月の光が見た景色。

以前何度か書いて好評だった話です。
話ではなく私が月を見て感動すること。

月といえばよく知られた訳文。
月がきれいですね。
月が。ねえ、あれを見て。
月はきれいですね。それに比べて、なにがどうだと?

地上の民がわずか一文字に含意される前提に神経を尖らせる様子を
無言で照らす光がある。

ほんの200年ほど前まで人里離れた土地の全ての闇を、人里にあってはその日最後の蝋燭を吹き消した全ての家の廊下を照らしてきた光が。

シルクロードが交易人で賑わった時代、
紺瑠璃杯がペルシャから奈良の正倉院にもたらされた頃。
「死者の白骨をもって道標となす」と記された過酷な砂漠で交易人を。

朝鮮半島がまだ唐辛子を知らず
ドイツがまだジャガイモを知らなかった頃に
未知の大陸を目指して海に漕ぎ出した航海者たちを。

導いた光と同じ光が、21世紀の日本のLEDが煌めく都市を眺めている。
その事実に感動する。

この光は、いま論証を重ねて推測を立てることはできても決して実際に聞くことはできない印欧祖語の響きを聴いていたはず。どんな旋律でどんな表情でなにを詠じてた?
月に尋ねながら急ぐ家路は、明るい。




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