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『あこがれ』の正体【推考】


憧れるものって、あると思うんです。
なんだかあの人は輝いて見える、みたいに眩しく感じる、そんなこと。

それは想い人を指すだけの言葉ではなくて、もっと大きな、
曖昧で包括的なものだと思うんです。


具体的には、想い人とか尊敬する人とか、地位や名誉や容姿やら、何かとつけて憧れる対象はあるわけです。


それらを同一に並べることは出来ないけれど、おおまかに3つに分類することは出来る気がします。


本来その人が持ち合わせているもの
羨ましいですよね。容姿も家庭環境も、すぐにマネできるものではありません。それゆえに苦労せずに手にしている人を見ると、なぜ自分にはないのかと世の中を運ゲーだと思い込みたくなるくらいです。

ただ、立ち止まり考えれば、必ずしもそうではないのです。
長い脚は、小さい頃体操服が似合わなかったかもしれない。
大きな目は、その昔であれば避けられているし、埃が入りやすいかもしれない。
金銭的に豊かな環境であっても、そんな家庭だからこそ当然として受け取らされてきた期待もしつけも周囲の目もあったことでしょう。

そんなの我慢するから、交換してよ、と思うところですが、そうはいかないのです。
それらを受け入れたからこそ今の彼らがいて、自分は一地点の今だけを見ている評価していることに気が付かないといけないのです。
自分の特徴を見てつけてくれる人に出会いたいなら、自分が相手を正しく見れているのかを見つめ直さなければいけません。


努力した結果、手にいれたもの
これは皆、憧れるのではないでしょうか。
社会的地位や勉学、運動、恋愛の面でも憧れる対象は多いです。

そこにたどり着くにはきっと多くの困難があったはず、だけれどあの人は今、大きな結果を出している。
特にその過程を想像しやすいもの = 自分が少し通った道 =勉学や運動にそれを見ることが多いように思います。

あそこでもう少し頑張っていれば、突き詰めていれば。そんな感覚を誰しも持っているからこそ、そう思うのかもしれません。


だけれどそれは、たらればです。
後悔先に立たず。
憧れの人がその道に進んでいた時に、自分が行った行動も間違いではないはずです。

例えば、学生の頃、あの人は放課後塾に通い詰めていて、有名な大学に進学し、大手企業に勤めていて趣味の海外旅行を楽しんでいる、とします。

その人が受験勉強をしていた時、あなたは何をしていたでしょう。
アルバイトをしていた?
友達とだらだらと教室に残って駄弁っていた?

それはどちらも、その人は出来なかったことです。

友達と話した内容なんて覚えてないし、もう連絡もとっていなかったとしても
話してたな、という記憶が懐かしさを与えてくれるはずです。
学生時代、楽しかったな、という記憶を形成する一部になっていたなら、それは現在の憧れの海外旅行や仕事に劣らない、素晴らしい行動だったのです。


努力している最中のもの

高校野球をイメージしてもらうとわかりやすいと思います。
またはダイエットや資格勉強、もちろん趣味でも、なんでもいいです。

遊びだって、全力で楽しもうとする人は努力をしますし、
そういった人は輝いて見えるものです。


大人の言い方をすれば、夢中になれる、自分の世界を持っていると表すかもしれません。

大人でも認めるほどに、努力をしている人は
憧れられるし、応援したくなる
のです。


先にでた2つのあこがれ「本来持っているもの」「努力した結果手にいれたもの」はすぐに真似出来るものではありません。


ただ、「努力している最中」は、すぐにでもできるのです。

あこがれる人から、あこがれられる人へ。


何か夢中になるものを見つければいい。それだけで。

大人になると、体裁や保身に頭を回してしまって、
一心不乱に無我夢中になることを自分で抑制してしまうものです。

それなのに他人のことは気になるし、羨ましいと思ってしまう。



憧れと嫉妬は紙一重です。

素直な憧れ出ない場合、大罪にも数えられる嫉妬になってしまうのです。


嫉妬の感情を否定はしませんが、
嫉妬だけでは前進しないのは確かです。
そこに向上心や負けん気がないと、思考も工夫も行動もなされないのです。

思考と工夫と行動が伴えば、それは努力です。
本人が努力と思わないこと、だけれど他から見ると、常にそれを考えて動いている姿は、努力する姿なのです。


輝くあこがれに近づくことって、案外そのものを目指さない方が近道なのかもしれません。


好きなことを見つけられなくても、
続けていれば好きになる、気になってくる、視点が増えてくることは、往々にしてあります。


小さな思考を重ねていけば、それはあなたの思考になります。
同じ結果を持ったとしても、友達と何時間も駄弁っていたあなただからこその思考過程になるのです。



あこがれをただ眺めるのではなく、
自分も誰かのあこがれになれるように。


楽しめるものが少しでも増えるのは、
誰かが見ていなくても、単純に楽しいものです。


自分が楽しいと思うことを見つけて動くのが
自分を輝かせる近道だと思います。


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