見出し画像

《同棲時間》に寄せて

朧げだが、しかし煌々と光るーー未完の偉業としての台湾同志演劇

鄭芳婷
台湾大学台湾文学研究科准教授

私は、これまでに一度も孤独を感じたことがない。
——祁家威

2017年5月24日、台湾の憲法法廷における最高法官は、同志運動*1 の先駆者・祁家威が申請した同性婚の憲法解釈案について、釈字第748号の解釈を提出し、「同性同士の婚姻を認めない《民法》は違憲である」と宣告した。ちょうどその日、立法院の外の青島東路では、「婚姻平権大平台」が催す「点亮台湾,亜州燈塔:婚姻平権,再戦立院(台湾に光を灯し、アジアの灯台になろう:婚姻の平等を求め、立法院で戦おう)」というイベントが行われていて、早朝から沢山の人が溢れていた。その日は典型的な五月の気候で、昼を過ぎて空気中には水気が満ち、ほとんど呼吸もできないほどだった。憲法解釈の結果が知らされたその瞬間、空がざわめき、バケツをひっくりかえしたような土砂降りになった。人々は名も知らぬ相手と抱き合って涙を流した。大声をあげて泣けるときがようやくやってきたのだ。これまでに抱えてきた痛みを、そして抑圧と不満を、ついに天に知ってもらうことができた。

憲法解釈の結果が出たことで、台湾の同志たちは「アジア初」を成し遂げたことの誇らしさと、沸き返る歓びに浸った。しかしながら、「台湾守護家庭連盟」、「信心希望連盟」、「次世代幸福連盟」(下一代幸福聯盟)などの反同志組織による逆襲の懸念が、薄暗い闇の中でなお消えずに生き残っていた。2018年4月17日、憲法解釈の結果に明らかに反するような「3つの国民投票案」を中央選挙委員会が通過させたことで、台湾の同志運動に瞬く間に暗い影が落とされた。

*1 訳注:台湾などの中国語圏では、LGBTを含めたあらゆるセクシュアル・マイノリティのことを「同志」と呼称する。以下本文においてもこの語を使用する

台湾の同志運動は、30年に渡って試練の道のりを歩んできた。台湾における初めての同志組織「私たちの間」(我們之間)(1990-)が設立されて以来、同志運動は一度たりとも足を止めることはなく、それどころか逆境の中にあって益々勇ましく、それぞれの時代の条件に対して柔軟に応じてきた。闘争のために命を懸けるこのような精神は、台湾の同志たちによる演劇史のなかにも顕れている。90年代には、「戒厳令の解除」(1987)をきっかけに始まった改革の勢いのなかで、さらに性に対する積年の抑圧と、同志のコミュニティ全体が受けた傷とが重なり合った。このようにしてセクシュアル・マイノリティが耐えてきた痛みについて考察するような演劇作品が現れ始め、同志たちの悲痛を表現することが、同志演劇の慣例となった。

同志演劇の沈鬱な空気感は、21世紀の始まりが近づくにつれて徐々に変化を遂げた。エイズへの感染が暴かれたことを理由に台湾師範大学から退学を言い渡された田啓元は、社会からの抑圧に屈従することなく創作を続けた。それどころか、《毛の死霊》(毛屍)(1988)、《白水》(1993)などの作品を次々と発表し、彼が立ち上げた臨界点劇団は台湾のクィア演劇の草分けと見なされている。以来、同志演劇においてパロディや不条理という方法を用いて批判をおこなうという美学が燃え広がり始めた。《毛の死霊》は、孔孟思想の批判をとおして台湾のクィア演劇の可能性を具体的に提示した。この作品以降、スローガンとしての伝統と正典としての規範へ対するこうした抗議の手法は、少しずつ抽象的で精緻なレベルへと進んで行った。その後、台湾大学の「浪達社」(1994-)や「男同志研究社」(1993-)、政治大学の「陸仁賈」(1995-)などの同志団体が成立し、社会の雰囲気が大きく変わり始めたことによって、喜劇的な手法をとる作品も徐々に現れ始め、その後の方向転換の前触れとなった。

