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「教えることの難しさ」を棚に上げてはいけない――今日のリンク

親が子に教えるとか、先輩が後輩に教えるとか、上司が部下に教えるとか、簡単にそのような光景を目撃する。

しかし、「人に教える」という行為は非常に難しくて、実際は教えられた側は要領を得られずに自分で調べて解決していたり、または、別の人にこっそり尋ねて解決したりしていて、教えてくれた人のメンツもあるので分からないとも言い難く、お互いに時間の無駄になっていることが非常に多い。そして何故か、「教え方が下手くそだ」ということよりも、「教わったのに身についていない」ことの方が「悪」であるかのような風潮すらある。

これはもちろんおかしな話で、教える側は「教えることは難しい」ということを常に認識していなければならない。ただ事実を伝えただけでは、相手には何も芽生えない。

人に教えるというのは、「如何に相手にその物事のイメージを定着させるか」、ということなので、いくら頭が良くて知識人であっても、相手のレベルに合わせてイメージをひとつずつ構築させることができなければ、それは時間だけを浪費させる意味の無い行為になってしまう。

教え方が上手い人というのは、適所でイラストや図画を用いて視覚的なイメージを持たせたり、身近な状況に置き換えて例えてみたり、様々な感覚に訴えるように相手を解決へ導いている。こうして言葉にするのは簡単だが、実践し相手が求める結果を与えるまでになるのは、凄く難しい。

先月、4月30日に、「電子書籍の作り方」について、誰にでも分かるように丁寧に解説した本を出版しているので、私がどの程度実践できているか試し読みだけでもしてみてほしい。「出版コスト0円」に拘っているので、電子書籍の出版体験をしてみたい人にも是非とも読んでもらいたい。最近は、シニアの方々の旅行記が電子書籍で売れ筋になっているので、旅行が趣味な方や日記を綴っている方には、電子書籍の出版はとてもオススメです。

【画像】 姉貴が凄いwwwwwwww天才かwwwwwwwwwwwwwwww
http://vippers.jp/archives/7524282.html

誰が「課金すればより高く飛べるマリオ」なんか欲しいものか — 多田 純也
http://agora-web.jp/archives/1586144.html

極端な話をすれば、問題が「少量のお金」で解決できるという体験は、ゲームと言えど子供たちから忍耐と努力を奪ってしまう気がしてならない。小学校低学年の頃、ファミコンのアクションゲームでどうしてもクリアできない面があって、ほとほと嫌になってそのゲームを放り出したのだが、それを後から知った父親に「そんな根性なしに育てた覚えはない!」と凄い剣幕で怒られたことがある。何としてでも自分で考え抜いて解決してやるという悔しい気持ち、困難に挑戦する気持ちは、ゲームでも十分に子供は学べたと今になって思う。小さい頃の困難を達成する体験は、どんなことであれ、非常に大切であると感じる。当時、課金することでこの難しかった面を意図も簡単にクリアしてしまっていたら、何の体験にもならなかっただろうし、ゲームが本当に時間を奪うだけの害に成り下がっていただろう。

なぜスタッフは自分から動こうとしないのか? スタッフのやる気を出すヒント
http://b-chive.com/yaruki-switch2/

自分から動こうとしないのは、その組織の意図通りに動きたいという極めて従順な態度の表れで、それは組織が願った究極の結果のはずなのだ。「社員一丸となって」だとかを掲げていたのなら尚更で、自分から動くということは、自分の脳みそが勝手に生み出した考えで動くということになるのだから、組織の方針にそぐわない行動を取ってしまうというリスクが付き纏う。そのリスクを完全に排除する最善策は、完全に言いなりになるという態度であり、一挙一動すべて指示を受けなければ動かないというのは非難すべきことではない。

自分から動いてほしいのなら、勝手に考えて行動した結果に生ずるリスクを許容してやる必要があり、またその勝手な行動によって良い結果をもたらすことが出来た場合には、素直に認めてやる必要がある。人間は100人が100人、統率や教育によって同じことを考えることが可能だと信じているのなら、それは大きな間違いだ。100%、方針通りに動ける者はいない。それを前提に考える必要がある。それを理解していないから、うまく動かない時に腹が立つ。

この手のことを言う人は総じて、自分から動いて失敗してしまった人を「何故、勝手に動いたんだ」と非難している場合が多い。原因は自分の統率力の無さにあるのではないかと、まずは疑ったほうが良い。

クリップを大きくしたら、ちょうどいいバッグになったよ
http://www.gizmodo.jp/2013/05/post_12078.html

新たなビジネスチャンスを考えるときに良く言われるのが、「大きいモノを小さくしてみる」「小さいモノを大きくしてみる」という方法論です。このバッグはまさにこの典型で、クリップを大きくしてみたらバッグに見えちゃった、というそのもの。実は多くの人がドラえもんの道具をビジネスのヒントにしているという話もあり、この件なら「スモールライト」「ビッグライト」が思い浮かびます。ドラえもんを改めてそういった視点で読み返すと、新たなビジネスチャンスに出会えるかもしれません。

昔から、コンピュータは先生より生徒の方が早く使いこなしていた
http://blogos.com/article/79493/

教師が多忙であるという実情は、子供にはまったく関係が無いことで、「勉強しろ」と偉そうに言ってくる教師が新しいことを勉強していないのだから、子供たちに尊敬されるわけがない。教師に時間が無いということを無視して理想を言えば、子供たちに逆に教わるという時間を設けるべきで、これは同時に子供たちに「人に教えることの難しさ」を学ばせる機会にもなる。それに、普段は教える側の教師が一生懸命新しいことを学んでいる姿を見せることは、不勉強な子供たちに何かを芽生えさせるキッカケになるかもしれません。

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