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今日まで・・・7️⃣

前回の6️⃣から、少し遡ってみます。

調整員最期の地

長崎県 松島

松島は、長崎県の西彼杵半島の西1km沖の五島灘に浮かぶ島です。
全域が長崎県西海市に属しています。(当時は西彼杵郡大瀬戸町)
江戸期から昭和中期までは捕鯨と炭鉱で栄えた歴史を持つそうです。
1981年に電源開発松島火力発電所が操業を開始しました。
そんな松島火力発電所の建設工事が調整員最後の赴任地となりました。

今日まで・・・2️⃣で書きましたが、出向先上司と仕事上で口論となり現場を離れました。顧客の中に小倉火力でお世話になった方がいらして、かなり引き止められました。しかし、出向先上司の仕事に対する姿勢が納得出来ないまま、その下で働く気にはなりませんでした。
その時のお話です。

泊まる所がない!
僕の乗込みは建設工事が始まって随分遅い時期でした。
既に工事関係者で溢れていて、島内も対岸側にも宿泊施設には空きがありませんでした。
仕方なく、タクシーで1時間ほど離れた(距離にして26Km)「七ツ釜鍾乳洞」にあるホテルに滞在しました。
朝は6:00にホテルを出る必要があり、従業員通用口近くの部屋で寝泊まりしました。(ここは客室か?)
そこから、瀬戸港の乗船場までタクシー移動し、船で松島に渡るという毎日が暫く続きました。

瀬戸港から松島に渡るフェリー

仕事が長引いて残業になると、対岸に渡る最終の船に間に合わない時もありました。そんな時は、作業補助に付いてくれる人のご行為で部屋に泊めて頂きました。「時々、ムカデが出るから気をつけて」と言われながら二人で一つの布団で寝ました。(笑)
その方は長崎市内に自宅があり、休日には自宅に帰りたいだろうと思うのですが「休日出勤は出来るから、いつでもOKだよ」って言って下さり、その言葉に甘えて休日出勤にも付き合って頂きました。

民家にお世話になることに
ある日、船着場の売店(舟券と日用品・食料品を置いてあります。)で、店の叔母様に「この辺で、どっか泊まれる所ないですかね~、毎日七ツ釜鍾乳洞から通うのはキツイんですよ」と相談すると、叔母様は「可哀想だねぇ」と親身になって探してくれました。
翌日、「私の親戚の家で良ければ泊まれるよ。そこの家族は良いと言ってるから」と言って下さいました。
叔母様のおかげで、船着場から徒歩5分の家にお世話になることが出来ました。寝室は2階の和室でした。ちょっと床が傾いていて・・・平衡感覚が(爆)

家族構成は、ご夫婦に息子さんとお父さんの母親(お祖母様)の4人暮らしです。このお祖母様がとても親切な方で、僕が残業で帰りが遅いと「夕飯は食べたのか?」「先にお風呂に入りな」などなど気を使って頂きました。(恐縮です。)
後から考えると、息子さんは僕と同年代でしたから、お祖母様はお孫さんと同じあつかいをして下さったのかも

休日の過ごし方
長崎市内に知人が居たので2度ほど遊びに行きました。その知人は、名古屋の実家近くの自動車整備工場に勤めていた方で、辞めて長崎の実家に戻っていたのです。
それ以外は、船着場売店の叔母様をお手伝いします。自動販売機の飲み物補充やら、売店に置いてある物品の販売、舟券の販売などなどなど・・・一日中店番です。
ある時、現場に出勤すると僕の後ろで仕事をしていた見知らぬ人から「あれ!おたく昨日、売店で舟券売ってなかった?」と・・・・(^_^;)

お別れなのです。
半年ほどお世話になりました。
最後の夜、ご家族の食卓に招かれ、別れの夕食会を開いて頂きました。
お父さんは既に出来上がっていて(もちろん、酔っ払ってです)色々お話をしてくださるのですが、合間に僕の太ももをバシバシ叩くので・・・太ももが真っ赤に(笑)
お祖母様は明日から寂しくなるねぇ~と涙まじりで・・・
こういうの僕やばいのです。(つられてもらい泣きしそう)
翌日、ご家族と売店の叔母様に見送られてタクシーに乗込みました。

あれから40年以上経ちます。
もう一度、あの家族に会いにいきたいと思いながら
今日に至ってしまいました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
本日も豊かなる一日を♪



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