否定する事でしか生きられない。

小学校2年。

教科書をゴミ箱に入れられ、ランドセルを窓から投げられて、流行りのゲームを貸してやると言われ借りたら「借りパクした!慰謝料5,000円!」と言われ、泣きながら親に土下座して「お願いします!5000円ください!」といじめっ子好き勝手されたあの頃。嫌な事を嫌だと言えなかった。否定が出来なかった。


人間は、よく否定をします。
4つ使い方があるんです。

1つ目は、最も簡単で、最も配慮のないコミュニケーション術だと思ってます。
カレーが大好き!っていう人間に、「カレー好きなんて、いかにもガキですね」って言えば、相手の感情動かせるし、運が良かったら返答が返ってきますもんね。超簡単で、バカでも使えるツール、否定。(これは人としてあんまり使いたくないですよね)

次に、これは心の安定剤にもなりますからね。
「自分は違う。」「あんな恥ずかしい事は絶対にしない。」「あんな生き方絶対してやるもんか」背負ってものが大きければ、大きいほど安心の量は増えますね。


3つ目は、逃亡。料理人を目指してるやつがレストランを抜ける時「俺はここのやり方が気に食わない」もう一生その店で働く事は出来ませんよね。でも、本人が心の底から店のやり方を否定して、閉鎖的空間(朝早いし、夜遅くて社会活動の全てそこで行われてる)であるレストランを抜け出せたのなら、それだけ幸せな事はないですよね。


そして、4つ目は、仲良くなるんです。
共通の敵を見つけて、一緒に攻撃するんです。別に周りに強要はしないですよ?仲の良い人の内だけで。

ゲゲゲの女房の方もインタビューで答えてました。「旦那・水木しげるさん(亡くなっています)とお会いしたら、何がしたいですか?」

「一緒にまた誰かの悪口を言いたいですね〜」





僕は99歳のおじいちゃんと暮らしていますが、お互いに否定し合ってます。おじいちゃん捕まえて、何様だ、クソガキてめぇ。と言いたい気持ち分かりますが、これはこれで楽しいんですよ。

このまんじゅうは、うまい、うまくない。
この味噌汁は、うまい、うまくない。
否定しまくってます。だからなのかお互い納得の行く食べ物に出会えた時は、2人して「うめぇ」つって、笑い合います。それが幸せだったりします。

先に話したイジメの時は、両親に迷惑をかけたくない一心で、自分から壁を作ってました。

それがいかに勿体無い、腹割ってもっと話しときゃ良かったって、僕は心の底から思うんです。

にしても、僕のおじいちゃんへのあの口調はどうなんでしょう?

良くないと思います。はい。

いじめっ子を否定出来なかった経験は、今となっては良い事だと思ってます。

不器用ながら人間らしく人と仲良くなる方法を無理矢理生み出せた訳ですから。

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