160731「ジコからジニョンまで、その名前だけで信じ聞くアイドルプロデューサーたち[ミュージックウォッチ]」(一部抜粋)

アイドルという単語に「顔で勝負する」という意味でも含まれているのだろうか?アイドルという概念には、かなり多くの偏見たちが含まれている。実力がない、歌が下手だ、顔が綺麗だ、スタイルがいい、アイドルという3文字に込められた多くの意味たちが、アイドルをアイドルにさせないようにしている。それゆえ、アイドルたちはアイドルを脱皮しようとして、大衆はアイドルとミュージシャンを絶えず境界付けようとする。しかし、ビートルズも1960年代は少女ファンを集めて回ったアイドルだったし、白い肌の美少年だった80年代の故シン・ヘチョルもその時代のアイドルだった。

1世代アイドルHOTはアイドルというイメージを脱皮しようと、アルバムに自作曲を入れる方法を選択した。彼らは3集から2001年解散前まで、粘り強く自身たちのアルバムに曲を入れてきた。ミュージシャンとして、認められようという努力の一環だった。しかし、今は無理にアイドルという服を脱がなくても、ミュージシャンとして認められるケースたちがいろいろある。BIGBANGのG-DRAGONは、自身のソロアルバム「One of a Kind」でファンたちと評壇の好評を一度に手に入れた。G-DRAGONはアイドルの服を脱ぐ必要なく、ただその境界を打ち壊してしまう方法を選択した。すでにG-DRAGONは、アイドルでもなければミュージシャンでもない、ただG-DRAGONというアイコンになった。

▶︎ジャンル不問トレンドセッター ジョンヒョン

SHINee ジョンヒョンも、今はプロデューサーという名前が不自然ではない。SHINeeは2008年デビュー後、毎回新しい音楽的試みとトレンドを先導するトレンドセッターとしての姿を一緒に見せてくれた。カラーが強いグループの特性上、メンバーたちの個別活動も活発なグループだ。ミノ、オニュ、キーは演技とミュージカルをコツコツとこなしてきており、末っ子テミンはソロアルバムで活動した。ジョンヒョンは、少し路線が違った。表に出てくることはなかったが、コツコツと作曲家として活動した。2015年には、Mnet「月刊ライブコネクション」という番組のホストとして、さまざまなミュージシャンたちとコラボレーションする姿を公開したりもした。

ジョンヒョンは、IU「憂鬱時計」、EXO「PLAYBOY」、キム・イェリム「NO more」、ソン・ダムビ「Red Candle」、イ・ハイ「ため息」まで、コツコツと音楽作業を続けてきた。才覚があり、感性的な歌詞とトントン弾けるメロディーラインは、ジョンヒョンの強みだ。ジョンヒョンは、さまざまな歌手たちの新曲作詞および作曲に参加、同僚ミュージシャンたちに認められた。歌手キム・イェリムは、あるインタビューで、プロデューサーとしてのジョンヒョンは 「ユン・ジョンシンより、さらに几帳面なプロデューサー」と表現した。


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