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ワークショップ・対話の世界に飛び込んで(超初心者から出発、WSDの学び)

今年5月~8月にWSD35期オンラインコースで学ばせて頂きました。私は、現在委員会で放課後事業を担当しており、その前は教諭。青年海外協力隊や国際交流活動、震災遺児ケアボランティア・国語教育カンファランスで国語教育本やボランティア本(部分執筆)など、自身は興味のあることに取り組んでいるだけですが、他者は多様な活躍と言ってくださいます。
以下活動HP、ブログ、出版に関わった本になります。

私の担当事業(あしやキッズスクエア)文部科学省放課後子供教室事業https://www.city.ashiya.lg.jp/sports/shoukai.html

私の協力隊時代のブログ
南の島で幼稚園の先生になろう! (goo.ne.jp)

ケースからみるボランティア入門 : ボランティアが拓くグローカル社会 - Webcat Plus (nii.ac.jp)

目次
1.WSD オンラインがもたらす可能性・拡がり
2.どこかなつかしいWSD
3.WSD俗人化問題は避けれない?
4.どのように言った伝えたかではなく、相手がどう受け止めたか?
5.現在の学び(グラフィックファシリテーション)
6.超初心者は学びやすい?
7.人生で大切にしていること
8.ALL YOU NEED IS WSDLOVE(WSD愛について)


1.WSD オンラインがもたらす可能性・拡がり
WSD参加前にもワークショップには参加し、対話に近い形の話し合いなど多くを仕切ってきましたが、ワークショップという名のつくものを主催したことはなく、ワークショップ初心者の私がWSDが完全オンラインになったことで受講可能となり参加しました。
リアルで感じれるものに叶うものはなしですが、機会がひろがる、参加のハードルが下がり、多様な人が参加でき、理解がひろがるという点でオンラインの可能性はこれからも見逃せません。
WSDでオンラインの話となるとZOOMや対面ではないむつかしさに意識が行きがちですが、参加者のハードルがさがったこと、その多様性の拡大についてはまだまだ意見があまり述べられていないようにも感じます。

WSDを受講するには完全オンライン実施前は、受講者が10回以上週末青学に朝から夕方までの時間がある方で、移動できる人のみが受講できましたが、今はツールがオンラインというだけでなく、家から出ることが難しい方、遠方の方、特に私が一番参加して感じたことは、小さいお子さんがおられる方の参加のハードルが下がったこと。つまり育児子育て家事をしながらの学びや出会い、つながりの機会の拡がりこの意義は非常に大きく、WSDの価値観を広げてくれること間違いなしのはず。
またオンラインでは海外の方の参加もありました。
まさに国境を越えて、時差を乗り越えて。
WSD恐るべし。WSD時空を超えるのか?

WSDでは多様な価値観を共有することが大切ですし、参加のハードルが下がるの事の参加できる人の層が拡がる重要性、そこから生み出される学びの拡がり、深まりには期待大です。

オンラインで学ぶ可能性・拡がりはこれから実証されるのかも?




2.どこかなつかしいWSD
WSDを受けて感じたことは、初めてとは思えない懐かしさがあるなあと。
いや正確には、今まで生きてきた中で感じたり、学んだりしてきたことの復習をしているような感覚でした。
最終レポートも「ワークショップデザイナーとは幼児教育である」と結ばせていただきました。
苅宿先生がビデオで幼稚園の現場でこどもがチャレンジしている様子をWSDの足場架けとして説明されていました。
本当にWSDと幼児教育の共通点は非常に多種多様。

参加者とのマッチングは幼児の気持ちに寄り添う、
参加者の表情から読み取るは、幼児の言葉にならない思いや表現表情といったように。
それは私だけではなく、幼児教育に限らず他の仕事や人生を歩んでこられた方においても言えるようにも想像しますがいかがでしょう?

幼児教育以外でも協力隊参加で現地の情報弱者になった経験、1いや0から現地の方の気持ちに寄り添い現地の方々にとりなにを技術移転することが大切か考え悩み、ぶつかり少しずつ前に進んできたなどなど。
WSDは、私の今まで辿ってきた人生の道の振り返りでもあります。

親和性とはまたちがう、人生の長短に関係なく自身が歩んできた道を振り返ったような。それはWSDとの出会いが運命づけられていたと感じるところにも通じるのかもしれません。
WSDに限らずワークショップや対話とは、自身を振り返る、自分を見つめるが根っこにあるのですから当然かもしれません。

また「WSDって登山だな」とも感じました。
(これにも頷いてくださる方おられるような?)
最初はワークショップデザイナーという目標がはっきりとありこれが登山の目標である頂上のような。しかし登山を始めてみると、周りは木々や岩山ばかりで頂上の姿かたちを見ることは叶いません。
そんな時「これって頂上に近づいているの?」「疲労感が増してきてそもそもなぜ山道をあるいているんだ?」みたいな気持ちになることも。
しかしそこで味わう葛藤やどうにか頂上に向けて歩き続ける気持ちを維持するなどは、WSDのグループで実践する前の状況に非常に似ているように感じています。

みなさんはWSDを経験され、懐かしいと感じたことはありますか?     またそれはどんな人生と重ねあったのでしょうか?

WSDの授業、デジャブ―?憧憬?



