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或る動物虐待魔への手紙

    以前、僕のTwitterの書き込みに対し、最寄りの警察署に削除要請してきたくらいだからおそらく、この文章も目にすると思う。
    2017年、さいたま市で猫の大量拷問惨殺事件を知ったのは、僕がまだ山梨県甲府市に住んでいる頃だった。東京での生活に見切りをつけて、スローライフを求めて空気が綺麗で山に囲まれた山梨県へ移住して二年目だった。
ちょうど中国・韓国そして日本各地へと長期取材して記録映画『アジア犬肉紀行』を編集中の頃だったと思う。知人の無農薬農園の手伝いや、午前中はアスクルの宅配で汗水垂らして、普通に真っ当な日々を送っていた。

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福島原発事故で置き去りになって保護した柴犬を含む犬二匹と、山梨で保護した黒猫と、優しく面倒見が良い公務員の奥さんとのとてもとても幸せな日々に、衝撃を与えたのが前述の猫惨殺事件だった。
    山梨から東京地方裁判所も二度通っただけで、男への司法判決は直ぐに適当に片付いた。判決内容には杜撰過ぎて、ここでは言及しないが、全くもって納得できるものではない。むしろ虐待犯よりも、司法に対する不信感や怒りの方が大きかったと思うし、今もそうだ。

      日本は放置国家だとよく揶揄されるが、警察権力含め全てが終わっている。2011年の原発事故がきっかけで記録映画を撮り始めたが、あの頃のどうしようもない憤りに似た感覚が再び僕を襲ってきた。

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    このやり場のない怒りの矛先を、適当に宥めて自身に内包するほど僕はデタラメ人間ではない。友達の井上さんにも相談し、2人の共同監督でこの動物虐待に纏わる日本の現状を記録映画として発表しようということになった。とは言っても僕の方は編集仕上げ中の『アジア犬肉紀行』をまず世に出す事が先決で、大急ぎで完成させても2018年5月になっていた。製作費800万の内、この時点で約半分の400万の負債が残った儘、何とかその後も順調に、劇場公開を果たし、国会議員会館での上映実現も然る事乍ら、複数の国会議員さんが「犬肉問題」を国会の議題に挙げて頂くといった快挙も成し遂げた。そして、犬肉本場の韓国での上映に続き、Amazonプライムでも配信も決定し、のべ数十万人に視聴いただき日本国内に於いて少しは「犬肉問題」を広めることができたので、頑張った甲斐があったのかなとも思える。

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    前述の共同監督の井上さんは、その後、埼玉の凶悪猫惨殺犯から名誉毀損で訴えられ、井上さん自身も現行の動物愛護法及び司法のデタラメさに憤慨していたので、検察側から提案があった略式起訴という選択を蹴って、公の裁判として受けて立つという勝負に出た。勝算は無かったんだろうけど、本人もやはり、この放置国家に一石を投じたかったんだと思う。だから、、、なんて言うんだろ? 僕も井上さんも別に難しい事を述べている訳じゃない。小学生レベル、いや幼稚園レベルで考えて欲しいんだ。あれだけの残虐な犯罪を繰り返してきて執行猶予は有り得ない。判例や前例も糞もない。僕らは、ただそれだけを訴えている。だいたい、担当の細谷泰暢裁判官でさえ、あの残虐動画もまともに見ずに判決をくだした時点で、この国は終わっている。

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    その後も様々な動物虐待事件を取材した。生活保護を受給しながらインコを残虐に拷問し続ける名古屋在住のサイコパス中年男や、同じく名古屋にある有名ひつまぶし老舗店での店ぐるみによる猫虐待事件、神奈川県在住で5chなどへ陰惨な動物虐待の書き込みを続ける30代の男や、インターネットによる動物虐待事件の幕開けとも言われる2002年におきた福岡こげんたちゃん事件への検証取材や、大阪府松原市在住で「生き餌」と称して動物愛護法の法の網を掻い潜りながら、愛玩動物を爬虫類に面白おかしく喰わせる残酷ユーチューバーの男や、どれも取材側のこちらの精神を木っ端微塵にするゲテモノ人間ばかりで、僕自身途方に暮れてばかりだった。

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    こんな虐待犯を追っかけて、取材を続けて果たして一本の記録映画として仕上げる事は可能なのか?その疑問は、2017年暮れに共同監督の井上さんと話し合ったスタート地点から存在していた。しかしながら、今回の映画製作の一番の目的は、個別に虐待犯を晒すことではなく、動物虐待という最もダークで誰も触れて取り上げることが無かった題材で、まず一本の映画として後世に残す事は、即ち現状の放置国家に爪痕を残す事である。月面着陸を果たしたニール・アームストロングの「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ」みたいな思いが、僕には大いにあった。

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    共同監督の井上さんとは、その後共同監督を解消し、それぞれの立場、想いで別々のやり方で進むことになった。そちらの方がお互い気を遣わず、自由に生きれるだろう。だから映画製作という枠に捉われず、彼はその後、活動家としての認識が高くなっていったのかもしれない。僕の方はと言うと、やはり日本の司法は加害者側に有利になるように出来ている。勿論、人権問題も理解できるし冤罪事件も考慮しなくてはいけないことも重々承知だが、今回の事件や、例えば足立区コンクリート殺人事件など誰がどう考えても理解できない判決なら、裁判官なんて要らない。判例を重視するなら全てAIにやらせればいいのだ。
 人を裁く司法や裁判、はたまた捜査に感情を持ち込んではいけないという論理自体間違っている。サイコパスが、サイコパスを裁いても何の意味もない。そういうことだ。犯罪を犯してしまった側の人権を最優先に、しかも有利に働くのなら、こちらも手を汚す。虐待犯に対峙するにはこちらも加害者側に回らないと対等ではないだろう。

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    そういった発想から、僕は本当に虐待犯をボコボコにして、それこそ二度と残虐動画を見れないようにしてキーボードも打てない身体にして傷害容疑で捕まる計画を立てていた。
    これは本気だった。僕が捕まれば公務員の奥さんに迷惑がかかるから、断腸の思いで別れた。三匹と共に東京に住居を移した。そして、着々と計画を立て、逮捕された後に三匹を、ある方に託し、その輸送してくれる人も決めた。全て捨てる覚悟だった。『アジア犬肉紀行』の中国ロケで、僕らの宿泊施設に公安警察10人程が訪れて拘束される寸前だったから、あの時捕まっていたらスパイ容疑で10年は帰国出来ないと覚悟したから、僕にとっては虐待犯を半身不随にして傷害容疑の実刑喰らっても、それが司法制度の矛盾を描けれるなら上等だった。


    ただ、今現在は別の方法が思い付き、そちらにシフトを移した。具体的にはまだ公には出来ないが、僕の中では3つの現象を起こすつもり。その第一弾が今回のドキュメンタリー映画製作。これの次に、第二弾に着手する事を考えている。井上さんも色々と考えて行動に移しているよね。みんなネットで虐待犯に対して罵詈雑言繰り返すだけで誰も動こうとしていない中で、立派だと思う。


    あれから、何だかんだで3年の月日を費やしてしまった。この3年の血と涙と怒りと悔しさの結晶を90分程の記録映画として膨大な撮影データと格闘を始めようと思う。この社会に抗うつもりはなかったが、サイコパス国家による一介のサイコパス国民にはなれない。ただ、それだけだ。

        2021年1月 映画『動物愛護法』監督 北田直俊   

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