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価格は技術の別名です

最低限のサービスは平等に受けられるが、今までのように年齢で括って与えられたサービスを平等に受け入れるのが素晴らしい未来だとは思えない。
自分の身の丈にあったサービスを受けたいと思うのが自然だと思う。

それに見合う価格も必要になってくる。

この10年くらいは「安い」は味方だった。
よくよく考えれば、質が良くて、安くて・・・

そんなのは「贅沢」が「普通」になった国内ではとうの昔に限界だったから、日本での価値とは違う場所での生産活動でないと日本人の「安い」価格は維持できない。
「安い」は短絡的な目玉企画なんだけれども、長期的な目玉企画にはなりえない。

「無料」が多く存在するし、1000円で購入した品物と同じものが1週間後には100円の商品として販売されていることも数多くあるし。

いくら頑張って仕事をしても儲からない
でも、日本の企業がそれを叫んでも、日本の顧客はそれに気付かない。
だと思うよ。生活するために「安さは味方」だから。

だからといって、企業がやっていけないということが、自分たちの生活の基盤を揺るがすことだと気づかない。

国内の企業が働き手も働く場所も「安さ」のために、海外へ移動する。
  ↓
働き手は国内よりも国外で賄う。
  ↓
国内では仕事がなくなる、もしくは仕事の奪い合いになる。
  ↓
国内の働き手はどうすればいい? ← これが問題!!

「安い」に越したことはないけれど、「安い」の比較判断が無さ過ぎる中での「安さ」追及だったようにも思える。
自分ではない誰かが作ったモノに対して、「安ければいい」と言うのは、作った相手に対して失礼だと思う。

作っている人の技術に対してケチをつけているのと同じだと思う。

機械で作ったものについては、それでも機械を購入し、使用し続けるだけの期間と機械を動かすための費用がいるだろうし、それを管理するための費用が必要になる。
人間が手作りする場合も、同じことがいえます。
人が時間を掛けてそのモノを作るわけですから、その時間を費用として考える必要はあるし。

工場見学はレジャーの一つにもなっていますが、その工場見学は本当の工場見学ではないし、一つのレクレーションとして存在しています。

本格的な工場見学は正直つまらないだろうけれど、そこで仕事をして、自分たちの使うものが出来る、大人が働いてお給料をもらって、自分たちが生活している仕組みを教えるにはいいのかもしれない。

ただ、日本人は「手間」を「費用」に換算するのが苦手だと思う。
私は苦手です。
でも、「手間」を「費用」に換算してビジネスが成立します。

それを知らないまま、仕事に付くわけですから、社内でも教育として一言あったほうがいいとも思います。


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