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ブログ時代は終わらない、一億人の情報を求める時代が来る

どこの馬の骨とも分からない素人の日記ブログを読んでも面白くもなんともない。これは言うまでもない当然のことだ。その人が構築した狭いコミュニティでしか分からないようなことしか書いてないんだから。

そんなクソつまらない日記たちは今はmixiやfacebookなどのSNSへ移動していった。より閉じた空間でより密なローカルネタを書きやすくなった為、ブログ全盛期よりも素人の書く日記は致命的につまらなくなった。まあ、これについてはどうでもいい。

重要なのは、残されたブログだ。Googleやyahooなどの検索で見つけられるブログたち。まんしゅうきつこや犬山紙子のようなブロガーが登場するのはもちろん稀だろうが、そこまでではなくても、残されたブログらは、新しいメディア時代の価値を見出せる可能性を多分に秘めているのではないだろうか。

今は誰でもWEBライターになれる時代だ。個人の今まで通りの日記にしてしまえばもうそれまでだが、例えば近所のローカル祭りに行ったとしただけでも、そのお祭りの起源だったり歴史だったりをちょっとひも解いて書いてみるだけで、その個人ブログはローカル情報を発信するメディアになるわけだ。

何もメディアというのは、大衆に受け入れられるものだけをいうのではない。1%、いやもっと少ないターゲットが相手であっても、必要とされる情報を発信できればそれはもう立派なメディアだと胸を張っていいだろう。「お祭りに行った」「面白かった」ではなくて、「このお祭りはああでこうで」「今はこうだけど昔はああで」なんて、地方に根付いた人でしか知り得ない情報というのは腐るほどあるはずで、それを発信するだけで誰かには必ず需要があるはずなのだ。山奥に不法投棄されている現状を日々綴ってもいい。それはもう新しい「報道」だと言っても過言ではない。

一億人がブログを書き始め、例えば過去の経験、そこから学んだ教訓、知恵を発信するようになれば、ものすごく巨大な人間の叡智が構築されることだろう。一億人いれば一億通りの伝記が存在する。悩み、苦しみを味わったその体験は、過去に似たような体験をした人がいる。その人はどうやって克服したか、どうやって向かい合ったか、先人の体験は人間にとって最も重要な情報ではないかと思うのだ。去年、全力教室でのIKKOの授業が話題になったが、そういった有名人の体験談、エッセイだけが重要なのではない。このnoteにおいても「自分には何もない」と語る人が多いが、何もないと思うまでに至った経験は、その劣等感を得るまでに至った体験は、未来を生きようとする後輩たちへの立派な情報源となるのだ。

私は全ての人間の人生を観てみたい。電波少年のTプロデューサーが一生を映像化するという事業を立ち上げたが、どんな人でも良いドラマが映像が出来上がると言っていた。どんな人の人生もすべては意味のあるもので、それを発信することには無限の価値があるのだと私は信じて疑わない。

私がNEET株式会社の「モラトリアム・エイジ」に期待してしまうのは、社会不適合者という側面に陥った人生観をありのままに発信してくれる可能性があるからだ。今の自分には無い側面かもしれないが、明日の自分は分からない。未来に、自分が同じような状況に陥った時、彼らの本音の叫びは思わぬ形で助けになるかもしれない。だから単なる娯楽マガジンに成り下がらないことを願っている。

難しいと思うが、全ブログが年齢、職業、性別などで検索できたら面白い。有名人の体験談は少数の憧れる存在であって、やはり最も身に沁みるのは、同じような量産された一般市民の体験だと思う。ブログ時代は終わったと語られてから、どれだけが経っただろうか。一向にブログ式メディアは終わらない。それはやはり、人間一人一人の情報の面白さだと思う。人間=情報。これからの時代のブログは、今まで以上に一人一人の情報を求められるよういなる気がする。

(アシベズヘア/facebook

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