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遅いレジ打ちが気にならなくなったのは、現代における時間の概念が変わったからか?

私自身でも感じるところであるが、スマートフォンの登場で現代人は時間に寛容(ルーズ)になったと言われている。まだガラケーしか無い時代でもそうだったのだが、Twitterやfacebookの登場で、よりリアルタイムな状況を連絡する手段が出来て、例えば待ち合わせ時間に間に合わなくても、今どこに居て、あとどれくらいで到着しそうなのかが、お互いに分かるようになった。

何も手段が無い時代には、時間に間に合わなければ事故などの心配が付き纏い、気が気でなかったから、遅刻は割りと重罪だったのだが、今は遅刻が当たり前のような習慣になってきている。そのことに対して、怒る人はかなり減ったという実感もある。スマートフォンの登場で現代人は時間に寛容になり、そしてルーズになったのだ。

人は便利になると、自分一人でその便利なツールを駆使して問題を解決してしまうので、他者とのコミュニケーションが減る傾向にある。他者に頼らなくなるので、自分本位で物事を捉えるようになってくる。この遅刻の件も、相手がどれだけ待たされるか、というところには配慮がないし、遅刻することを速やかに伝えれば、待っている相手も「ただ待つ」という行為以外で時間を潰すことができるだろうという無意識に近い期待を抱いている。これは現代人にとっては暗黙の了解なのかもしれないが、冷静に考えると、かなり自分勝手な発想で、連絡手段が無い時代には考えられなかったことだ。

そう、だからこの手を、ご年配の方々に使うと、かなり厳しくお叱りを受ける。学生の頃に一度だけ私も犯してしまったことがあるのだが、「遅れるって連絡したじゃないですか」はまったく通じない。そりゃそうで、人として極めて礼節に欠ける行動だ。それに、相手にとっての時間と自分にとっての時間の価値は等しくないのだから、遅刻することで一方的に相手の時間を浪費させていることは大変に罪深い。極端な話、余命が10時間しか無い人にとっての5分は、余命が40年ある人の5分と比べて遥かに貴重な時間だろう。

この体験以降は”人を見て”気をつけているのだが、こういうことを一切感じなくなっている世代に突入しているのが恐ろしく感じる。この世代から言わせれば、上記の説教は「何言ってんだこのジジイは?」くらいにしか響かないだろうし、私もそういう考え方が理解できるようになってきている。これが良いのか悪いのか、それも分からなくなってきているくらい、世に浸透してきている。

ところで、自宅最寄りのコンビニ、ある若い女性店員のレジ打ちが極めて遅いのだが、自分がそのことに無関心であることに最近、気がついた。

自分の後ろに長蛇の列ができていて、舌打ちをした客がいたから気がついたのだが、私は待たされることとただ待つという時間の浪費が気にならなくなっていた。むしろその緩やかな女性店員の所作に見惚れていたかもしれない。その女性店員は焦る素振りもなく、本当に自分のペースで気持ちの良さそうに仕事をしていたのだ。

コンビニ業としてはレジ打ちが遅いのは大きな問題で、客にストレスを与える行為は改善しなければならないが、自分の能力を乱して企業の歯車となりストレスまみれとなってまた一から社会に放出される無情を考えると、自分の時間の中で行動できるこの他者の時間への配慮の無い自分勝手さは、羨ましくすら思えてしまった。

案外、この世代は、強く生きられるのかもしれない。

(アシベズヘア/facebook

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ライター。幼い頃の自分の髪型が、まるで森下裕美の漫画『少年アシベ』の芦屋アシベのようだったので、それを名前の由来にした。主な著作に『ねえ、「電子書籍」ってどうやって作るの? おじさんが丁寧に教えてあげるよ・・・』『OTAGO』などがある