預けたい

大学生3年生の頃、何も予定もなく、とてつもなく暇な日が続いていた。

ダンスをしても、飲み会に行っても、女の子と遊んでも、何をしても埋まらないこの満足ゲージ。

本当に何のあてもなく三田キャンパスの中庭を歩いていると、高校の頃に仲の良かった逢坂(友達)に会った。

「お!イケメンじゃん!」と逢坂に声かける。
逢坂は、そんなにイケメンじゃない。「久しぶり」なんて声掛けてもつまならいし、「イケメンしゃない奴に『イケメン』と声を掛ける」といういつの時代でも敵を作る言い回しを僕は好んでいた。

逢坂には、とにかく暇で、何も成す事もなく、大きい身体と時間を持て余してることを伝えた。

「あー俺今からゼミの友達と会うんだわー」
「なんのゼミ?」
「んー『世界史を学ぶ』的な?」
「 俺も学べるの?」
「芦名、世界史好きだったっけ?」

時間を潰せるなら何でも良かった訳じゃない。
映画とかアニメとか漫画とかそういう手軽な物じゃ心踊らなかった。

【俺は今、これをやってるんだぜ!】と自己完結型のドヤ顔が決まればそれで良かった。乗りたかった。乗ってる感じが出れば良かった。

「暇潰しに、世界史を学ぶ。」
これをカッコ良くて、乗ってる感出る事はないだろう。




宗教の話になるまでには、そんな時間は掛からなかった。

ユダヤ教は、「救世主はきっと来る」
キリスト教は、「救世主がキリスト」
互いの考え方の違いによって、宗教戦争が勃発した。みたいな話を聞いたり、神様が1週間を上手く使って地球を作った話とか色々聞いてた。

「ってか宗教ってなんの為にあんの?」
素朴な事を逢坂に聞いてみた。

「何かのせいにしてないとおかしくなるだろ?」
「ん?」
「例えば、家族みんなで畑仕事をしているのに、自分のミスで畑をダメにしちゃうとするだろ?そんな全員から責められるような失敗でも『神様から与えられた試練だ!』とか言えば、耐えられるじゃん?」
「それが宗教ってこと?」
「うん。考え方というか生き方というか。良い事は、神様のおかげ。悪い事は、神様からの試練。そう考えた方が、楽じゃん。」
「楽かな〜」
「自分で責任持つより、他人が責任持ってくれた方が楽だろ?自由だろ?」
「なるほどね〜」



当時は、そんな大した出来事があったとは思えない1日だったけど、何故かこの日の逢坂との会話がずっと記憶残ってる。


「人は、楽したいから、人のせいにする。」
他人に期待するのも、他人を否定するのも、その矛先を自分に向ければ、自分に期待した分、自分が頑張らなきゃいけないし、自分を否定した分、理想の自分に近づく為、足掻かなきゃいけない。
そんなの辛いし、逃げ出したい。

でも、逃げ出したら逃げ出し分だけ人は小さくなっていく。逃げ出さず、自分と向き合い続け人間に皆価値を見出す。何故なら自分じゃ出来ないから。そして、終いには「あいつは天才だ」「神だな〜」とか言う。そう言って、また逃げ出す。

だからこそ、人に、自分の頑張る箇所や自分が身に付けなきゃいけない能力の可能性を他人に預けるのは、本当に楽なのかもしれない。ダメになっていく自覚はない。




ファイヤパンチを読んで、そんな事を思い出したり、考えたりした結果、感覚的に書こうと決めて、それを実行しました。


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