,完全燃焼させようと正一君は思った。 (『巡り逢(あ)うべき誰かのために』立風書房)
「20歳をこえようとこえまいと/人間は有限な存在にかわりはないのだ/生 きているかぎりは/何かをしないではいられない/おまえは伸びようとしている 芽なのだ」。23歳で燃え尽きるように息をひきとった正一君の20歳の誕生日 の詩だ。
 あなたが今,命を尽くしているもの,それはなんだろう。

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