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「こども電話相談室」にすら相談できない

親も教師も分かってくれないというのはいつの時代も同じで、子供が分かってくれる大人を求めるのは至極当然のことだと思うのだが、その大人が周囲にいなくなったというのは、確かに子供を闇に追いやり自殺の低年齢化を助長する要因になっていると考えても間違ってはいないのかもしれない。

こども電話相談室 素朴な疑問よりも重たい人生相談が増加
http://www.news-postseven.com/archives/20140827_272550.html

私が子供の頃も同じように悩んだが、やはり身近な親や教師はどうしても理解ができなかった。積極的に理解者を探し回ったわけではないが、近所に住んでいる見ず知らずのお婆さんと登校途中に一緒になった時、ふとそのお婆さんが一方的に呟いた言葉が妙に自分の心に染みてきて、何となくそれで救われた気分になったりしたことは案外少なくはなかった。

それでも、私が子供だった時代も少しずつ変質者などが騒がれ始め自衛を求められるようになってきて、見ず知らずの人との関わりを警戒する風潮は強くなる一方だった。

私が思春期に突入する頃には地域的なコミュニティは存在しなくなっていて、ついに誰かに話を聞いてもらうことも誰かから話を聞くこともなくなっていた。

先日、15年ぶりに叔母に会って思い出したのだが、叔母は私が学生時代、すごく気に掛けてくれていた。しかし、私は大人に理解者はいないとすっかり心を閉ざしていたので、叔母のことも無視して過ごしていた。

どこかに必ず理解者がいる、そういう環境で育っていたならば、私は素直に叔母に相談できていたかもしれないと、少し悔いた気持ちになった。

「こども電話相談室」に電話を掛けられる子たちは、まだマシなのかもしれない。公園で無邪気に遊ぶ子供たちが、見知らぬ大人に近づくだけで、不審者を疑いその交流を遮断する今の世の風潮では、身内以外の大人に何の希望も見出せないのではないだろうか。

身内は理解してくれない、身内以外は不審者である、信用できない、そういった環境で育った子供たちは、本当に八方塞がりで、「こども電話相談室」にすら助けを求められない、どこかで人知れず泣いているのではないだろうか。

女児監禁事件などの発生でより一層警戒されてしまう状況だが、それによって子供を閉じ込めるのではなく、敢えて大人と子供が積極的に集まるコミュニティを形成して、そのコミュニティが子供を守るという前時代の形へ向かう方が、子供の心にとっても健全なのかもしれない。

(アシベズヘア/facebook

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