季節が消えていく中で私って話

いつだってかわいいあの子みたいに、相次ぐ催事の中止で肩を落とすこともできないほど予定のない私だ。あれほど求めていたはずの毎日が、求めていた以上に続く自宅でひとり、ぼーっと考え事をしていて気が付いたことは、季節が消えていくのは今年に始まったことなんかじゃないということだった。春のように優しく微笑む彼も、夏の太陽のように大きな手で私の髪を撫でる彼も、秋のように静かにそばにいて、派手なことは好まず読書ばかりしていた彼も、冬のように私のこの身体を抱く力がぎゅっと強い彼も、みんなみんな私の前から消えていった。いつだってその人の隣で、その人らしい季節になっている気でいた私は、駅で困っている人がいても声を掛ける勇気などなく、両手が持つ機能は10を数えることのほかになければ、読書をしているよりかはライブハウスで揺れていることの方が好きで、抱かれたい気持ちはあれど抱きたい気持ちはそれほどない。大きな変化は好まず、春も夏も秋も冬もない、少しの好きと多くの怠惰でこれまでだって生きてきたじゃないか。季節がなくても、自宅でひとりでも不自由なく生きてこれるじゃないか。それなのになぜかいつもより広くカーテンを開き、いつもより大きく窓を開けているのは、求め続けていたはずの変化のない毎日の中で、季節という変化を感じたい気持ちに他ならない事実なのかもしれない。こうやっていつだってかわいくない私の変わりたい気持ちは、見飽きた雑誌のページの端ごと折り込んで、窓を閉めてベッドに潜り込む。はさんだカーテンの裾はまたあとで直したらいい。

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