同時に、90年代にはジェンダー理論が大量に紹介され、芸術創作の領域にも浸透していった。リュス・イリガライ、ジュリア・クリステヴァ、エレーヌ・シクスーが、精神分析の手法を用いて「女性的エクリチュール」(Écriture féminine)の可能性を展開した。ジュディス・バトラーが提起した「行為遂行性」(performativity)と「異性愛的メランコリー」(heterosexual melancholia)という概念は、同時代のジェンダー研究領域に一石を投じた。こうした豊富な論述の手法は、台湾の同志演劇にさらなる多様な表現をもたらした。邱安忱が台北堯楽茶酒館で上演した《絢爛レズビアン》(六彩蕾絲鞭)(1995)という作品は、気楽で満ち足りた関係性の2人の女性たちに起こる出来事をとおして、レズビアンの間の愛のある生活を描いたもので、話劇の形式にサミュエル・ベケット式の実存主義的な叙述を取り入れた。魏瑛娟の《私たちの以心伝心——女友だち作品1号》(我們之間心心相印──女朋友作品1號)(1996)は、蛍光色の衣裳で人形のような姿に扮した3人の女優が、意味をもたない台詞を喋ることによって、女性の同志たちによる扇情的な上演を期待する観客の想像力に挑んだ。様式化された声や表情、ダンスの動きをとおして、具体的な物語のない芝居をむしろユーモアやパロディの雰囲気で満たすことにより、女性たちの間の感情の揺れ動きを描いた。同年、田啓元が上演した《マリマレン》(瑪麗瑪蓮)は、ロラン・バルトの《恋愛のディスクール・断章》から着想を得たものである。洒落た身なりをした二人の女優が、具体的な物語のない呟きをとりとめもなく繰り返したり、いちゃつきながら陳腐なセリフをまるでトークショーのようにこねくりまわす。上述した上演のように、ユーモアに満ちて観客を笑わせるような芝居の特徴は、その後の台湾同志演劇の創作に深い影響を与えた。

1996年にB-Sideというバーで始まった「女節(女性の演劇祭)」は、魏瑛娟、許雅紅らが着想し、女性の演劇人たちがキュレーション、演出、実施を担う、台湾初の女性による演劇祭である。第一回目のトップバッターは、魏瑛娟の《私たちの以心伝心——女友だち作品1号》となった。その後、傅裕惠、秦嘉嫄、顧心怡、許雅紅、祁雅媚、楊純純らが「女人組劇団」を結成し、「女節」創立の精神を引き継いだ。また、石佩玉、杜思慧、藍貝芝らが相次いで実験的な作品を発表することで、女性演劇人たちの出会いのプラットフォームを継続的に提供した。「女節」は「同志」という問題をテーマの核心に据えてはいないが、そのフェミニズム的な主旨は同志演劇の豊かな水源となり、2000年以降の同志演劇の百花繚乱の種を撒いた。

1999年、ラテンアメリカのパフォーマンス研究者ホセ・エステバン・ムニョス(José Esteban Muñoz)が 「ディスアイデンティフィケーション」(Disidentification)理論を提唱し、その理論を用いて、マイノリティのグループが社会の主流へと柔軟に参入すること、そして権力的な形勢を逆転させることを分析する方法論を展開し、学術界を驚かせた。ムニョスがラテンアメリカにおけるクィアのパフォーマーによる「戯れ」の美学に焦点を当てていた同時期に、台湾においては紅綾金粉劇団(1995-)が発表した《Queenになるほどに美しくなるリューシストラテー》(利西翠妲之越Queen越美麗)(1995)、《星空の下の愛》(愛在星光燦爛)(1998)、《ぜんぶオネエ言葉のせい》(都是娘娘腔惹得禍)(1998)などの一連の劇作が、見事な「キャンプ」と「ドラァグ」の美学を台湾のゲイカルチャーの向かう道筋において展開した。そこではエイズをテーマにした演劇を論ずることの可能性も提示され、台湾独自の「同志」文化の特色と外来のジェンダー理論とを結びつけるような演劇の方法論が構築された。

