見出し画像

「偉大な人」佐竹宏太

今回のnoteを担当させていただく
亜細亜大学法学部3年佐竹宏太です。
まず初めに亜細亜大学を応援してくださっている全ての方々、ありがとうございます。


僕のnoteの題名は「偉大な人」です。
今回は僕の身近の「偉大な人」両親についてお話しさせていただきます。
少し長くなりますが、見ていただきたいです。


僕の両親は共働きで、父は自営業、母は看護師という家庭で育ちました。
そして兄弟が姉と兄がいます。文武両道の言葉がとても似合う兄と姉です。
共働きにもかかわらず兄弟3人とも好きな習い事を好きなだけして結果3人とも3、4個掛け持ちなどなっていた時期もざらにありました。
心配性の母のせいか祖母も一緒になって全て送迎も行ってくれます。
自分が中学3年性の頃は自分のわがままで県内で1番強いチームに移籍することになり
平日の学校の後、電車では間に合わないので往復2時間を送迎してくれました、練習時間を含めると5時間以上も仕事をする時間を削っての送迎です。もちろん土日は東海地方のリーグだったため県を跨いで片道2、3時間を平気な顔で送迎しての繰り返しです。
そんな生活を10年以上してくれていました。


こんなにも子供のために平気な顔でお金も時間も費やしてくれる両親は周りを見ても
21年見たことがありません。


高校生になるとき僕は母親を説得しきれずに勝手に高校側に連絡して県外に出ることを決めました。
これに関しては自分でもどうしようもない息子だと思います。
高校に入学後も1年時、息子の出ない試合にも片道6時間かけてきてくれることがよくあり食事面の心配からか色々なおかずを送ってくれる日々を3年間続けてくれました。
2年生から試合に出ていて結果が良かった時、怪我をして半年満足にプレーできなかった時、一番に喜んで、心配していたのは自分より両親だったと思います。



「両親に選手権のピッチに立っている姿を見せる」


2年時の埼玉スタジアムで青森山田に負けた時に決意しました。
これは母に「来年はピッチの上にいるから」と電話で伝えたことを鮮明に覚えています。
この強い意志が残りの一年の全ての支えになっていました。


最後の選手権は約束通りピッチの上の姿を見せることができました。
埼玉スタジアムは無観客でしたがテレビの前で泣きながら見てくれていたと後に聞きました。3年間が終わった後の「今までありがとう」は心から言葉が出せました。


皆さんにも、偉大な人はいると思います。


自分のnoteを見て懐かしいことや感謝の気持ちを再確認していただけたら嬉しいです。
また誰かの「ありがとう」を言えるきっかけになれば幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?