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私の場合・・・

結婚して2年後、マイホームを建てて、同居が始まりました。
家を建てるときには、まだ健在だった義理パパのためのバリアフリー仕様。
色々と便利なグッズがあり、提案もいただきました。
でも、最終的に一番使うであろう義理ママに意見を聞くことにしました。

バリアフリーやユニバーサルというのは、使う人によって変わるものです。
性格も環境ももちろん含めてです。
自分たちが望むスタイルで暮らしているのはほんの一握りではないかと思うのです。
どこかしら、生活に不便と感じつつも暮らしているという感じではないかと。

私の場合は「不便ではない」と言えます。
だから、上記には含まれないのですが。
思い通りに過ごせると言うのは、私にとってであり、他の誰かには不便かもしれない。
困っているとしても、私だけで他の人は便利なのかもしれない。

だから、「ほどほど困る」のは、お互いに困ってるってことだから、50:50でいいか・・・と。
割りきっています。

皆が困らない世の中ってないと思うのです。
「少し困る」のが、進化の過程だと思えば、気も楽になると言うもの。

いまだに義理ママは私のライフサイクルが理解できないようです。
私自身も掴めていないライフサイクルを知ろうとするわけです。

私は私で、義理ママはこういう人だと思って生活しています。
逆に思った通りに動いてほしいなんて思っていないのです。
自分が動きたいように動くことで、ストレスが解消されるならそれでよし。
義理ママに何かを求めるわけでもないし。

ただ、義理ママと何かを共有したいとも思わないわけです。
食べ物や知識はまぁ、いいと思うのですが、感情の共有だけはお断りです。

「悲しみは半分に、喜びは二倍に」

これは名言ですが、私は正直いうと、どちらも自分自身だと思うのです。
私の態度や表情を見て、相手が反応してくれることで、私の中の感情が「悲しみは半減」「楽しさが倍」になる。
自分にとっての感情ということです。

だから、強要はしないし、共有もしない。

私は私でしかないのだから。

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