先述の「女節」による長期に渡っての下地作りに加え、臨界点劇団と紅綾金粉劇団による多様な試みが加わり、ついに2004年第三回「女節」では、豊かな資源と経済力、人財を得るに至った。さらにはアメリカから「Split Britches」が招致され、《It’s a Small House and We Lived in It Always》の上演と共に、演劇ワークショップも開催された。その他には、徐堰鈴の《ピクニックへ》(踏青去)(2004)が、喜びに溢れた軽やかなテンポによって、正真正銘の台湾のレズビアンの歌を表現した。また、周慧玲の《少年、かんざし、男孟母》(少年金釵男孟母)は中国清代の作家李漁による〈「男」孟母三遷の教え〉(男孟母教合三遷)を原作とし、時代を超えた「南風(男風 )*2」の風貌を描いた。劇中の「男孟母」の物語は、1950年代の台湾を背景としている。白色テロの記憶も生々しい50年代の台湾に生きる同志たちの日常生活は、ここでさらなる複雑な表情をもって描かれた。

*2 訳注:男色のこと。中国語で「男風」と「南風」は同音。

さらに、ネイションとジェンダーが重なり合うところに焦点を当てたのは、簡莉穎の《服妖の鑑》(服妖之鑑)(2016)である。「男装の麗人」のコスプレを用いて、明代末期の理学と白色テロとの間に幽霊のように漂い続ける儒教思想を関連付け、無機質な国家組織とジェンダーを超えたアイデンティティとの間にある、答えのない平行線の関係を指摘した。簡莉穎が翌年に発表した《裏切り者マミの回想録》(叛徒馬密可能的回憶錄)(2017)は、台湾の演劇史上において、エイズをもっとも大きな規模で取り扱った作品と言えるだろう。汪其楣はエイズをテーマとした演劇の先駆者であり、《青春哀思:台湾、エイズとの闘いのドキュメンタリー》(青春悲懷:台灣愛滋戰場紀實戲劇)(2016)では、フィールドワークによって得られた実情とそこに注がれる社会の関心を強調した。それに呼応する形で登場した《裏切り者マミの回想録》は、その後に続くエイズをテーマとする演劇の方向性を指し示した。《裏切り者マミの回想録》で示されたエイズをテーマとする演劇の可能性は、ブロードウェイの《Angels in America》や《Rent》以来見られてきたような、感傷的な表現と平和で享楽的な表現との二極端の手法には留まらせていない。

エイズ演劇における「性」と「肉体」という概念の重なり合いに関する思考は、「ブルーの砂漠1.33:1劇団」(藍色沙漠中的1.33:1劇團)が2015年に発表した《34B|177-65-22-不分》という作品における「全裸で無料観劇」というスタイルによって大騒動を引き起こした。この作品は、広場に区画された限定の観客席に全裸で入場して最後まで観劇すれば、観客はチケットを購入しなくてよいというものである。この企画は賛否両論を引き起こし、さらには台湾の法律に関わる様々な議論がおこなわれ、それによって、劇自体がもつ身体、欲望、都市空間と社会のタブーについてのテーマがほとんど覆い隠されてしまった。しかし、当該作品の野外舞台における特殊な表現と、細かなものを積み重ねた詩情の構成は、極めて独特な台湾の男性同志演劇の姿を生み出した。

デジタル・アートや芸術領域の横断が流行りとなっているここ数年において、台湾の同志演劇もたびたび興味深い探求をおこなっている。簡莉穎が2014年に発表した《新社員》は、ロック・ミュージカルの形式をとり、ゲイというテーマとBL耽美文化とを結びつけ、二次元のアニメと三次元の舞台との間にある境界を打ち破ることを狙いとした。この作品によって、演劇作品の同人コミュニティが自主的に発展するという、台湾の演劇史における新たな記録がつくられた。それに連動して、チケットと関連商品の売れ行きも上がった。続編の《レヴィアタン2.0》(利維坦2.0)(2016)は、前作の熱量を完全に引き継ぐことはできなかったが、しかし劇中で多く使われた「ポスト・ヒューマン」と「サイボーグ」というキーワードは、再び同志演劇の可能性を確実に押し広げた。