3.WSD俗人化問題は避けれない?
WSDで学ばせてもらい、だれもができる「プログラムデザイン」、俗人化にならないような設計をと言われたように記憶しています。
(俗人化とは会社や仕事で業務の進め方が担当者わからなくなってしまうこと。)
俗人化という言葉も今の私の担当している仕事が俗人化しているという指摘を受けて学んだ言葉です。

WSDで刈宿先生が話してくださったことを他の人が全く同じように話したからと言ってみんな同じ理解を得られるか?みたいな問いです。
先ほど「1.どこかなつかしWSD」でお話をさせていただいたように一人一人の人生の歩みや学びがつまっているのだから、一人一人の個性に特化したものなので、そもそもその人しかできない、それにあらがうようにシステム化しようとしているのではないか?と思い事もあります。
※もちろん俗人化にならないようにプログラムデザインがされていることはいうまでもないのですが

そこは徒弟制のように親方の仕事を見て学ぶしかないような。
またマインド、というか志を同じにできるところまで近づける必要があるような?
これもなかなか自分としては興味深いテーマです。
自身の仕事の俗人化をいかに防ぐことも含めて。

俗人化?同じこと言っているのに受け止める方の理解は様々なんですよね。



4.どのように言った伝えたかではなく、相手がどう受け止めたか?
最近、非常に意識しているというか、大切にしたいこととして
自身も他者において「私は○○と話した、伝えた」という意識や言葉多く聞かれたように思いますが、それって大丈夫っというか、そこどまりでいいの?と感じています。
いろいろなシチュエーションがありますが、
やはり、基本は、相手がどう受け止めたか?どう感じたかが一番大切なはず。
もしかしたら、先ほど3.俗人化にも通じる。どう話すかではなく、どう受け止めてもらったかを意識しているかいないか?そこに想像力があるかどうか?といった部分かもしれませんね。

WSDの省察においても、その部分が肝となるような。
どう話した伝えたまででとどまるか?どう受け止められたかまで
思いをはせることができるか?
省察のイマジネーションとも言えるかもしれないですね。

WSD以外にも目を移すと、
パラハラ、いろいろな人と人起こす事象においても、
今までは私はこう話した伝えたのにがある意味説得力をもっていましたが、
今は、いやいや私はこんな風に感じたが重要であることは
言うまでもありません。

これから、今もこれがキーワードのような



5.現在の学び
今、グラフィック・ファシリテーションを学んでいます。
ああグラレコねえ、ってなると思うのですが、グラフィックレコーディングは場をしっかりと描くことが大切で、グラフィックファシリテーションは場にあらわれない参加者の心情、また参加者本人も気づいていないが奥底にある思い等にアプローチするものだと私は理解しています。

これがかなり奥深く、学びの連続。こちらも懐かしいを感じるのですが、
ワークショップ初心者の私にとり、WSDの学びがあったからこそ、ここで新たな学びが得られていると感謝しています。
WSDで何を学んだかではなく、今の生活や学んだあとの生活や思いに
どうWSDの学びが反映されているか生かされているかが大切だと改めて思います。

こちら現在学ばせてもらっている
グラフィックファシリテーションの教科書、
本も著者もめちゃくちゃ素敵です。



6.超初心者は学びやすい?
基本、知らないことばかりなので、周りの学びの仲間がいろいろ教えてくださいます。WSDの方々はその道のプロが多いですからね。
もちろん、WINWIN、ギブ&テイクが基本ですが。
私は自己開示力がすごいなあと言っていただきましたが。
そして、知らないことばかりなので素直に学べる。邪魔をする知識や経験がない。などなど
可能な限りニュートラルな思考で臨むことが学びが得やすいのではという意味も含んでいます。
要は素直な気持ちでということでしょうか。
禅?のようにいろいろな雑念をできるだけ振り払い、
シンプルに感じるままにも大切かも?



7.人生で大切にしていること
最近オンラインで「人生で経験したことすべてを糧とかにするのではなく、つらいことや悲しいことも自身で受け止めて、それも含め自分の人生だなって思って、その経験を活かすことが大切って」とお話をすると、すごく他のお心に響いたことがありました。
もちろんその方に向けたメッセージなのですが、これは私が出会って素敵な方だなって思った美智子上皇妃殿下が「与えられた環境で幸せに育つ子」という話をされたことがインスパイヤされ、自身の人生経験に基づくものです。WSDでも同じことが言えるのかもしれません。




自身の環境の中で輝く、それは今日という日のワークショップ、その与えられた場や参加者でベストを尽くす。また自身の今置かれている環境でWSDの学びを発揮するという事にも通じるのかも?
環境を整えることも大切な一方、環境をしっかりと受け入れるこ、環境の自分事?というな感覚でもいいかもしれないですね。


8.ALL YOU NEED IS WSD LOVE(WSD愛について)
今回このような貴重な場を与えてくださった皆々様、本当にありがとうございます。
このように多くの人がWSDのことを思い、繋げていこうとしてくださっていること、このことこそがWSDの魅力であり、大きな原動力であるということ。私が言うまでもないことですが。
WSDは愛にあふれている。ということですね。
このアドベントカレンダーを投稿でつないでくださっている方、ご覧くださっている方もWSD愛かもしれないですね。



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