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そういえば子供の頃はマクドナルドが楽しくてしょうがなかった

マクドナルドの業績不振について分析するコラムはどれも面白いのだが、その中でハッと気が付いたものがあった。

ファミリー層が激減した

確かにその通りだ。というか、気が付いてはいたのだが、今の自分にとって特に違和感のないマクドナルドの方向性だった。今でも私は頻繁にマクドナルドを利用するが、あの頃の子供のまま、今の状態のマクドナルドを利用するか、と問われれば、まず間違いなく子供の私は利用しないだろう。

私が子供の頃にはファミリー向けのマクドナルドがあり、学生の頃には学生向けのマクドナルドがあり、社会人の今では社会人向けのマクドナルドがある。偶然にも自分の成長と一致したマクドナルドの方向性の変化だったが、今の子供たちはマクドナルドが遊び場ではなくなっているというのが、私には少し寂しく思えた。今の子供たちとはマクドナルドの思い出を共有できないということだ。

子供の頃、なんらかのイベントがあれば、私はマクドナルドを母親にねだった(それこそ、床でジタバタしながら)。例えば学校の創立記念日などで父親だけが休みじゃない時とか、自分の誕生日だとか、子供特有の妙にテンションが高い日だとか、ハッピーセットが特別好きだったわけではないが、遊園地的な輝かしさがあって、向ヶ丘遊園と同じくらいの位置にマクドナルドが私の中では存在していた。

お店のお姉さんの対応も子供の自分にとってはとても心地の良いものだった。弟と何度もスマイルだけを貰いに行ったことがあったが、笑って対応してくれるお姉さんがとても好きだった。小学高学年になったらスイミングスクールの帰りに必ずと言っていいほどマクドナルドに一人で寄って帰った。親戚の家に遊びに行くような感覚だった。顔なじみのお姉さんがいなくなった日はとても悲しかった。

今のマクドナルドでは、それができない。一番は、カフェ化されたことで、喧騒がなくなったことにある。昔は本当に子供の姿が多くて、ワイワイガヤガヤ、賑やかでとても楽しげな場所だったが、今は、AC電源が設けられたことで、でーんとパソコンを広げて仕事をするビジネスマンもとても増えたし、レポートを一心不乱に作成する大学生なんかもとても増えた。そんな中、子供たちが騒いだら、まず間違いなく障害物扱いされるだろう。店員も、きっと、注意するに違いない。昔のマクドナルドでは、子供たちが走りに回っているのが普通だった。私も走っていた。

「大手外食チェーンにおける暗黙の法則」というものがある。それは、「幼児期からの味の刷り込み」だ。つまり私は、完全に刷り込まれている為、今でもマクドナルドに淡い期待を寄せながら、ヘビーに利用してしまっているのだ。私は普段、好んでカフェを使うことはない。誰かが提案しない限り、決して自らはスタバなどのカフェは利用しない。もしもマクドナルドが幼少期の頃からそういう存在であったならば、私はマクドナルドをこれほどまでに利用することはなかっただろう。

正直、私には業績なんてどうでもいい。今の子供たちに、あの楽しかったマクドナルドを、体感してほしい。

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