台湾同志演劇の歴史は、いつまでも書き終わることがない。重要な作品に焦点をあてつつ、資金不足のために注目が得られないような実験的な作品にも関心を持たなければいけない。戒厳令の解除から今に至るまで、台湾の同志演劇史は同志運動史と同志文学史とに呼応し、いまだに差別的な環境のなかで基本的人権を守るために、たゆまぬ努力を続けてきた。若い同志がいじめを受けて亡くなった葉永鋕事件に対して、反同性婚グループが滑稽にも「教育の品格」や「保護者の関与」というスローガンを声高に主張したときから、現在もなお変わらず、台湾のLGBTの人権は荒野に閉ざされたままである。だからこそ、今この時代において、林孟寰が発表する《同棲時間》(2018)は重要である。この戯曲は、内在的な暴力が満ちた言語をもって、現代の家庭におけるバベルの塔を再構築する。そしてまた、台湾人というアイデンティティが内包する日本と台湾の関係性の矛盾や曖昧さを思い起こさせることにとどまらず、さらに「同志」というテーマにおける倫理的な核心を直接的に突くことを企図している。同時に、アジアの同志演劇が未来において交流しあう可能性を示しているのである。

台湾の同志演劇はいまだに弱く寂しい立場にあるかもしれないが、しかし薄暗い中でも燦々と光を放っている。手を取り合おう。私たちは、孤独にはならない。

                        <翻訳:野田容瑛>

中文--------------------------------------------------------

稀微卻又爍爍:臺灣同志劇場作為未竟之業

鄭芳婷
臺灣大學臺灣文學研究所助理教授

我一直都沒有孤單的感覺。
——祁家威

2017年5月24日,臺灣大法官針對台北同志運動先驅祁家威聲請的同性婚姻釋憲案,作出釋字第748號解釋,宣告不允許同性婚姻之《民法》違憲。當天立法院外的青島東路正由「婚姻平權大平台」舉辦「點亮臺灣,亞洲燈塔:婚姻平權,再戰立院」活動,透早便聚集了滿滿的民眾。那是一個典型的五月時氣,中午過後,空氣裡佈滿水氣,幾乎難以呼吸,直到釋憲結果傳來的那一刻,天空唰的一聲降下傾盆大雨,即使是不認識的民眾亦相擁而泣,像是終於能夠放聲大哭,把過去所有的痛苦、壓抑與委屈都讓老天爺知曉。
釋憲後的台灣,沈浸在一片「亞洲第一」的驕傲與歡騰裡,然而護家盟、信望盟、幸福盟等反同機構的反噬陰翳仍在暗角隱隱發光。直到2018年4月17日,中選會通過明顯與釋憲結果相悖之三項反同公投案,使得臺灣的性別運動瞬間又罩上濃濃暗影。
臺灣的同志運動三十年來走過風風雨雨。自第一個同志組織「我們之間」(1990-)成立以來,同志運動從未停歇,反而在困境中越挫越勇,並針對時代資源彈性對應。如此拚搏屬性,也反映在臺灣的同志戲劇歷史中。回溯九零年代,其時承繼了民國76年解嚴以來的衝撞改革風潮,亦混合了長期累積的性別壓迫與集體創傷,於是在劇場領域出現了諸多探討性少數社群所承受痛苦的作品,也因此形塑了同志表演的悲情傳統。
沈重抑鬱的氛圍,隨著千禧年的靠近慢慢轉變。因愛滋感染者身份曝光而遭臺師大勒令退學的田啓元,並未因社會壓迫而放棄創作,反而接連推出《毛屍》(1988)、《白水》(1993),成立臨界點劇團,被視為台灣酷兒劇場濫觴。從此,一種以諧擬與荒謬技法的批判劇場美學開始延燒。《毛屍》以其對孔孟道學之批判,具體揭示本土酷兒劇場的可能方法,而後這種對傳統教條與規範正典的針砭,則漸轉入更為抽象且細緻的層次。而後,隨著臺灣大學浪達社(1994)與男同志研究社(1993)、政治大學陸仁賈(1995)等同志社團成立,社會氛圍出現大幅轉變,使得喜劇手法漸漸浮現,預示了之後的轉向。
