誰かが誰かに魅せられるのは、類まれな覚悟を垣間見た時なのかもしれない。
今日、自販機で、「ギザ十」を何年ぶりかに手にして、ちょっとテンションが上ってしまった。子供の頃は両親や親戚の財布を漁ってまで「ギザ十」を求めていたが、この歳になっても「ちょっと嬉しい」なんて気持ちになるなんて、思ってもいなかった。
「ギザ十」のほとんどは額面通りの価値しかなくて、「ちょっと嬉しい」気持ちを呼び起こすラッキーアイテム的な位置づけでしかないと思うのだが、私は「ギザ十」を見ると決まって中学生の頃のある出来事を思い出してしまう。「ちょっと嬉しい」の気持ちの後に、ふっと残り香のように暗い影を落とす。
「ギザ十」の思い出と、羽生結弦の覚悟
http://www.materializepost.jp/column/141/
(アシベズヘア/facebook)
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