同時,九零年代間,性別理論大量進口並滲透藝術創作界。伊希嘉瑞(Luce Irigaray)、克莉斯蒂娃(Julia Kristeva)與西蘇(Hélène Cixous)以精神分析為方法,鋪展了「陰性書寫」(Écriture féminine)的可能性。巴特勒(Judith Butler)提出的「操演性」(performativity)與「異性戀鬱結」(heterosexual melancholia),更是驚起當代性別研究領域的一片水花。這些豐沛的論述資源,使得在地同志劇場出現了更為多元的風景。邱安忱上演於台北堯樂茶酒館的《六彩蕾絲鞭》(1995),以輕鬆愜意的雙人即景描摹女同志情愛生活,其話劇形式融入Samuel Beckett式的存在主義式敘事。魏瑛娟的《我們之間心心相印──女朋友作品1號》(1996),由三位著螢光色系洋娃娃打扮的女演員,述說著無實質意義的台詞,挑戰觀眾對於女同志煽情劇碼的期待。沒有具體敘事的戲劇,反而因風格化的聲音、表情與舞蹈動作,充滿幽默與諧擬的氛圍,並以此描摹女人之間的情感流動。同年,田啓元《瑪麗瑪蓮》,發想自羅蘭巴特(Roland Barthes)的《戀人絮語》(Fragments d'un discours amoureux),由衣著俏皮的兩位女演員,以沒有具體情節之重複囈語,宛如脫口秀般地玩弄著打情罵俏的陳腔濫調。上述演出當中輕鬆愜意、笑鬧戲耍的特質,又深深影響而後的臺灣同志劇場創作。
起自1996年的B-Side酒吧的女節,源於魏瑛娟、許雅紅等人的發想,為由女性劇場工作者策展、編導與執行的首個本土戲劇節。第一屆先發便是魏瑛娟的《我們之間心心相印──女朋友作品1號》。而後傅裕惠、秦嘉嫄、顧心怡、許雅紅、祁雅媚、楊純純等人組成女人組劇團,延續了草創女節的精神,又有石佩玉、杜思慧、藍貝芝等人相繼推出實驗性作品,持續提供女性劇場工作者媒合的平台。女節雖並非以同志為核心主題,然而其女性主義主旨卻聚集了豐厚的性別劇場資源,為2000年後奇花異果般綻放的臺灣同志劇場撒下種子。
1999年,拉美表演研究者穆諾茲(José Esteban Muñoz)提出「抵認同」(Disidentification)理論,用以分析弱勢社群彈性介入主流資源並反轉權力部署的方法學,一時震驚四座。就在穆諾茲聚焦於拉丁美洲酷兒表演者的戲耍美學之際,臺灣則出現紅綾金粉劇團(1995-),一連推出《利西翠妲之越Queen越美麗》(1995)、《愛在星光燦爛》(1998)與《都是娘娘腔惹得禍》(1998)等精彩劇作,以精彩的「敢曝」(camp)與「扮裝」(drag)美學開展在地男同志的文化面向,從中也反映愛滋議題的戲劇論述可能性,建構了接合在地同志特色與外來性別論述的劇場方法學。
先前女節的長期種樹,加之臨界點劇團與紅綾金粉劇團的多方嘗試,終於使得2004年的第三屆女節聚集豐足資源、經費與人力,甚至得以邀請美國「開襠褲劇團」(Split Britches)來台演出《我倆長住的小屋》(It’s a Small House and We Lived in It Always)並開設戲劇工作坊。如此出現徐堰鈴的《踏青去》(2004),以歡騰輕快的調性唱起正港臺灣女同志之歌。周慧玲的《少年金釵男孟母》則從李漁原著〈男孟母教合三遷〉出發,描繪「南風」的跨時代風貌。劇中男孟母遷的今生故事,乃置於五零年代的台灣,其時白色恐怖的集體記憶,使得同志日常出現了更為複雜的面向。
同樣聚焦於國族與性別交疊之處者,尚有簡莉穎《服妖之鑑》(2016),以「男裝麗人」之「扮裝」手法,串連明末理學與白色恐怖之間流連不去的儒教陰魂,並指出國家機器與跨性認同之間的無解齟齬。簡莉穎隔年推出之《叛徒馬密可能的回憶錄》(2017),可謂臺灣戲劇史上以愛滋為議題之最大規模製作,不僅呼應愛滋戲劇先驅汪其楣《青春悲懷:台灣愛滋戰場紀實戲劇》(2016)所強調的田野調查與社會關懷,更激發了爾後國內此主題劇場的美學面向,不啻反思了自美國百老匯《美國天使》(Angels in America)與《吉屋出租》(Rent)以來愛滋劇場中耽溺感傷抑或歌舞昇平的結構問題。
愛滋劇場中對於「性」與「肉身」的重思,以另外一種方式見於藍色沙漠中1.33:1劇團在2015年所推出之《34B|177-65-22-不分》,並以其「全裸免費看戲」方式,掀起軒然大波。觀眾只要願意全裸進入空場所劃定之限定觀眾席並全程看戲,則無須購買戲票。此舉所引起之正反面意見,甚至涉及臺灣法律的相關討論,幾乎掩蓋戲本身對於身體、慾望、城市空間與社會禁忌等主題。然而其特殊的戶外舞台呈現與瑣碎堆疊之詩意結構,仍生產出一幅極為特殊的在地男同志劇場相。
在數位藝術(digital arts)、跨領域(interdisciplinary)蔚為風尚的近幾年間,臺灣同志劇場亦出現了幾次有趣的探索。簡莉穎於2014年推出之《新社員》,以獨立搖滾音樂劇的形式,結合男同志議題與BL耽美文化,企圖打破2D動漫與3D舞台劇之間既有的界線。其結果是臺灣戲劇史上破紀錄的同人社群的自主發展,連同帶動票房與周邊商品的熱賣。而後作為續集的《利維坦2.0》(2016)雖未能完全延續其熱度,但劇中所大量使用的「後人類」(post-human)與「賽伯格」(Cyborg)議題,確實又再度擴大同志劇場的可能性。
為臺灣同志劇場做史永遠都是未竟之業。如何能在聚焦重要作品之際,還能盡力關注那些由於資源與資金缺乏而無法獲得應有注目的實驗之作,永遠都是兩難的議題。從解嚴迄今,臺灣同志劇場史呼應著島上的同志運動史與同志文學史,努力不懈地在仍充滿惡意歧視的環境中為基本人權奮鬥。當葉永鋕事件荒謬地成為反同婚單位用以高呼「品格教育」與「家長參與」的符號時,臺灣的性別人權仍然被鎖在黑暗荒原之中。在此時,林孟寰所推出之《同棲時間》(2018)乃顯重要,本劇以充滿內在暴力性的語言重構現代家庭的巴別塔,不僅反思臺灣國族認同中日本與臺灣之間矛盾曖昧的關係,更試圖在此關係中直搗同志議題的倫理核心,並提示出亞洲同志劇場在未來可能的交流方向。
臺灣同志劇場或者仍處稀微,但隱隱間卻又爍爍發亮。牽著手,我們將不會孤單。

2017/8/1,伍詠欣:〈【同志平權】專訪祁家威:我從沒有孤單的感覺〉,《明周》,https://bkb.mpweekly.com/cu0001/20170801-45846,讀取日期2018年4月21日。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?